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外野席からヤジを飛ばしてくる人たちの声はいつも大きい

反対意見、それも当時は無視することが出来なかった意見っていうのは、後から思うと「あなた達の反対意見ってのはゲームに全然関係ない外野からのヤジだったよね?」っていう話。

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15年くらい前に社内でファイルサーバーを統合しようって話があったんで、当時少しづつメジャーへの階段を登ってたLinuxを採用しようと考えてた時期がある。

しかし、統合しようとしてた他部署の他の管理者?から「Linuxは分からないから」という理由だけで猛反対されて、結局その計画はポシャって結局Windowsを採用することになった。「Linuxになったら俺は管理しないぞー」なんて脅されながら。

ちなみに、反対してきたその人は当時50歳位。すでに社内のITからは引退しかかっているポジションなのだが、その年齢が故に発言の影響力はそれなりにあったわけで...

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10年前にはOracleを導入するって時にOSはどうしようと話があって、やっぱりLinuxだろうと考えていた。

が、結局は一緒に導入するアプリケーションではLinuxでのOracleはサポート出来ないと言われ、WindowsサーバーにOracleを載せることになった。ちなみに、アプリケーションの開発元の営業担当者はLinuxでも問題ないといってたのだが、導入してくれたパートナー会社の人達はLinuxをよく知ってなくて動作の保証が出来ないという感じだった。

サポート出来ないと言われれば、リスクを取ってまでLinuxを導入しようとする経営者はいないわけで...

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でも、どちらの場合においても、反対してた人達は稼働後の運用にはほとんど関与していない。実際に泣きながら運用しているのは僕なわけである。
それだけではない。Linuxは分からないと言ってた彼らは、実のところWindowsだってそんなに分かってないのである。

まあ、これは少し極端な例かもしれない。ましてや、この2つの例でLinuxを選択していたら最終的にどうなっていたかは分からない。もしかしたら今より泣いている可能性もある。

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外野席に座ってヤジを飛ばしているという表現で書きたかったのは、「反対意見を言っている声が大きい人はどこに座っている?内野席に座っている?外野席に座っている?というのを見極める必要があるよね」ということ。もちろん敵チームが内野席に座っている可能性もあるし、熱心なファンが外野に座ってる可能性もある。

内野席に座ってる人の意見は尊重しなければいけないが、外野席に座っている人の意見は無視してもいいのでは?というより話半分で聞くのが良いと思う。
なぜなら、本当に物事を考えているのであれば自分の無知だけでの反対はしてこないはずだから。納得できる意見や他の解決方法を一緒に探ってくれるはず。

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そういうことを考えると、自分自身も外野席に座ってヤジを飛ばす行為ってのは、やめようと思う。亭々の場合は組織にとってマイナスになるということを自覚しながら。

内野席に座って一緒に解決方法を探っていきたいものですな。できればグラウンドに一緒に立つという勢いで。

(Photo by Phil Goodwin on Unsplash)

趣味のプログラミングにもいろいろとお金がかかって大変なんですわ。特に小遣い制の妻帯者は。