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ウェンバンヤマ特集:NBAまでの道のり

レブロン・ジェームズ:「彼はどちらかと言うとエイリアンだ。誰もまだ彼のように背が高いがフロアでなめらかで優雅な人を見た事がない」

ステフ・カリー:「彼は2Kでつくった選手のようだ…チートコードのような雰囲気がある;才能は確かで、それを観るのは素晴らしい」

ヤニス・アデトクンボ:「このゲームをプレーしたベスト選手の内のひとりになると思う」

ケヴィン・デュラント:「もしバスケットボールをプレーしていたら、あのような才能とスキルは笑顔にさせてくれる…彼が来た時、リーグは本当に困った事になる」

Woj:「NBAに入る最も期待された選手だ。そして、NBA史上もっとも偉大なプロスペクトだけではなく、チームスポーツの歴史でもっとも偉大なプロスペクトかもしれない」

これは誰の事を話していると思いますか?

そうです、彼らが話していたのは、2023年のNBAドラフト1位指名のヴィクター・ウェンバンヤマ(以下ウェンビー)の事です。高いのは7'5"(シューズ有り)の身長やそのポテンシャルだけではなく、NBAトップ選手たちからの評価も高いとは、さすがレブロン以来の逸材と言われているだけの事はあります。

今回はそんな「ウェンビーのNBAまでの道のり」をESPN(ドラフトスペシャリストのジョナサン・ギヴォニー&ブライアン・ウィンドースト)SI(現在ESPNのジェレミー・ウー)の記事等を通して紹介します。

プロになるまで

ウェンビーは2004年の1月4日にヴェルサイユ宮殿近くのル・シェネ で生まれました。3歳で読みを覚え、その数年後にバスケットボールをはじめたそうです。9歳のころはまだ神童ではなく、普通の少年で、サッカーや柔道をしたり、他の趣味を楽しんでいました。ちなみにサッカーではほとんどゴールキーパーをしていたそうです。

ウェンビーの父親のフェリックスは身長が6’6”で、走り幅跳びや高飛びの陸上選手でした。記録は100メートルが11秒、三段跳びは15.56メートル、幅跳びは7.41メートルだったそうです。またフェリックスの兄弟はバスケットボールコーチをしています。母親のエロディーは6’3”で、元バスケ選手でフランス代表になった事もあるそうで、現在はイヴリーヌのバスケットボール・アカデミーでユースのコーチをしています。ウェンビーは真ん中っ子で、姉と弟がいますが、兄弟全員が背が高く、姉のイヴ(21)は6’1”で、弟のオスカー(15)は6’6”だそうです。コンゴ人の曽祖父は7'の身長があったそうで、ウェンビー家の背の高さは遺伝が大きく影響しているようです。

姉弟で共通しているのは身長の高さだけではなく職業もで、全員がバスケ選手になっています。イヴはプロバスケ選手でモナコでプレーしていて、フランス代表にも選ばれている程の選手だそうで、オスカーはフランスの名門ASVELのユースに所属しています。

(ウェンバンヤマ一家:左から父のフィリップ、姉のイヴ、本人、弟のオスカー、母のエロディー)

ウェンビーのエージェントのボウナ・ンディアイェによると、両親が彼らの成長と育成に非常に重要な役割をしていたそうです。例えば、父のフェリックスは自分の子供たちに小さな頃から正しい走り方を教えたり、どうやって正しく階段を登ればいいのかなど体の使い方を教えたりと、体の基本的な使い方を身につけさせていました。母のエロディーはバスケットボール中毒だそうで、今は毎日コーチとしてユースの子供たちを鍛えているそうです。ウェンビーも母を手伝いながらバスケをはじめたそうです。このようなスポーツ一家で生まれ育った環境がウェンビーを逸材足らしめたのかもしれません。

10歳になったウェンビーはパリの郊外を拠点とするナンテールという中規模クラブのユースに入りました。ナンテールのコーチのカリム・ブーベクリのトレーニング・セッションは少なくても2時間のボールハンドリング練習からはじまって、もし練習に使う道具を忘れたらコートを30週走らされる程厳しいものだったそうです。

コーチのブーベクリはピート・マラヴィッチの「ピストル・ピートのホームワーク・バスケットボール」というビデオに影響されたため、子供たちにはマラヴィッチのような枠にはまらないドリルでドリブルとボールコントロールの基礎を教えていたそうです。例えば、指の正確さを身につけさせるために、サッカーのゴールキーパーのグローブをつけて練習させたり、ハンドリングを鍛えるために、ビニール袋に入れたボールでハンドル練習をさせたりしていたそうです。また、単調さをなくすために、選手たちには重りが入ったボールと普通のボールを入れ替えたりして練習を工夫していたようです。リーグのベスト・ボールハンドラーと言われているカイリー・アーヴィンもボールをビニール袋に入れてハンドリングを鍛えていたそうなので、その効果はかなりあったのではないでしょうか。

当時6’6”だったウェンビーはこのようにして、ボールをとられないような低いドリブルや、ガード並みのハンドルを習得していき、次第にそのDNAにマラヴィッチのインプロ・スタイルが刻まれていきました。ワンレッグ・スリーを試合で即興でやるようなアイディアもここから来ているのかもしれません。

ウェンビー:「カリムはみんなに同じドリルをさせていた。彼は私が背が高いからといって他の選手たちよりも下手だと見ていなかった。それが成長を助けてくれた。それは私たちが自分自身に挑戦するのを助けてくれた。」

ウェンビーのバスケスキルはナンテールに入ってからの1年間で急成長し、ボールを持ってハンドルすることも苦ではなくなり、ゲームで色々試すようになっていったそうです。その頃から、ウェンビーはプロのバスケットボール選手になる夢を抱き始めました。

この頃、ウェンビーの身長がその頃から規格外だったのが良くわかるエピソードがありました。ナンテールのプロクラブのコーチのマイケル・オーラードがユースの試合を見に来た時に、試合中にベンチに座っているウェンビーの身長があまりに高いので、彼のことをずっとアシスタントコーチだと勘違いしていたそうです。オーラードが、ウェンビーがコーチではなく選手だった事に気付いたのは、ウェンビーが試合にチェックインしてからでした。オーラードはその場でチームに彼をリクルートするように伝えたそうです。

12歳の頃には15歳と一緒にジュニアのトーナメントに出場していました。ウェンビーは出場選手の中でいちばん若く、観客の前でプレーするのがはじめてだったのにも関わらず、そのトーナメントでベストプレーヤーのひとりと言われた程の活躍をみせ、チームはトーナメントに優勝しました。後にウェンビーは大会を振り返って、「観客の前でプレーするのは大好きだった。でもひとつだけ後悔があるとしたら、それはMVPを獲らなかった事だ。優勝したが、私がMVPに相応しかったと思う」と話していました。

この頃からウェンビーはバスケの練習が本当に好きになったようで、練習後も何時間もシュートをしていて、迎えに来た父と母が練習を止めさせなければならいないほどだったそうです。ナンテールのコーチは、ウェンビーに練習を止めさせるのは「バトルだった」と振り返っています。

ジュニア時代

国内外のクラブがウェンビーに興味を持ったそうですが、ウェンビーはジュニアチームに家から近いナンテールを選びました。コーチたちをよく知っているのと、ナンテールがウェンビーのやり方でスキルを習得させる事にコミットしたのが大きな理由でした。プロクラブのコーチのオーラードが10歳のウェンビーをリクルートするように言っていた程なので、ナンテールはずっとウェンビーに目をつけていたのかもしれません。

ウェンビーは練習場近くの学校へ通いながらバスケに打ち込みました。14歳になると、ウェンビーは更にバスケに集中するためにナンテールの寮に引っ越す事にします。この時、ナンテールは背が高いウェンビーのために特注の長いベットを用意したそうです。

ナンテールのコーチたちは、ウェンビーに自分のゲームをプレーをさせる事に務めていたようで、彼が全てのポジションの事を学ぶために、5つのポジションでプレーする事を許してくれたそうです。また、コーチたちはバスケ以外でもウェンビーの事をサポートしてくれていました。その頃ウェンビーはまだ育ち盛りで、身長が1ヶ月に1センチづつ伸びていたそうです。骨の成長に筋肉の成長が追いつように、彼は「1日5食」摂る必要がありました。そのため、コーチたちはウェンビーが通う学校にオフィスを用意し、そこの冷蔵庫にウェンビーの食事を常備するようにしていたそうです。

この頃のウェンビーははまだ普通の中学生のように練習にシューズを忘れて来たり、スケジュールを忘れたりしていたそうですが、ワークエシックは優れていたそうです。ウェンビーはシュートする時に左手が開いてしまう悪い癖がありましたが、彼は自らその問題を解決するため、指が開かないように紙切れを挟んで練習し、その癖を克服したことがありました。

コーチたちにとってこの頃のウェンビーで最も印象的だったのはバスケのスキルではなく、マインドの方だったそうです。ウェンビーのメンターになったルーディー・ゴベアーは「彼は知識に飢えている」と言っている程、ウェンビーは好奇心が強く、サイエンスからコミックスや芸術まで、幅広く興味を持っています。そのためか、ウェンビーは試合での移動や宿泊時でするクイズの質問も良く当てていたそうです。例えば、「後ろに飛べる鳥は何だ?」というクイズの答えをウェンビーは知っていました。みなさんは答えがなんだかわかりますか? 答え:ハチドリ。

また、ウェンビーはドリルで学んだ事を翌日試合でできる程、記憶力とマッスルメモリーがすばらしいそうです。その能力はバスケ以外でも発揮されていて、ドラフト前はまだ2回しかアメリカに行った事がないのに、アメリカ英語の「R」と「th」の発音はアクセントを感じさせないほどうまいとの事。ウェンビー本人も「私は一度学んだ事は、残りの人生ずっと適用できる」と話していました。

(14歳の時のウェンバンヤマ)

14歳の夏には、殿堂入りしたパウ・ガソルやリッキー・ルビオを輩出したスペインの名門のバルサでゲストとしてミニカップでプレーし、バルサの3位入賞を助けました。バルサはそのままウェンビーをキープしたかったそうですが、ウェンビーはバルサのコーチが彼にミスを指摘せず、コーチングを厳しくしなかったのが気に入らなかったため、バルサからのオファーを断りました。その事についてウェンビーは「私は成長したい。私は自分自身にチャレンジする必要がある。だから、私が聞きたくない事でもハッキリ言ってもらいたいんだ」と説明していました。ウェンビーはスパーズのコーチのグレッグ・ポポヴィッチについても、「正直な関係だ。私にいつも本当の事を言ってくれないコーチたちがいたが、私はそれが嫌いだった…ポップは本当の事を言ってくれる。時々、それはキツいものだが、それが私が望んでいるものだ」と話しているので、ポップとの相性は良いかもしれません。

プロ時代

1. ナンテール 92

ウェンビーはジュニアの時、シニアチームの練習の前後で練習をしていたので、シニアの選手から名前を覚えられていたそうです。国際大会のために準備をする代表チームも時々ナンテールのアリーナを使って練習していたので、代表選手達も、身長が高いにも関わらずドリブルとシュートができるウェンビーウェンビーの存在に気づきはじめ、彼の事が次第に噂になっていったそうです。NBA選手でフランス代表だったニック・バトゥームもウェンビーを初めて見た時は驚いて、ウェンビーの練習を見るために代表のバスの帰りの出発を15分遅らせた程でした。そして、2018年の春に、ESPNのドラフトアナリストのマイク・シュミッツが初めてウェンビーの練習をビデオに撮り、ウェンビーの名前がNBAに知られるようになります。

その頃、ウェンビーは招待されたシニアチームでの練習で実力が認められ、シニアチームでプレーしはじめました。そして15歳のウェンビーはついに2019年の10/29にユーロカップのブレシア戦でプロデビューします。とは言っても31秒だけでしたが… しかし、記録は記録です。これで彼はユーロカップでプレーした選手の中で2番目に若い選手になりました。

フランスのシニアチームは通常18歳以上の選手たちで構成されるので、ウェンビーは15歳の頃から年上の強い選手たちの間で揉まれていた事になります。ただシニアチームではチームでの役割が決まってしまっていて、やりたくないセンターをやらされ、オフェンスの中心ではなかったそうです。そのため、海外のメジャーなスカウトがくるようなはじめての試合では精彩を欠いていまいました。ウェンビーその時の事を振り返って、「私の責任は本当にゼロだった。私はボールを持つ事がなかったし、練習でもだ。コーチは私をセンターでプレーさせた。試合でも私は苛立っていた。うまくいかないのはわかっていた。だからうまくいかなかった」と話しています。このような年上で経験豊富な選手たちと対戦しても、ウェンビーは常に最高を目指す負けん気の強さを持っています。これは彼のマインドセットを素晴らしく表現していると思います。

続く2020-21シーズン、ウェンビーはナンテールのシニアチームとU-21チームでプレーし、16歳でフランスのプロリーグのLNBプロAデビューを果たしました。ルーディー・ゴベアーとピックアップをした映像が出て話題になったのもこの頃です。

しかし、ウェンビーはシーズン中に腓骨のストレス骨折をしてしまいました。試合復帰までに2.5ヶ月かかりましたが、それからは試合に出してもらえるようになり、シーズンを平均6.8得点&4.7リバウンドで終え、リーグのベスト・ヤングプレーヤーに選出。また、フランス3部リーグのCentre Fédéralとも契約し、4試合に出場しました。腓骨の骨折をしたのがきっかけかもしれませんが、この頃から足に負担がかからないように、膝の並びに気をつけて着地する技術を習得し始めたそうです。

そのシーズンは18試合中10試合しか出場していませんでしたが、世界中からウェンビーの元にオファーが届くようになっていたそうです。NBAエグゼクティブたちも視察に来たり、メディアからの取材の申し込みも入り始めていました。次第に自分を巡る環境が変わって行く中、ウェンビーはステップアップする必要があると感じ、それまでの人生の中でも最も大きな決断を下しました。

2. ASVEL

ウェンビーは2021-22シーズンにナンテールからリオンを本拠地にするASVELに移籍する事にします。ASVELは元スパーズのレジェンドのトニー・パーカーがオーナーで、トニーの弟がヘッドコーチを務めるユーロリーグにも入る程の強豪チームです。ウェンビーの移籍はASVELの共同オーナーでもあるバトゥームもリクルートを手伝っていました。バトゥームは初めてウェンビーを見た後に、パーカーに電話をして、「この子はすごい。彼はクレイジーグッドになる。」と伝えたそうです。

実は、ウェンビーのエージェントのンディアイェはバトゥームのエージェントでもあり、バトゥームはウェンビー獲得のために自分のエージェントと交渉しなければいけなかったとの事。バトゥームはその時を振り返って、「私のエージェントに彼の選手との契約について話すのはおもしろかった。あれはヤバかった。クレイジーだった」と話していました。

ビッグクラブに移籍したウェンビーですが、そのシーズンはステップアップどころか病気とケガに悩まされたものになってしまいました。シーズン最初の4週間を病気で欠場し、その後11月に指の骨折で2~3週間欠場、12月には右肩の骨挫傷で4~6週間の欠場になってしまいます。6月のLNBプロAリーグのプレーオフのセミファイナルズの試合では腰筋を痛め、残りシリーズ欠場になってしまいます。ウェンビーは思ったような活躍ができませんでしたが、ASVELにはその影響はなく、球団は21度目のリーグ優勝を果たしました。それでもウェンビーは再びベスト・ヤングプレーヤーに選出されました。

ASVELにはベテランが多く、ケガを3回した影響もあったのか、ウェンビーのプレー時間は1試合平均17分しかありませんでした。優勝のプレッシャーがあるチームにとって、10代の若い選手が犯すミスへの許容度も低かったのは間違いないでしょう。また、ユーロリーグ戦&リーグ戦と試合数も多く、思ったように練習が出来きませんでしたそうです。NBAへの準備をしたいウェンビーにとって良い環境とは言えません。

次の2022-23シーズンはNBA行き前の大事なシーズンになります。ウェンビーはオーナーのトニー・パーカーからは、彼を中心にしたチームづくりをすると約束を得ていましたが、チームは勝たなければいけませんし、選手たちのロールも決まっています。強豪のASVELがまだ10代の彼を中心に回る保証はありません。

ウェンビーは長く健康的なNBAキャリアを過ごすためにはどうするべきか考えました。結果、ウェンビーは方向転換をして長期的な視点を重視し、ユーロリーグ出場よりもプレータイム/休み/ケアを優先する事にしました。NBAに行くためにはもっと練習して、もっと成長しなくてはいけません。ウェンビーはそのためにASVELからオプトアウトして、新しいクラブを探しはじめました。それが昨シーズンプレーしたメトロポリタンズ92です。

3. メトロポリタンズ92

メトロポリタンズ92はパリを本拠地とし、地元ではメッツと呼ばれ親しまれているフランス1部リーグのクラブです。前前身のParis-Levallois Basket時代には降格したり、昨年は資金調達に失敗したりとあまりパっとせず、ASVELとは比較もできなさそうなチームです。しかし、タイミングが良い事に、メッツには大きな契約も契約中の選手も多くなく、ウェンビー中心のチームづくりが可能でした。メッツでならユーロリーグもないので定期的に練習ができ、試合で質が高いレップを積める事が期待できました。

問題は、そのようなチーム運営をしていると、チームが2部に降格してしまう事でした。しかもウェンビーとの契約は、NBA行きが確実なため1年のみ。それでもメッツは降格覚悟でウェンビーと契約する事にしました。このような異例な契約を可能にしたのはメッツのプレジデントのボリス・ディアウ(元NBA選手でスパーズでも優勝した事がある)のおかげかもしれません。

メッツのヘッドコーチのヴィンセント・コレットもその前のシーズンで辞任して、2024年のパリオリンピックの代表コーチに専念するつもりだったそうですが、ウェンビーをコーチするためにチームに残る事にしました。コレットはフランスでは史上最もリスペクトされているコーチのひとりで、フランスリーグのコーチ・オブ・ザ・イヤーを5度受賞し、代表チームを14年率いている有名なコーチです。

コレットはウェンビーに対して、NBAで1巡目指名されたニック・バトゥームやフランク・ニリキーナらとは違うコーチングをしました。ウェンビーのミスを許容し、悪いショットを撃たせ、リーグ優勝を目指すチームができないような育て方をしました。ウェンビーはジャンパーが好きで、ワンレッグ・スポットアップやプルアップを撃ったりしていましたが、もし15年前にバトゥームがそれと同じ事をやったらすぐに試合から下げられていたそうです。しかし、メッツではウェンビーがやりやすいように全てがセットアップされていて、コレットも自分の主な仕事は彼をNBAのために成長させる事だと理解していました。

コレットは試合でもNBA入りを念頭においたプレーをするようにしていたそうです。相手チームはウェンビーに違う戦術をぶつけてきて、ボールを持たない時でもダブルチームしたり、マッチアップをセンターではなく強いフォワードにして高さを強さで消そうとしてきますが、コレットはウェンビーに外に出ずにもっとも効率よくボールをもらう方法を教えていたそうです。練習の前後にやるフィルム・セッションは、ウェンビーが世界で最も速く、強く、大きい選手相手にプレーできるようにするためにやっていたそうです。

コレット:「これはとてもスペシャルでユニークだから続ける事にした。2024年のパリ・オリンピックにフルタイムで集中する準備をしていた。でも私はキャリアで二度とこのポジションにいない。彼が行けるところまで行くのを助けられたら、私はとてもハッピーだ」

ウェンビーはコレットについて次のように話しています。ウェンビー:「彼はバスケットボールのバイブルのような人だ。彼は私に自由を与え過ぎないので、私は自分とチームメイトをどう良くしていけるか考える事ができている。私は今シーズンすでに何100万回もミスをした。でも私は自分たちがチームとして成長していると思う。私たちは良く会話をする。彼は怒っている時でもいつも丁寧に説明してくれる」

チームプレジデントのディアウがウェンビーについて:「彼は特定なプレーをしたがっている。彼にはビジョンがあり、基本的にやりたい事をやり、それを自分がやりたい方法で達成している。同時に、彼はリスペクトがない訳ではなく、自分の事だけやっている訳でもない。彼はまだコーチャブルだ。それはとても大事だ」

最優先事項がウェンビーの成長と彼の健康を守る事であるメッツのシーズンはどうだったかと言うと、結果降格どころか、リーグで優勝争いを続け、23勝11敗のリーグ2位でレギュラーシーズンを終え、プレーオフではウェンビーの古巣のASVELを撃破してファイナルズに進んでいます。残念ながらファイナルズではモナコに破れてしまいましたが、降格覚悟で始めたシーズンを大成功で締めくくる事ができました。

ウェンビーはもちろんメッツの快進撃の立役者で、リーグ平均21.6得点、10.4リバウンド、3ブロックを記録し、リーグのMVP、ベスト・ヤングプレーヤー、ベスト・ディフェンダー、トップ・スコアラー、ベスト・ブロッカーに輝きました。またオールLNB・ファーストチームにも選出されています。繰り返しますが、彼はまだ19歳です。さすが史上最高のドラフト候補のひとりだと言われる事はあります。

ウェンビーの健康管理

ウェンビーの身長は7”4’ですが(靴を履くと7”5’ )、登録体重は230ポンドとかなり細い選手です。このようなタイプの選手はケガが多く、1000試合以上出場した選手はほとんどいません。7'2"以上の選手で1000試合を超えているのは、1560試合出場した7'2" & 225ポンドのカリーム・アブドル・ジャバー、1196試合出場した7'2" & 245ポンドのディケンベ・ムトンボくらいではないでしょうか。ちなみに7'3"で240ポンドのクリスタプス・ポージンギス(27)の出場試合数は8シーズンで402試合で、7'6"で310ポンドだったヤオ・ミンは9シーズンで486試合出場のみでNBAから引退しています。7’3”以上の選手の最多試合はマーク・イートンの11シーズンでの875試合ですが、その頃のバスケは今のように走行距離が長かったり、瞬発系の動きが多かった訳ではありません。スペースが広いモダンバスケで、ウェンビーがイートンの試合数を超える保証はどこにもありません。しかもまだ成長は止まっていないようで、更に身長が高くなる可能性もあります。

また、NBAの試合数が多い事も懸念されています。フランスリーグは9/23~5/17のおよそ8ヶ月間で行われ、その試合数は34試合になり、単純に計算すると週に1試合しかありません(ユーロリーグは抜き)。NBAに入れば、それが週平均3.5試合に増え、体への負担は大きくなります。スパーズならロード・マネジメントを最大限活かしてくるでしょう。ウェンビーはロード・マネジメントに関してはまだあまり理解しておらず、「謙虚にできるだけはやくNBAの事を学びたい」的な事を話していたので、その辺りはスパーズに任せていくのでしょう。まずはROY受賞資格ぎりぎりの65試合以上の出場を目指してくるかもしれません。

身長が人よりも高いウェンビーがNBA入りの準備をするためには、ゲームのスキルに磨きをかけるだけではなく、健康管理も重要でした。それを良く理解しているウェンビーは、他チームから専任トレーナーを引き抜きました。それがギヨーム・アルクィアーです。彼の仕事は、ウェンビーがストレス系のケガをしないためのトレーニング&リカバリーのプログラムを考案すると同時に、スケジュールが厳しくなるNBA入りの準備をさせる事でした。

アルクィアーは特に鍛えていたのはウェンビーのでした。なにしろウェンビーのように長くて幅狭な足のサイズはUSサイズ20.5で、スポーツでも滅多にない程の規格外のサイズです。ChatGPT調べでは、アメリカの20.5を日本のサイズに換算すると35.5~36になるそうです。そのような大きな足では「走る時に体を押し出す時に親指に大きなプレッシャーがかかってしまう」そうで、親指のケアに多くの時間をかけていたそうです。親指の鍛え方も独特で、体の安定性の改善するために、トレーニング用のゴムバンドを足の親指で押したりするエクササイズを取り入れていました。また、着地後にすばやく動くために、足を強化して、着地とジャンプの安定性に力を入れていたそうです。

ワームアップ・ルーティーンでは、アルクィアーはウェンビーを裸足にさせて、つま先で這わせてコアを強化したり、立ったままつま先だけを使って前進させたり、ボディー・アクティベーションしていました。

(試合前のワームアップ Photo by Jim Poorten/Getty Images)

また、速筋とハンドアイ・コーディネーションを鍛えるためのテニスボールのジャグリングを取り入れたり、試合中ではベンチに長く座って体が硬くならないように、スクワットやジャンプなどの簡単な動きをキープしてアクティベーションしたりと、なるべく普通の動きで彼の動きとコーディネーションを研ぎ澄ますような工夫をしていたそうです。

練習では、90分前にワームアップ・ルーティンと軽く筋トレをはじめ、ウェンビーのその日の体調に合わせて流動的なドリルをするようにしていたそうです、

このようにウェンビーはケガをしないために、いろいろな方法で体の特定部分を鍛えてきていますが、筋肉はあまりつけないようにしているそうです。まだ成長が止まっていない時にバルクアップして体重が増えてしまうと膝や関節に影響してしまいます。NBAでは激しい当たりに負けないようにバルクアップする必要があるという考えが一般的ですが、ウェンビーにとっては筋肉をつけるという選択肢はないそうで、それは本人も「交渉の余地はない」と言っている程反対しているようです。

ダーク・ノウィツキーと一緒に数十年やってきたドイツ人コーチのホルガー・ゲシュウィンドナーの影響も大きいのかもしれません。ウェンビーは昨年ドイツで10日間ゲシュウィンドナーのトレーンングを受けに行き、その時にゲシュウィンドナーから筋肉を付けすぎるとキャリアを危険にさらす恐れがあるからそれはだけは避けるように懇願されたそうです。ゲシュウィンドナーは、「ウェイトは時間がたてば身につくが、ウェイトに集中するのは間違いだ。私はそれについて100%確かだ。ヴィクターの体にウェイトを早くつけると長続きしない。ケガばかりになる。」と言っていたそうです。確かに、7’0”のダークも245パウンドでバルクアップしているとは言えませんでした。ウェンビーはドラフトされた後も「バルクアップはしないが強くなる」と話しています。

アルクィアーが他にも力を入れているのはリカバリーで、ウェンビーに睡眠を最低10時間睡眠を義務付けているそうです。アルクィアーとパリにいるエージェントのジェレミー・エジアナウェンビーはきちんと睡眠時間を取っているかウェンビーに報告させていました。エジアナはウェンビーには10時間ではなく最低11時間は寝て欲しがっているとの事。そのためエジアナはウェンビーの昼寝のためのスケジュールをきっちり空けるようにしているそうです。シーズン中のウェンビーの毎日のルーティーンは、睡眠→食事→フィルム→練習→食事→睡眠→食事→ワークアウト→ストレッチ→食事→睡眠だったようですが、食事は1日5食とっていたとの事なので、どこかのタイミングで何かつまんでいたかもしれません。

これらの効果があってか、プレー時間が増えたにも関わらず、ウェンビーは昨年のASVELとはうってかわってメッツでは1試合も欠場していません。これがNBAでも続く事を祈っています。

バスケ以外のウェンビーの事

● エンドースメント

ウェンビーが凄いのはバスケだけではありません。それに打ち込むためのコミットメントも並外れているます。というのも彼はNBA入りの夢に集中するために、巨額のエンドースメント契約を断っていたのです。エジアナ曰く、もし全て受け入れたら$100Mは稼げていたとの事。企業は彼に商品をプロモートしてもらいたくてプレゼンをしたがっていましたが、ウェンビーはそれを望んでいなかったので断っていたそうです。

エジアナ:「お金は稼げるけど、バスケをプレーできなければハッピーにはならないし、ゲームをプレーすればハッピーになれる。金ではない。金は稼げる」

● 趣味

ウェンビーは読書好きで、時間があれば本を読んでいるそうです。好きなジャンルはファンタシーやサイエンスフィクションで、毎晩寝る前はバスケットボールから気持ちを切り替えるために本を読んでいます。また、子供の頃から絵を描くの好きで、滞在中のホテルで絵を描く時もあるようです。昨年3週間ダラスでワークアウトした際、彼の最初のリクエストの中のひとつに画材があったそうです。

他に好きなものは、エムバペ、HBOの大ヒットシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」、スターウォーズが好きだそうです。スターウォーズで特に好きなのが「Star Wars: Episode III シスの復讐」 とStar Wars: Episode II クローンの攻撃」だと話していました。

ウェンビーは趣味について、「私は時々5分とか2時間とか絵を描く。移動する時もスマホではなく本を読む。クラシック音楽が好きで、芸術を学んだ。」と話しています。ウェンビー:「私の心の中にはとてもたくさんのことが心の中をかけめぐっている。つまらないと思ったことはない。」

このような趣味からも感じられるように、ウェンビーはバスケ選手以前に、人間としての高い資質を持っているように見えます。ウェンビーはドラフト前にJJ・レディックのポッドキャストに出演し、人生の根本原理について「私の根本原理はバスケットボールよりも大きな何かだ。それはただの人生で、それはただこの宇宙の中であなたが達成するものだ。私がモチベーションが必要な時、私がエナジーを必要な時、私が疲れている時、私がコートで戦う必要がある時、私はいつも思い出す。私はこの宇宙で自由なんだと。私はなんでもできるし、自分が何をしたいかわかっている。私がそれをする事を何も止める事はできない」と話していて、レディックからまだ10代なのに悟りを開いていると驚かれていました。

身長が高いウェンビーは着られる服も限られているので、旅行の時などで荷物が紛失したりすると代わりの服を買えずに非常に困った事になります。それが昨年の夏にサンディエゴに行った時に実際に起きてしまいました。その危機的状況にあったウェンビーに助けの手を差し伸べたのがルーディー・ゴベアーでした。その時ゴベアーはちょうどオフシーズンに過ごすロスの家にいて、ジーンズやシャツやシューズをスーツケースに入れてUberでウェンビーの元に送ってあげたそうです。それでもサイズは少し小さかったのかもしれませんが…

● その他

  • 高校から毎日瞑想をしていて、何をやるべき事なのか考える時間をつくる。

  • 特にデュラントのフットワークと7フットの体格を優位に活かすための方法を研究している。

  • ひとりでは動きまわれない。ドライバーを雇っていて、時としてボディーガードもつける。

  • インスパイアされるバスケットボールとして2010年代のウォリアーズをあげた。ウェンビー:「彼らは勝ち、自分自身を楽しみ、それを自分たちのスタイルでやった。」

  • 14歳の時、トニー・パーカーやボリス・ディアウを生み出したINSEPでも練習をしていた。

  • ウェンディーはリセに飛び級入学した。「アース&ライフ・サイエンス」と「ソーシャル&エコノミック・サイエンス」を専攻して卒業。

  • エージェントのボウナ・ンディアイェの息子はウェンビーの母からバスケを習った。

  • プロデュースしているドキュメンタリーもある。


参照サイト:Victor Wembanyama explains why he rejected FC Barcelona offer/Victor Wembanyama/Inside the decade-long plan to bring Victor Wembanyama to NBA glory/The man behind keeping the 7-foot-5 Victor Wembanyama healthy/What Victor Wembanyama is leaving behind for the NBA/Why Nic Batum knew a 14-year-old Victor Wembanyama was 'the next one' and their deep French connections

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