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【シュメールの終わり、ヒッタイト】 古代オリエントの世界 4/13

前回まで

メソポタミア南地域
チグリスユーフラテス川一帯
時代は
紀元前2300年〜1700年頃の話
シュメール人による
おそらく人類初の
都市国家の建設から
アッカド人、シュメール人による
興亡、攻防を経て
セム語系の遊牧民の
アラム人により統一される。
アラム人は
首都バビロニアを中心に
治水と司法を
一体に広めていった。

今回は先に年代と地図を入れてみる

今回はメソポタミア北部 前 2000

時代は
紀元前 2000年ころ〜1100年頃
場所は現在のトルコやシリアのあたり。
さらに北の
黒海やカスピ海あたりにいた
ヒッタイト人
なぜか
鉄製の武器と
馬に引かせた戦車を所持。
なぜだ。

よくわからないヒッタイト人 前1650

もちろん時代としては
圧倒的な戦力であり
あっという間に
メソポタミア北部を制圧
統一国家を建設。
これは
前1650年ころ。

さらに南部の
バビロン第一王朝を滅ぼした。
ただ、なぜかまだわからないが
最南部のバビロンを含む地域は
カッシート人が支配していた。

最盛期を迎える 前1300

ヒッタイトは
西部のミタンニや
南部のエジプトとも交戦する。
エジプトとはシリアを取り合って
カデシュの戦いをする。
教材には
引き分けた!と
高らかに言っているが
引き分けで高らか。
ヒッタイト人は
やはりよくわからない。
そのくらいエジプトが強かった
ということではあるが。
時代は 前1300年頃

滅亡 前1100

ヒッタイトは
これもまた
よくわかならない
海の民に攻められて滅亡する。
滅亡。
あっさり。
1000年近く支配してたんだから
あっさりというのもなんだが
やられたのが海の民。
内政が腐敗してたのかも。
今後も度々現れる海の民。
よくわからない。

メソポタミア北西部 前1600 - 1400

メソポタミア北西部
ミタンニ王国は
フルリ人によって建設された。
フルリ人はフリルと間違いやすい。
フルリ、くるり、ルリ、三浦瑠璃
るり、もういいか。
フルリ人は系統不明だが
ミタンニ王国は
インドヨーロッパ系の民族を
支配層におき、王国を建設した。
前1400年ころまで。

メソポタミア南部 前1600

一方南部バビロニアあたりでは
カッシート人がバビロニアを統一している。
カッシートは
こちらも語族は不明
由良は当方の山岳地。

王国乱立そして興亡 前1100

北西部タンニンは
ヒッタイトに服属し、
南部カッシートは
イラン高原からやってきた
エラム人により滅亡する。

感想

登場する民族が多すぎて
混乱。
とりあえず
資料と見比べながら
今回は記憶より経験
として学習することにした。

今回の主役はもちろん
鉄を持ち出した
ヒッタイト人。
タイムトラベラーか、
と言いたくなるくらい
意味不明な奴ら。
消え方も。
そして
ここから鉄が広まり
戦いもえげつなくなっていくのだろうと
想像してしまう。
圧倒的な戦力が
統一国家を超え
帝国になっていく力の1つになることは
言うまでもない。

ハンムラビで司法、
ヒッタイトで鉄
ときたら
次はもちろん
宗教になるだろう。


時間を縦軸、
地域を横軸にし
色で民族を分けている
頭のいいやり方だ。
はぜヒッタイトは南部の
バビロニアまで
制圧しなかったのだろうか。


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