第6回 就職氷河期世代についてのひろゆき氏の発言をまじめに考えてみる / Youtube用台本
イントロ
このチャンネルは、1978年生まれの就職氷河期世代の当事者である私が、目前に迫ってきた50代を見据えて「これから」を考える動画を投稿しています。
今回はひろゆき氏が、就職氷河期世代について語った言葉を元に、私たちの「これから」を考えようと思います。
ひろゆき氏の発言は、YoutubeやTVでの発言を引用していますが、それをCoeFont社が提供する「おしゃべりひろゆきメーカー」を使用したAI音声で読み上げさせています。
ひろゆき氏ご本人の音声そのままではないことを、あらかじめご承知おきください。
別にやさしさで生活保護を勧めているわけじゃない
本気なのか、ひろゆき氏なりの照れ隠しなのか、解釈に悩みますが、ここでは言葉通り受け取ってみます。
仮に自分が無能と判定されて、このようなメッセージを受け取った場合、どういう反応をするかと考えてみました。
ともあれ、こういうメッセージが発せられる場からは離脱するのがまずは得策です。
他に自分を有能=価値がある存在として認めてくれる場所など、この広い世界、どこかにはあるでしょう。
自分を無能呼ばわりする人と戦って体力を消耗するくらいなら、自分から身を引く方が合理的とまずは考えます。
が、自分は無能ではないとプレゼンをして、それをコミュニティから承認された時、得るものが大きいとすると、判断に迷いが生じます。
もう少し具体的に考えると、ここでのひろゆき氏の発言は、生活保護受給を勧める理由という文脈ですので、無能であると断じてくる相手は社会そのものであり、多くの場合、社会の入り口に立っている門番は、就職面接の面接官です。
不採用となり無能の烙印を押されれば社会への参加は不可能となり、生活保護に頼らざるを得なくなります。
しかしここでしっかり対策をして、面接官に「自分は雇うに値する人間」であることを認めさせることに成功すると、晴れて無職から脱却し、社会への参加が許されます。
そういうリターンがある以上、逃げの一手ともいかないジレンマがあります。
とはいえ、ひろゆき氏が「有能を目指せ」ではなく「無能は退場しろ」というメッセージを出し続けるのには、1つの問題を念頭に置いているからではないかと、勝手に妄想しています。
それは、優秀な人(ここでは面接官)が、無能を選別するリソースすら惜しい、という問題です。
無能な者は、「あなたは無能である」というメッセージすら正しく受け取れないので(いわゆる「バカの壁」問題)、見当違いの怒りをため込み、しまいには暴走し出すリスクすらある。
であれば、無能でもわかるように「生活保護を取れば働かないで生きていけるよ!ラッキー!」という甘い言葉で先導し、自らの意思で社会からの退場を促して、優秀な者のリソースを節約するほうが合理的である。
ひろゆき氏は、そういう計算をしているのだろうか、と勝手に想像してしまいました。
で、結局のところ、無能の烙印を押された者たちも、そもそも「社会への参加券」なるものが苦労して得る報酬足りえるのかという、根本的な話もあり、無能な者たちが生活保護を受給するという選択は、優秀な人たちの間でWin-Winが成立してしまうと私は考えます。
実のところ私も、今はたまたま自分が納得できる条件で働ける場所が確保できているので、優秀な人(笑)と企業でお仕事をさせてもらっていますが、少しでも仕事が面白くなくなった場合は、喜んで社会から退場しようというつもりでいます。
現代社会において、無能と有能が、お互いに不利益を被らない距離を保つために、「生活保護を受けよう」とメッセージを発信し続けるキャンペーンは、起きるべくして起きている現象だと思いました。
40代以上のリスキリングは無駄
これについては、私の体験をお話させていただきます。
私は長年苦しめられていたうつ病が、大分良くなってきた頃から、また以前のように働きたいと思うようになり、仕事を探し始めました。
長年コールセンターで勤務しており、条件に拘らなければ、40代でも十分に再就職できるだろうことはわかっていました。
40代からでも十分に再就職が可能なのは、コールセンター業界の良いところです。
しかし私は、ボランティア活動などを通じて、より社会的弱者に寄り添った支援ができる仕事に就きたいと思うようになり、福祉関係の求人を探し始めました。
ハローワークやジョブカフェなど、自治体の求職者支援サービスも活用しながら、全くの未経験分野である福祉の仕事を探しました。
結果から言うと、数年間努力と試行錯誤をしましたが、福祉業界への就職は断念しました。
40代未経験では、そもそも書類審査が通りませんし、運よく面接までこぎ着けても、ことごとくブラック企業でした。
それでも理想を胸に抱き頑張ってみようと、一社だけ採用に至った企業の障がい者就労支援施設で働くことにしました。
まあ、そこもサービス残業、サービス出勤当たり前の、労基法違反だらけの真っ黒な事業所でしたが、40代未経験が入り込める会社などこんなところしかないのだ、と覚悟を決めて勤め始めたのです。
しかし入社して2か月も経たずに、私以外のスタッフが次々離職して、事業所そのものが閉鎖するという事態になり、私自身も退職せざるを得なくなるという結果に終わりました。
どんなにブラックでも数年は頑張って、実務経験を積みながら資格も取って、あわよくばブラックな職場の改善も進めれば良い、という算段でしたが、その目論見も空しく、あっという間に事業所自体が潰れてしまったのです。
今はもう福祉業界への就職はきっぱり諦めて、福祉業界で働くことでやりたかったことは、ボランティアや、このチャンネルの運営など、活動のやり方を変えて取り組んでいる次第です。
40代からのリスキリングで、成功事例がないとは言いませんが、比較的人手不足が叫ばれている業界ですら成功を掴むのには一筋縄ではいかないと、私は身をもって知り、心がぼっきりと折れました。
やるだけやって諦めがついた今は、長年勤めたコールセンター業界で働いています。
氷河期でも日本で生まれたのは運が良い方だ
気にしてもしょうがないのですが、気になってしまうのですよね。
日本に生まれたからこそ、ほんの少し早く生まれただけで、存分に好景気の甘い汁を味わった人たちの姿を目の当たりにしてしまいます。
例えSNSなど使わなくても、現実世界でごろごろ出会います。
これがはるか遠くにある昔話であれば、「そういう時代もあったのね」で済むのですが、なにせ自分の親やきょうだいといった近しい存在から直接、好景気の体験談を聞いてしまうわけであり。
ある調査で、アメリカの大富豪と、アフリカのマサイ族の、それぞれの幸福度を数値化すると、ほとんど大差なくどちらも幸福な状態だという結果が出たとのこと。
対して、世界中で最も幸福度が低いのは、アメリカの大都市で生活するホームレスだそうです。
なまじ都会のホームレスの方が、経済格差を認識してしまうので幸福度が下がってしまうと。
幸せの国ブータンが、ネットの普及で他国の情報に触れやすくなったために幸福度が急落したというのも有名な話です。
でもそうですね。
がんばって気にしないようにしないといけないですね。
高齢者の世話を高齢者がするという状況が始まっている
「PLAN 75」という映画をご存じでしょうか。
もし日本に安楽死制度が導入されるとどうなるか、というテーマの映画です。
映画では、75歳以上に安楽死を認めた上で、安楽死を決めた国民に国を挙げて感謝し、スムーズに安楽死できるよう手厚くサポートしていくというおぞましい未来を描いています。
現実社会では、高齢者の世話をする高齢者に対して、ただただ負担を強いるのみです。
しっかりとした遺産を相続させられるような親であれば、介護のために離職するなどして経済的な負担を背負った子にもまだ救いがありますが、そうではない家庭では介護破産という未来が待っています。
「PLAN 75」の日本は、少子高齢化問題に安楽死という解決方法しか提示できませんでしたが、現実の日本ではどうなるのでしょうか。
私は、すでに両親が亡くなっています。
自分が40代のうちに両親が亡くなってくれたことを、ラッキーだと考えてしまいます。
これから先、自分の終活だけ考えればいいということに、うっかり安堵してしまうのです。
両親が60代という若さでこの世を去ったことに、言いようのない寂しさを感じることも、もちろんあります。
しかし、自分の老後を考えた時、老老介護というしんどい状況を回避できたのは大きなアドバンテージであると、考えてしまうのです。
「PLAN 75」を観た時、なんてすさまじい映画だと衝撃を受けましたが、親が早く亡くなってくれてラッキーと考えている自分に気づいた時、私も、現実の日本も、相当なところまで来ているのだなと暗い気持ちになりました。
無敵の人の相談窓口はない
橘玲氏の著作「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」では、私たちの世界を3つに区分して捉えていきます。
愛情空間…家族や恋人
友情空間…友人や知人
貨幣空間…貨幣で繋がる人々
そして現代では、貨幣空間が友情空間を侵食してしまったと考察します。
つまり、私たちを取り巻く人間関係は、極々身近な家族や恋人と、お金だけで繋がる人々という二極化をしてしまったと述べています。
「友人」や「友人とは言えないまでも他人でもない(知人)」という中間的な人間関係が失われたのだと。
ひろゆき氏の言う「誰かに加害したくてしょうがなくなっている人向けの相談窓口」ですが、これは本来、橘氏が失われたとする愛情空間や友情空間の役割でした。
今回のひろゆき氏の発言の出典であるABEMA Primeの放送でも、成田悠輔氏が「無敵の人を包み込むコミュニティが消えてしまった」と、橘氏の指摘と同じ意味合いのことを発言しています。
またひろゆき氏は「誰かに無償の負担を強いる形で、無敵の人を救済していく形は現代ではもう無理だろう」とも発言し、成田氏の発言を後押ししています。
愛情空間や友情空間が貨幣空間に飲み込まれた以上、足りないリソースは貨幣空間から捻出する以外ないのです。
ところで私は、「いのちの電話」の相談員として活動していた時期があります。
「いのちの電話」は、世間ではご存じないかたもいらっしゃるようですが、相談員は全て無償のボランティアで活動しています。
そして団体の運営費も、市民からの寄付により賄われています。
よく言われているように、電話をしても繋がらないことは多いし、電話口の相談員もプロのカウンセラーではないので、相談者の期待を裏切ってしまうこともあります。
それはボランティアと寄付で成り立っている以上、当然のことです。
必要な回線数を用意するとか、プロレベルのカウンセリングを提供するというミッションなど最初から背負ってはおらず、市民の善意で確保できたリソースで、市民の持ちうるスキルでできる限りのことをしているに過ぎませんので、電話が繋がらないとか、カウンセリングスキルが低いという批判はお門違いです。
ホームレスへの炊き出しボランティアに、量が少ないとか、味が良くないと言っているようなものです。
また、相談員側の本音としても「相談者にどこまでも無制限に寄り添うのは無理だ」という割り切りもどこかであります。
事実、私は仕事が忙しくなってからは、相談員としての活動を行っていません。
まずは自分の生活と健康が第一です。
無敵の人のための相談窓口が実現するとすれば、無敵の人の「誰かに加害したくてしょうがなくなっている」気持ちを放置することは、貨幣空間の価値観において「デメリットのほうが勝る」という合意が形成されるしかありません。
もしくは無敵の人である当人が、貨幣空間に侵食されていない愛情空間や友情空間を再形成していくしかないのですが、自死を考えている人以上に、「誰かに加害したくてしょうがなくなっている」人は周囲から避けられ、遠ざけられる傾向が強まるでしょう。
となると、あとは何か人並み以上の動機を持つ一部の限られた人が、無償のボランティアで無敵の人へ歩み寄るのみとなるのですが、ボランティアの限界は先に述べた通りです。
まとめ 無能でリスキリングしても無駄な私は、平和な日本で高齢者になった時に備えてコミュニティ構築の模索を始めた
さて、今回はひろゆき氏の発言を5つ取り上げ、それを土台に私が考えたことをお話させていただきました。
じっくりと考えてみましたが、ひろゆき氏の発言や視点は、その性格と表現の意地悪さはさておき、現代の日本社会を、改めて深いポイントで抉っているのだなと感じました。
私が当チャンネルを立ち上げようと思ったのは、得られる見返りが、投資する労力に十分に見合っていると判断したからです。
動画の収益化による金銭的なリターンもそうですが、当チャンネルを育てる過程で、新たな人との繋がりを得られるのではないかと期待しています。
愛情空間と貨幣空間の狭間にある友情空間的な繋がりやコミュニティを再形成できるのであれば、それは私にとって金銭的なリターンにも匹敵する見返りです。
私も限りなく無敵の人に近しい存在です。
これから50代、60代と年齢を重ねていくにあたり、つみたてNISAと同じくらい、自分が納得できて心地の良いコミュニティを形成することが重要であると考えています。
そしてつみたてNIASと同じように、10年スパンでの投資が必要だとも腹をくくっています。
まだまだ先は長いですが、これからもできる限り、ご視聴くださったかたにも、前向きな気づきを提供できる動画を発信するよう努力していく所存です。
今回の動画に関して、思うことや体験談、情報提供などございましたら、どんな些細なコメントでも書き込んでくださいますと幸いです。
Xのアカウントでは、DMもお受けしていますので、開かれた場では抵抗があるかたは、そちら経由でメッセージをお送りいただければと思います。
いつかは、私が配信する動画をきっかけに、コメント欄で議論や励ましあいができるようになることを、チャンネル運営の1つの目標としています。
未熟なチャンネルではありますが、これからも何卒よろしくお願いします。
本日は本動画を最後までご視聴下さり、ありがとうございました。
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