「8年前の悪夢-2」潰瘍性大腸炎入院日記#3

うう、いつまで経っても前日譚で今の入院生活に追いつかない。

ブラック目な会社での話の続きです。

そんな調子で、デザイン代が乗っていないような価格で、ただプリントしている他社の価格より安い設定だから、当然のことながら注文だけは殺到した。

そのしわ寄せは自然とデザイナー達に行く。自分も朝から終電まで働き、移動とご飯と睡眠以外は仕事という毎日。睡眠は数時間だったが、少しでも自分と世界とのバランスを取りたくてプレステの電源を押し、30分だけゲームをしたりした。

精神的にも肉体的にも厳しい生活を送っていたが、今となっては良かったと思えることもある。それは仕事の処理能力の速さが見についたことだ。恵まれない環境の中、死ぬほど追われる毎日のせいで、生産性を突き詰めないことにはその日の終わりは来ないから、生き残るためには早くならざるを得なかった。今もデザイナーのようなものを生業とさせてもらっているが、仕事が早いと言う評価をよくいただくのは、紛れもなくこの時の賜物だ。

話は逸れたが、そんな会社で、そんな生活を繰り返していたある日、自分の便がおかしいことに気づいた。

真っ赤なトマトスープのような便だった。

2、3日で元に戻るだろうと高をくくっていたが、いつまで立っても治らない。一週間を過ぎた頃、流石に不安になって病院へ行った。しかし原因はわからずだった。原因がわからぬまま1ヶ月が経ち、碌に食べ物も摂れないのでこのまま死ぬのかと思っていたら1ヶ月半あたりでぴたりと収まった。

一体何だったのかと疑問に思いつつも普通の食生活に戻っていった。

そのうち、この謎の血便患いのことは時々思い出しはするものの、過去の心配事として記憶の棚に捨て置かれた。

会社の方はというと、当然倒産して別の会社に部門だけ吸収された。

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