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第11回 静かな退職について考える / Youtube用台本


イントロ

このチャンネルは、1978年生まれの就職氷河期世代の当事者である私が、目前に迫ってきた50代を見据えて「これから」を考える動画を投稿しています。

数年前からアメリカで流行していると話題になった「静かな退職」について、思うところがあるので、それをお話したいと思います。

Forbes JAPANの記事では、「静かな退職」を実行している人の2人に1人が35歳から54歳以下の人であるというデータもあるようです。

定年まで働くことを前提にすれば、就職氷河期世代の引退は、まだまだ先のことです。

本当に「静かな退職」に徹することは最適解でしょうか。

今日は就職氷河期世代の働き方の「これから」を考えてみます。


猛烈に約20年働いて、完全に燃え尽きた

私は40歳頃までは普通に働いていました。

「静かな退職」とはほど遠い、毎月の残業が100時間に迫るような猛烈な働き方をしていました。

そこからあるきっかけでうつ病を患い、生活保護を受給しながらコロナ禍をしのぎつつ、約5年ほど病気の治療を続け、今はすっかり寛解し、また別の会社で働き始めています。

ちなみにこれは完全に宣伝ですが、このうつ病と生活保護時代の体験談は、ひっそりとAmazonのkindle本として販売していたりします。

もしご興味があればお読み下さると幸いです。

動画の概要欄に、購入のためのリンクを貼っておくので、もしご興味があればお読み下さると幸いです。

…さて話を戻し、現在働いている職場でも、私個人は「静かな退職」を選んではいません。

会社にこき使われて、5年も療養生活に入ることを余儀なくされて、なお、私は全力で集中してパフォーマンスを発揮する働き方を止めることはできませんでした。

それはどうしてなのか、というお話をさせていただければと思います。


やりがい搾取の構造に身を置くから不幸になる

それは端的に言って、全力で頑張ることは楽しいからです。

自分で目標を立てて、それを達成するために試行錯誤し、一定の成果を上げるプロセスは本当に楽しいものです。

人にとってそれは、DNAに刻み込まれている根源的な歓びであると、私は思います。

その人としてやりがいを求める本能を、会社や他人にいいように利用されているのが問題なのだと考えています。

いわゆる、やりがい搾取と呼ばれている構造ですね。

自分が努力して頑張った結果として実った果実は、まず自分が総取りをすべきです。

自分では食べきれない果実を、身の回りの人たちにおすそ分けしてもいいですが、その配分を決めるのは頑張った本人であるべきです。

ところが一般的な日本企業で勤めると、その果実の美味しいところを真っ先に会社に奪われて、残りかすだけを雑に配分されるかのようなことが起こります。

だったら「静かな退職」だよね、となるわけです。

だから私は、問題の本質は働く環境や企業との関係性なのであって、人が本来持つ「本気で頑張ると楽しい」という部分を否定しない立場です。


性別・年齢・学歴・職歴不問で、採用面接もない会社で働いています

私の現在の職場は、100%在宅勤務のコールセンターです。

外資系の日本法人で、カスタマーセンターのオペレーターをしています。

出勤時間になったら「受付可能」のステータスに変更し、黙々と顧客対応をこなし、退勤時間が来たら「ログアウト」をして業務完了です。

非常にシンプルな一日の流れです。

評価制度は、徹底的に数値化された生産性のみで判断され、社内の人間関係や政治など一切介入しません。

社内のコミュニケーションはほぼ100%チャットで、それも極力簡潔に済ませる雰囲気です。

同僚との雑談も一切ありません。

というか、そんなことをしている暇など生まれないようにみっちりと業務が詰め込まれています。

お前から買い上げている勤務時間は1分も無駄にしないぞ、と気合いに溢れた一分の隙もない合理的な業務フローが構築されています。

成果さえ上げられれば誰にも何も文句を言われないのも当たり前で、すでに入社前からこのスタンスは徹底されていました。

仕事に応募する際に記入した書類には年齢や性別はおろか、学歴や職歴すら記入する箇所はありませんでした。

オンラインで行われる実技試験が課されただけで、一般的な面接もありませんでした。

担当者との面談や、履歴書や職歴書の提出を求められたのは、合格が決まった後の入社手続きの時です。

定められた業務時間内に、自分のスキルを活用して、求められる成果を提供する。

成果が認められれば、それは昇進や臨時ボーナスとして返ってくる。

本当に、シンプルにただそれだけなのですが、だからこそ「本気で努力する」のが大好きで、努力の成果は自分が総取りすべきという考え方を持つ自分にとっては理想的な環境です。

ここにたどり着くまでに、様々な仕事に応募しましたが、大半は書類審査で落とされました。

書類で落とされるということは、スキルよりも、性別・年齢・学歴・職歴を重視する会社ということで、そんな会社で実際に働き始めることができたとしても、成果よりも人間関係や社内政治が重視されることでしょう。

こんな環境では、真っ当に仕事を頑張って成果を出したところでまともな報酬も得られず、いずれ心が折れて「静かな退職」が最適解になるわけです。

それを選ぶ人を否定しませんし、むしろそんな環境で真剣に頑張っている人を見かければ、かえってその人の健康やメンタルが心配になるでしょう。

実に自然な流れです。

ところで、求人に応募する際に、性別・年齢・学歴・職歴を記載した履歴書の提出を求める会社って、日本ではどれくらいの割合で存在するのでしたっけ?

ちょっと調べるのも面倒なので、コメント欄などに書き込んでいただけると幸いです。


非正規雇用をされたまま、正社員と肩を並べて管理職として働いていた

ここで、非正規雇用をされたまま、正規雇用者と肩を並べて管理職として働いていた頃の思い出話をいたしましょう。

その会社では、当初短期のアルバイトとして働いていました。

そこでの働きっぷりを評価され、アルバイト期間が終了した後も、新しく社内にチームを立ち上げるので、そこの責任者になってくれないかとオファーを受けました。

最初の1年間は契約社員で、その翌年から正社員になれるという条件でした。

快くオファーをお受けして、その後の1年間で、色々と大変でしたが無事立ち上げたチームを軌道に乗せることもできました。

さて来年からはいよいよ正社員かぁと思っていると、ある日の面談で「業績悪化したので正社員登用制度はなくなりました」と告げられました。

この時の「騙された!」という怒りと、この1年の頑張りはなんだったのかという落胆が、ぐちゃぐちゃになった気持ちは、今でも忘れられません。

たしかこの時は、36か37歳くらいだったと思います。

今思えば、早々にこの会社に見切りをつけて、正社員で雇ってくれる会社に転職すべきでした。

とはいえ、まずこの会社はTVのCMもバンバン打つような誰もが名前を知る大企業だったのですね。

中小企業の正社員より、大企業の契約社員というポジションの方が良いのではないかと思ったのです。

今年はダメでも、あと数年頑張っているうちに、正社員登用のチャンスが巡ってくるのではないかと密かに期待もしていました。

そして何より、私が1から仕事を教えて育てたスタッフ達の顔が浮かんだのです。

いくら正社員の約束が反故にされたといえ、「これからがんばってチームを大きくしていこう!」と一致団結しているメンバーを、たった1年で置き去りにして退職するなど考えられませんでした。

私のキャリアの中でも、とりわけ人間関係が上手くいっていたチームだったので、彼らと仕事を続けたいという気持ちが、将来の安定よりも勝ってしまったのです。

しかし、これは思い返せば本当に間違った選択でした。

元々正社員になることが前提だったので、私は正社員と同様の仕事を任されていました。

正社員たちが10人ほど参加する会議に、私ひとりだけ契約社員が混ざっているような状況でした。

正社員になる話が立ち消えたからといっても、その状況は変わりませんでした。

パートの人や派遣社員が定時で帰る中、私は正社員と共に深夜まで働きました。

そして社内の飲み会や、クライアントの接待などにも同行させられました。

社内の派閥争いに巻き込まれて、スパイのようなこともさせられました。

いつもぽつんと契約社員は私ひとりです。

日に日に私は思うようになりました。

自分の周りの同年代の正社員は、年収1,000万の大台も見えている人がゴロゴロいる中、なぜ自分は半年ごとに契約更新が必要で、年収も300万未満なのだろうと。

チームではリーダーと慕われ、正社員からは「君がいなかったら業務が崩壊するね」とおだてられ、でも実際には年収格差500万以上の非正規社員。

それでも仕事そのものは楽しかったのです。

何かに本気で頑張ることは幸せでした。

ある日、まず父が末期がんに冒されました。

一人っ子の私は、必然的に父の闘病生活をがっつりサポートする必要がありました。

その時から月に100時間残業することができなくなってきました。

せいぜい50時間が関の山でした。

しかし職場から歩いて10分の病院に入院してもらうことができたので、帰宅を諦めればまだなんとか仕事と家族のサポートを回す二刀流は可能でした。

そして父が亡くなった後、一年経たずして、後を追うように母までも末期がんに冒されました。

いよいよ月に30時間程度しか残業ができなくなりました。

父の闘病は、まだ母との二人三脚だったのですが、母の闘病は私一人でなんとかするしかなくなったからです。

今でも忘れません。

会社の上司に相談をしました。

今までのように長時間残業前提の業務に入るのは難しい、と。

「それでは困る」が第一声でした。

たしかにチームの規模は順調に拡大を続ける一方、管理職の増員は一向になされない状況でした。

最終的に200人近くのスタッフを数名でマネジメントする環境でした。

終電後の時間にメールを送信しても、数分で返信が来る状況がずっと続いていました。

正社員の約束を反故にされて4年が経過していました。

どんなに不公平感を募らせても、長時間残業で体やメンタルがきつくても、チームと会社のために頑張ってきました。

その自分が、家族のために残業ができないと相談して、返ってきた言葉が「それでは困る」でした。

たしかに「それでは困る」のでしょう。

「大丈夫か?」でも「協力できることはあるか?」でもなく「それでは困る」でした。

結局のところ、会社という組織はそういう場所なのです。

その後、私が退職を切り出すと、やっと慰留のために勤務時間の調整などの打診がありました。

しかし、当時、実は会社への不満から、すでに社内では連鎖退職が始まっていました。

私は最後まで居残って、それこそ正社員のような職責でフォローや対応をしていましたが、私もすでに精神的にも肉体的にも限界でした。

さらに実はこの数年前、1度私は過労で入院したことがありました。

その時医者から2週間は静養しろ、と指示されたのですが、それを会社に伝えたところ、「静養するのは自由だが、これだけ勤怠に穴を空けるならば次回の契約更新に影響が出る」と脅されました。

当時はまだ養う家族を抱える身だったので、私は2日間だけ休んで出社をしました。

なぜそれほどに仕事にしがみついていたのかと言えば、せっかく掴んだ正社員の仕事をリーマンショックで失ったトラウマがそうさせていたのだと思います。

しかし、それでも。

体のしんどさと、人を人と扱わない会社への怒りと、色々なものがないまぜになった私の心は限界でした。

いま仕事を辞めれば、生活が立ち行かなくなることはわかっていましたが、退職を断行しました。

今にして思えば、もっと上手い立ち回り方があったはずだと思いますが、すでにうつ病の症状は出ていましたし、家族が余命宣告を出されているというストレスが、私に正常な判断を許しませんでした。

そしてその後も、母の闘病生活を支えながら次の仕事を探し始め、ますます状況は悪化していくわけですが、その話はkindleで出した本に書いてありますので、興味があれば、どうかそちらをお読みください。

うっかり2度めの宣伝をしてしまいましたが、これが就職氷河期世代の当事者が、不本意ながら非正規雇用で働き続けた男の実例の一つというわけです。


本当に自分がやりたいことには目を背けず、その内なる声を聴いてあげて欲しい

さて、本題に立ち返りましょう。

「静かな退職」についてです。

油断するとこのような状況にはまるのが、日本企業の現実だというお話です。

この私の自分語りですが、いまさらネットで垂れ流しても、劇的なPVなど稼げません。

どこにでもある、ありふれた普通の苦労話だからです。

この日本には、私のような就職氷河期世代はどこにでもいます。

もっと悲惨なエピソードなど、検索すればいくらでもヒットします。

そんな国ですから、ごく普通の日本企業で働くにあたって、「静かな退職」は大正解です。

人のやりがいを当たり前のように搾取して、見返りを用意しない会社などごまんとあります。

ですが、私がこの動画を視聴くださっている人に向けてお話したいことは、貴重な人生の時間を「静かな退職」というスタンスで消費して、人本来が持つ「生き生きと働きたい」という欲求を徹底的に押さえつけ、その果てに本当の幸せに到達できるのだろうかと、問い直して欲しいということです。

この、本気で頑張ることが楽しい、という感覚は、人の三大欲求にも匹敵するような、根源的な欲求であるように、私は考えています。

職場ではひたすら割り切って働いて、オフの時間を思い切り楽しむのだ、というマインドセットが完成しているのならば「静かな退職」は最高のライフハックかもしれません。

しかし、どうも私には、日中の時間、社内ニートすれすれの働き方をして、「定時になったからめいっぱい楽しむぞ!」とすぱっと切り替えられる人がどれほどいるのかと疑問なのです。

なんとなく日中の悶々とした不完全燃焼感を引きずって、定時後も、休日も、だらだらとなんとなく憂鬱な時間を過ごしている人も多いのではないかと想像するのです。

であるならば、中途半端な「静かな退職」ではなく、「文字通りの退職」をするなり、自分の本気のやりがいを搾取されないようなキャリアパスを構築することに、本腰を入れる覚悟を決めた方が、結果的に幸せになれるのではないでしょうか。

75歳で引退すると仮定しても、まだ我々には長い時間が残されています。

うつ病で5年間燃え尽きていた私ですらも、時間と共に活力が回復していきました。

どんなにすり減っても、それでもいつかは元気になってしまう自分と、どうか向き合っていただきたいと、私は願っているのです。

搾取から身を守る生存戦略として、「静かな退職」を選ぶことを否定していません。

ただ、その状況は一時的なものとして捉え、生活費に困らない状況をキープしつつ、本当に自分がやりたいことには目を背けず、その内なる声を聴いてあげて欲しいと、私は心から願うわけです。

就職氷河期世代は「これから」幸せになれる道を探しましょうよ、みんなで。






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