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映画「オッペンハイマー」を見てきたけど!

ついに!日本で公開されたオッペンハイマーをようやくIMAXで見てきました!

僕はノーラン監督の作品がわりと好きなのでオッペンハイマーは本当に楽しみにしていたんです。なので去年の夏に世界中でオッペンハイマーが公開されているなか日本だけが公開未定になっていることが本当に残念でなりませんでした。それには色んな理由があっただろうというのは分かるんですけど、見せないようにするというのは本当に悲しい。それは、結局のところ、誰かが日本の観客を信じなかったんじゃないかと思うんです。信じて公開してほしかった!

そこで僕は日本で見ることを諦めました。去年の秋にどうしてもノーラン監督の最新作が見たい!という会社の変わった先輩と一緒にマカオへオッペンハイマーを見に行ったのです。

なぜマカオか?それは字幕が漢字だからです。漢字は毎日読んでいるのだから、イケるんじゃないか!?と思ったわけです。

結果は当たり前ですが惨敗でした…笑。ノーラン監督作品史上最もセリフの密度が高かったんじゃないかと思うぐらい会話やボイスオーバーが多くて字幕がめちゃくちゃ早い。謎に自信があった漢字も全然読めない。それに加えて専門用語が多い映画だし、構成もノーラン監督らしく時系列を行ったり来たりします。英語のリスニング能力も無かった私たちは完全に取り残されてしまいました。結果、わざわざマカオまで見に行ったのに内容がほとんど分からないままオッペンハイマー体験が終わってしまったのです。

でもついに日本で映画が公開されました!きっと誰かが公開できるように努力してくれたのだと思います。ありがたいですね!早速、IMAXシアターで観に行きました。そして、ようやく日本語字幕で見て分かったんですけど、これは全然原爆の映画ではありませんでした!原爆開発者が主人公の映画なのに!

実はこれは予想済みのことではありました。アメリカ人の多くが原爆を落としたことを肯定的に捉えているという世論情報があったからではありません。なんとなく、これは宮崎駿監督の風立ちぬみたいな映画になるんじゃないかと思っていたからです。

風立ちぬが発表されたときも世間が少しざわつきましたね。今まで反戦を訴えてきた監督が、どうして零戦開発者の映画を撮ったのかと。しかも劇中では太平洋戦争の直接の描写はほとんどありませんでした。これは中国で公開されたときに批判されたことでもありました。零戦などの空襲で中国の街が焼かれたこと(重慶爆撃)を描くべきという批判だったと思います。

でも風立ちぬは傑作だと僕は思います。もちろん、零戦開発をプロジェクトXみたいに描いていたらまずかったと思いますけど、宮崎駿監督はそんなことはしませんでしたよね。堀越二郎は美しい飛行機が作りたかった。自分の理想を追究したかった。そこに戦争という舞台が用意されて、結果として国を滅した。堀越二郎は戦争で人を殺したかったわけではなかったが、明らかに兵器開発に寄与していた。それは本人もよく分かっていたはずだった…。二度も火の海になった街のシーンは切ないですよね。

映画も、自分の理想を実現させるための方法のひとつです。たとえその映画が誰かを傷つける可能性を秘めていたとしても、映画を作る人たちはピラミッドがある世界を望むわけですよね。そんな矛盾を抱えている宮崎駿が自分を投影した映画だと僕は思っているんですけどオッペンハイマーもそんな感じの映画になったりするのかな〜と予想していました。

日本人からすると、オッペンハイマーが原爆開発をするところまではまぁ良いとして、そのあと原爆が落とされた広島・長崎の悲惨な光景を映像化して、オッペンハイマーが死ぬまで苦悩し続けるみたいな描写が欲しかったのだと思います。はだしのゲンを読んでいたら、そう思うのも理解できますよね。でも映画の内容は全然違いました。

ノーラン監督の作品はとにかく観客に体験させることを最も重視しているんだと思います。インセプションなら夢の中の夢の中の夢に落ちた人間になったつもりになる。ダンケルクなら最前線の兵士になったつもりになる。TENETなら時間遡行する世界にいるつもりになる。そしてオッペンハイマー は観客にオッペンハイマーになったつもりになることを要求しているのです。厳しい要求ですよね。ノーランはオッペンハイマーを批判していないけど肯定もしていません。映画は人を裁くためのものだとは思っていないのでしょう。なぜノーランが映画館で映画を見せることにこだわっているかよくわかります。観客を箱に閉じ込めて、映画の世界に誘いたいのです。そして、映画の主人公と同じ体験をさせて、共感させたり、傷付けたり、驚かせたりしたいのだと思います。だから、オッペンハイマーという映画はなるべくオッペンハイマーの視点で描く必要がありました。

オッペンハイマーは戦後来日しましたが、広島・長崎には行っていません。劇中に、原爆が落とされた街の映像をオッペンハイマーが見るシーンがありますけど、その映像は意図的に観客に隠されています。それは、オッペンハイマーが見たくない、あまりにも認めたくない光景だったからだと思います。だから原爆を落とされた街がどうなったのか、映像を見せつけて悲惨な現実を観客に知らせることはしないのです。これは道徳的には正しくないが、演出的には正しいと思います。映画監督は、自分の見せたい映像だけを観客に見せて、見せたくないものは隠すことを目指します。特にノーランはこういう監督だから、オッペンハイマーを自分の映画にしたかったんじゃないかと思います。

映画の一番最後のオッペンハイマーとアインシュタインとの会話は実に印象的でした。君は最後に全てを赦されてみんなから勲章を与えられるけど、それは君のためではなく、みんなが自分のために与えるものだ、というものでした…。これは権威ある映画賞に対する皮肉じゃないかと、映画を見終わったあと会社の先輩と話したりしましたけど、流石にそれは考えすぎかもですね。

とにかくこの映画はオッペンハイマー体験映画であるので、音楽がずーーーっと鳴っていたのが面白かったです。ずっとリフレインされる音楽と、爆発的な音響効果とともに定期的にインサートされるイメージカットとが合わさると、オッペンハイマーの脳内まで体験できたような気になります。もちろん、”体験できたような気になる” だけであることは注意が必要ですけどね…。

ところで全然関係ないですけど、原爆投下候補地を決める会議のシーンで「京都はリストから除外しよう。妻と新婚旅行で行ったんだけど、歴史ある素敵な街だったからね」みたいなセリフがあるんですけど、「そんな軽い感じで原爆投下候補地を決めていたなんて許せない!」と怒っていた人がいました。けれどこれはフィクションなのです。なんかオッペンハイマーってどうしても映像が素晴らしいから歴史考証もちゃんとしてる雰囲気が出ちゃってるんですけど、このセリフは役者のアドリブらしいです…。このことからも、この映画が史実を明らかにする…!的な映画じゃないことが分かりますよね。ちなみに史実だと、京都は原爆投下候補地リストにしっかり載っていて、いつ落とされていてもおかしくない状態だったみたいです。京都は歴史的な建造物がたくさんあるからアメリカは原爆が落とさなかったという説を聞いたことがありましたけど、あれは嘘らしいですね。

原爆についての話が知りたければ、オッペンハイマーを見るよりもこちらの本を読む方が全然面白いと思います。

とはいえ、ものすごいクオリティでオッペンハイマーを体験できる映画になっているので、この映画を見た方が良いことは間違いありません。それも、できるなら映画館で見ることがやはりオススメです。

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