ロンゾ・ボールの復帰までの道のり
今日はクリスマスイヴ(米時間)で試合もなく、比較的ニュースもスローなので、ブルズのロンゾ・ボールの1000日にも及ぶ復帰までの道のりを描いた記事を紹介します。
本当はペリカンズのボールボーイがテクニカルを受けたり、サンズがナーキッチを売り出した&バトラーのトレードでヒートと会話をしていたり、レイカーズは9日前にヴァランチュナスをトレードできた話なども盛り込みたかったのですが、記事が長いため割愛させていただきます。
それでは、ESPNのラモナ・シェルバーンとジャマル・コリアーの力作をお楽しみください。(*訳は重要と思われる部分だけ抜き出しているので、内容全部に興味がある方はオリジナル記事のリンクをクリックしてください)
ロンゾ・ボールはNBA復帰までの1,000日間をどのように過ごしたのか
オールスター休暇中、ボールは膝を貫く痛みを遮断するために、神経ブロック手術を受ける決意をしてソルトレイクシティーに飛ぶことにした。彼は早めに空港に到着して、搭乗ゲートまで歩く時間を確保した。何をするにも時間がかかった。階段、エスカレーター、セキュリティチェックポイント。そして荷物を運ぶことさえも。
フライトは約3時間の予定で、午後7時35分に出発するはずだった。その少し前に、ボールは他の乗客と一緒に搭乗したが、フライトアテンダントがメカニカルな問題があると発表したため、飛行機を降りることになった。ボールはゲートに残り、何時間も新たな情報が出るのを待った。彼は冷たいカーペットが敷かれたオヘア空港の床に横になり、ヘッドフォンをつけたまま我慢した。この長くてイライラするリハビリの旅が彼に教えたことがあるとすれば、それは怒っても物事が早く進むわけではないということだった。
さらに何時間も経った後、彼は再び飛行機に搭乗し、シカゴの有名な除雪チームが滑走路をクリアすることを願った。しかし、また1時間が経過して、フライトアテンダントが離陸するのは安全ではないと発表した。全員が再び飛行機を降りることになった。
翌朝の午前9時、そのフライトはようやく離陸したが、ボールはその便には乗っていなかった。
「振り返ってみると」と彼は言った。「行かなくてよかったのは、ある意味で幸運だった」
ユタに行って神経ブロックを受ける代わりに、ボールはロサンゼルスに向かって新しい計画を立てた。彼はバスケットボールを再びプレーしたかった。しかし、現時点で彼にはもっとシンプルな目標があった。それは、愛犬と散歩をすること、そして娘と遊ぶことだった。
最初は軽い膝の怪我だと思われていたものが、1年以上のリハビリを経て、彼をさらにコートから遠ざけた。階段を上り下りするだけで膝がズキズキと痛んだ。走るような動作は耐え難い苦痛だった。そして何よりも最も深刻なのは、最新のMRIの結果が、最初に怪我をした時よりも悪化していたことだった。
回復には本来60日もかからないはずだったのに、すでに400日が経っていた。
「文字通り、膝を開けて中を調べるだけの手術を受けたんだ」とボールは2022年9月に行った手術について話した。「まるで捜索救助みたいな感じだった。その時に思ったんだ。『もうこれ以上こんなことはしない。目標を決めて、みんなを呼んで計画を立てないと』ってね」
彼はすでに2度の手術を受け、MRI検査、注射、何ヶ月もの厳しくて痛みを伴うリハビリを経験していたが、その努力はほとんど成果がなく、膝の痛みは消えなかった。膝に響く痛みは依然として続いていた。彼は根本的に新しいプランが必要だと分かっていた。それがさらにもう一度の手術を意味するとしても、それがNBAの選手の誰も試したことがなく復帰した前例すらないものだったとしてもだ。
「私たちは本当にいろいろな方法を試した。...最終的に『もうこれしか残っていない』って結論になったんだ」と、ボールの整形外科医であるブライアン・J・コール医師が言った
「まさに最後の賭けだった」
ボールが1,009日に及ぶ前例のない旅を歩み始めることになったプレーは、まったく印象に残らないものだった。
それは2022年1月12日のウォリアーズとの試合の前半でのことだった。ボールがディフェンスをしていて、ダウンスクリーンを抜けた時に膝を詰まらせるような感覚を覚えた。
NBAではこうしたことは日常茶飯事だ。ほとんどの場合、選手はそれを気にせず、試合後にアイシングをして、次の日にはまたプレーする。ボールもこの時は試合を離脱することはなかった。しかし、2Q残り4分の場面でレイアップを決めた後に着地した時、再び膝を詰まらせて、「これはちょっとおかしいかもしれない」と思いはじめた。
翌日、ボールは左膝の痛みのために試合を欠場した。当初は誰もが軽い怪我だと思っていた。しかし1週間後、ヘッドコーチのビリー・ドノヴァンが、ボールがチームの治療プランに反応していないため、さらなる検査が必要だと発表した。その翌日、ボールは左膝の骨挫傷と軽度の半月板損傷と診断され、関節鏡手術が必要だとされた。回復期間は6~8週間で、プレーオフに間に合うと見られていた。
6週間後、ブルズはチーム練習施設でボールがウエイトトレーニングをしたり、ランニングをしたりしている映像を公開した。ボールはその映像の中でこう語っている。
「調子はかなりいい感じだ。もちろん、ゆっくりしたプロセスだけどね。できるだけ早くコートに戻りたい」
しかしその直後、膝に痛みが広がり始めた。彼はコートで全力疾走を試みたが、膝が痛んだ。次にブルズのトレーニングスタッフはトラックでのランニングを提案したが、それでも痛みは消えなかった。さらに負荷を下げて、足を高く上げて歩いたり、スキップする練習に切り替えたが、それでも痛みは残った。
「ある日は効果があるんだけど、それが1週間続くこともあれば、またすぐに膝が痛み出すこともあった」と、ブルズのアスレチックトレーナーであるブライアン・セラーノは言った。「そしてどんどん悪化していった」
「最初は4~6週間で戻ってきて、プレーオフに間に合うって思ってたんだ」とボールは語った。「いいチームだった。復帰までに数週間あって、準備して、私は問題ないと思っていた」
「それが実現しなかった時、私たちはあらゆる注射とかそういう方法を試しはじめた。神経を殺そうとしてたんだ。でも、『これは全然いい感じがしない』って思ったんだ。いろんなことをやったけど、それが何一つ良い結果に結びつかなかった」
4月28日、ブルズがプレーオフのファーストラウンドでバックスに敗退してシーズンが終了した翌日、怪我から3ヶ月以上が経過していたが、ボールはイグジット・インタビューに臨んだ。彼は何の答えも持っていなかった。
彼は膝の回復が完全に停滞していると言った。
かつて才能を評価する人々は、ボールがゲームを愛しているのか、それとも父親によって特定のやり方でプレーするように訓練されたのか疑問に思っていた。それを冷静な意思決定と見なす人もいれば、情熱が欠けていると感じる人もいた。
ラヴァー・ボールと彼の3人のバスケをする息子たちが初めて世界に知られるようになってから8年が経った。ビッグ・ボーラー・ブランドが生まれ、$495の靴が売られた(そのうち実際に届いたものもあった)。
それはセンセーショナルな話であり、ラヴァーはそのすべてを絞り取ろうと決意していた。彼は家族をFacebookのリアリティ番組「Ball in the Family」に出演させ、最年少の息子ラメロを高校を中退させて、ジュニア・バスケットボール・アソシエーションという自分のバスケリーグを立ち上げた。そして、ビッグ・ボーラー・ブランドを拡大し、衣料品ライン、ボトル入りの水、さらにはホットソースまで販売した。
彼らは本当にNBAのバスケットボール選手になりたかったのか、それともラヴァーが望んだような選手にさせられただけなのか?ロンゾは本当にビッグ・ボーラー・ブランドのシューズを履きたかったのか?
「私は高校時代からアディダスっ子だったから、それが自分の進むべき道だと思ってた」とボールは言った。「でも、実際には言われたことは違った。誰も私とパートナーシップを結びたがらないって言われ、父が『このブランドでキメろ』って言ったんだ。それで、私は『オーライ』って言ったんだ」
ボールが言うには、問題は2017年のNBAサマーリーグで履くために父親が作った最初のシューズが履ける代物ではなかったことだ。
「それはキックボールの靴みたいだった」とボールは言った。その夏、彼はそれを2回しか履かなかった。彼とマネージャーのダレン・ムーアはラスベガスのフットロッカーに行き、毎試合違うシューズを買いに行った。ボールはエア・ジョーダンXXXI、ナイキ・コービーA.D.、アディダス・ハーデンLS、アンダーアーマー・カリー4を履いて、サマーリーグMVPを獲得した。
最終的に、ビッグ・ボーラー・ブランドはスケッチャーズと契約し、シューズの製造をはじめた。ボールはルーキーシーズンの間ずっとそれらのシューズを履いていた。しかし、ボールはそれらのシューズにも満足していなく、彼はそれがルーキーシーズンの2018年1月に負った半月板の怪我の原因になった可能性があると考えている。
「正直なところ、それは確実にあり得ると思う」とボールは言った。「あのシューズを履き始めるまでは、そんなに怪我をしていなかった」
2018年、ボールは最も早く回復できる手術を選び、初めてのシーズンでレイカーズのプレーオフ進出を手伝いたいと考えた。それは膝に問題がない20歳の選手としては正しい選択のように思えた。ボールは15試合を欠場し、オールスター休暇後に復帰したが、その頃にはレイカーズはウェスタン・カンファレンス8位から8ゲーム差のところにいた。3月末にプレーオフ争いから脱落すると、レイカーズはボールをシーズン終了まで休ませた。
この6年間で左膝に関するすべての問題を振り返った時、ボールはNBAに入る前からすでに自分の膝には軟骨の問題があったのではないかと思うことがある。コンクリートの上でプレーしたり、チノヒルズ・ステート・パークでスプリントをしたりしたためだ。
「私の叔父はいつも、『お前ら外でプレーしすぎだ』って言ってたんだ。なぜなら、私たちはバックヤードでとてもハードにプレーしてたからだ。それがコンクリートの上だったんだ」とボールは言った。「それが少なくとも15年続いてた。そんな長い間そんなことをしていれば、膝に良いわけがない」
彼はそのすべてについて何年も考えてきた。屋外コート、スプリント、シューズ。なぜこんなことが自分に起きたのか、疑問に思い続けた。問い続け、疑い続けた。そして、そんな時間の中で、唯一感じなかったのは後悔だった。
「私があんなことをしていなかったら、今の自分にはなっていなかったと思う」とボールは言った。「あんなに頑張ったんだ。それは痛かったかもしれないけど、それが私たちをつくり上げたんだ」
もはやこれが彼の夢なのか父親の夢なのかは疑っている人はいない。彼がゲームを愛しているのか、単にそれをプレーするように訓練されていたのかは疑っていない。
「私は人生ずっとバスケットボールを愛してきた」とボールは言った。
ジョン・マイヤーは、必死のアスリートたちから絶えず電話を受けている。ロサンゼルスで有名なリハビリ専門家である彼は、アスリートたちが直面する厳しい怪我や複雑な手術を乗り越える手助けをすることを生業にしてきた。
彼がロンゾ・ボールと初めて会ったのは2022年5月で、それはブルズがこの一見小さな問題がなぜ改善しないのか新たな視点を求めて彼に依頼した時のことだった。
マイヤーはボールをロサンゼルスのバイオメカニクスラボで最先端のテストを受けさせた。人工知能を活用した筋肉解析を行う高速MRIマシン、三次元カメラ、フォースプレートを使って、ボールの体全体の筋力プロフィールを作成した。データによると、ボールは股関節と膝の筋力を強化する必要があるのが分かったので、オフシーズンはその強化に焦点を当てた。
「リハビリを進めながら、復帰を目指して取り組んでいたが、彼は膝をさらに痛めていった」とマイヤーは言った。彼らはMRIを繰り返し撮影したが、ボールの痛みの原因を見つけることができなかった。
ブルズは、ボールの回復を助けるためにオフシーズン中にセラーノをロサンゼルスに送りこんだ。彼らは、ボールがチームの原動力であると考えていて、次のシーズンでの復帰を期待していた。
「ボールはすべてを試して何でもやる覚悟だった」とセラーノは言った。「もし8時にここに来てくれと言ったら、彼は8時にここにいた・・・毎日、マニュアルセラピーやストレッチ、筋力トレーニングをしていた」
6月のNBAドラフトで、ブルズのGMであるマーク・エヴァースリーは、ボールがトレーニングキャンプに間に合うかどうか聞かれ、エヴァースリーは、彼が間に合うことを願っていると答えた。
一方、ロサンゼルスでは、ボールは片足スクワットさえもほとんどできない状態だった。彼は小さな椅子に座り、左膝を曲げ、右足をまっすぐに保つという方法でスクワットを試みていた。その痛みは激しく、やわらぐことはなかった。
最初の手術から8ヶ月が経っていた。著名なアスリート専門の整形外科医であるニール・エラトラッチ博士、ブルズのチーム医師でもあるブライアン・J・コール、マイヤー、そしてボールのエージェントやブルズのフロントオフィスの代表者たちが集まり、新たな回復プランを策定した。コールによれば、ボールは2022年の残りの期間に少なくとも5人の膝の専門医を訪れたという。
「全国から意見が集まったんだ」とコールは言った。
トレーニングキャンプが近づく中、彼らは二度目の膝の手術を行うことを決定した。それは正式には「鏡視下デブリードマン」と呼ばれ、以前の手術で損傷した組織、骨、軟骨を取り除く処置である。非公式には、ボールはこれを「捜索&救助ミッション」と呼んでいた。この手術は海上で遭難した人を探すために海上保安庁が行うようなものだった。
8ヶ月で2回目の手術を控えた1日前、ボールはロサンゼルスからZoomで記者たちと会話をした。「まだバスケができないんだ」と彼は言った。「走れないし、ジャンプもできない。膝が曲がった時、30度から60度の範囲で力が出ないんだ。自分を支えられない。リハビリはしたけど、良くなっていたけど、実際に全速力で走ったりジャンプしたりできるところまで行かなかった。だから手術が次のステップだった」
シーズンはじまりでボールが離脱したため、ブルズは11月中旬に勝率5割を切った。ボールは月に1回程度、リハビリのためにシカゴに戻り、そのたびにチームメートたちはよろこんで彼を迎えた。
5ヶ月後の2023年2月、ボールは新たな痛みを感じはじめた。それは関節の内側、股関節の体重を支える部分だった。別のMRIで、その部分の軟骨が骨から分離し始めていることが分かった。ブルズは彼をシーズン残りを欠場させることにした。痛みを和らげるために、ソルトレイクシティーで広範囲な神経ブロックを受けることが提案された。
「彼は本当に苦しんでいたんだ」とマイヤーは言った。「なぜまだ痛むんだ?ということをただ理解しようとしていた」
「その時点では、私たちはバスケットボールのことよりも、彼の人生について話していたんだ」
ボールはまだ25歳だった。彼には娘のゾーイがいて、一緒に遊んだり、走ったりしたかった。ガールフレンドのアリー・ロッセルもいた。それでも、ボールはその会話に乗る準備ができていなかった。
「誰も教えてくれないことが本当に嫌だった」とボールは言った。「プロフェッショナルなのに、私に対しての解決策は何もないのか?って思った」
「私にとってはしっくりこなかった」
空港で雪嵐に足止めされ、我慢の限界を超えた。
メイヤー、コール、エラトラッチ、セラーノ、そして当時ブルズのパフォーマンス・ヘルス部門のディレクターだったチップ・シャエファーは、新しい計画を立てるために新たな一連の電話会議を開いた。
これはもう痛みの問題でも半月板の問題でもなかった。さらに、軟骨の劣化問題も加わり、治癒を促す注射では効果を得られなかった。古い軟骨を修復しようとするのはただ時間を無駄にしていただけだった。
彼らは、ボールが通常の生活を取り戻し、もしかしたら再びバスケットボールをプレーできるかもしれない最善の方法は、ボールの軟骨を解剖用の死体ー彼の年齢に近い人のーから取った軟骨と交換することだと考えた。そこには組織拒絶反応のリスク、移植片が保持できないリスク、そして軟骨移植がNBAの試合の力や衝撃に耐えられるかどうかという現実的な問題があった。
これは、コールが何度もNFLやNHLの選手に手術をして成功してきたものだが、バスケットボール選手に対して試すのは初めてだった。
その回復にはさらに18ヶ月が必要だった。
もし何かがうまくいかなかったり、またはすべてがうまくいったとしても、もしボールが以前の80%の運動能力しか取り戻せなければ、彼のプロバスケットボール選手としてのキャリアは終わる可能性があった。
医師たちはほとんど何も保証できなかった。ただ、これが彼に残された唯一の選択肢である可能性が高いことだけは確かだった。
「基本的にこれをハイレベルのアスリートにやる場合、期待管理をしなければならない」とコールは言った。
「『2時間の手術をして終わりだ』ってわけじゃない。2年のリハビリと、スキルを維持または取り戻すことが必要になるんだ。そして、他人の組織が彼の一部になるまでには苦しみがある」
そして、この決断を下すことができるのはボールだけだった。
ボールは計画と潜在的な解決策を持てたことに安堵していた。
「やらなくて済むならよかったけど、それが唯一の選択肢だったんだ」とボールは言った。「未知の手術だったから多くの人は私を見限ったと思う。でも、結局のところ、私は25歳だったから、今回は休んで、努力して、ベストを尽くすだけだって思った」
3月、ボールは検証なしの軟骨置換手術を受けた。そして3ヶ月後、ブルズはボールが2023-24シーズン全体を欠場することを発表した。
毎朝、ボールは自分の家があるシャーマン・オークスから、マイヤーとので11時の予約のために彼の施設があるエル・セグンドまで車を走らせた。彼らは数時間にわたり、動きのパターン、歩行、荷重、強化などに取り組んだ。体が次に進む準備ができているかを測りながら進めていった。
少しずつ、改善が見え始めた。
次の日に痛みを感じずに歩けるようにまできた。最終的に、これまで多くの問題を引き起こしてきた椅子からの片足ステップダウンにも挑戦した。痛みはなかった。
「その時点では楽観的になっていたわけじゃない」とセラーノは言った。「ただ、彼が日常的な活動をできるようになったことが嬉しかったんだ」
秋の間、次々と小さな進展があり、言葉にできないほどの楽観的な気持ちが広がった。ボールは痛みなく歩けるようになった。小さなエクササイズを痛みなくこなすようになった。両足での小さなジャンプ、片足でのジャンプ。筋肉痛はあったが、痛みはなかった。
片足でジャンプすることはボールにとって、大きな節目だったー そして彼の医師たちにとっても。
「これは私たちがやってきた他の保存的治療、手術、注射以上のものだった」とセラーノは言った。
次は走ることだった。
「実際、私は長い間、彼が走るのを止めていたんだ」とマイヤーは言った。「なぜなら、彼は他の手術から復帰するたびに走るところで失敗していたからだ。だから、彼にとって走ることにはたくさんの悩みがあると感じていた。もし失敗すれば、それは精神的に大きな失望になるだろうと分かっていた」
2023年12月28日、軟骨置換手術から9ヶ月以上、そして怪我からほぼ2年が経った時、ドノヴァンはボールが走ることを許可されたと発表した。
2月に足の手術を受けた後のラヴィーンは、すぐにロサンゼルスでボールと合流した。
「彼は以前と変わらず、とても楽観的で幸せそうだったけど、競争心も戻ってきたのが分かった」とラヴィーンは言った。「『外に出てシュートしよう、シュートゲームをしよう』って言いはじめたんだ。ジムでシュートしたり、彼がふざけたり、ボールを渡しに投げてきて、渡しをガードしようとしたりして、彼が元気を取り戻すのを見て、バスケットボール選手としての感覚が戻ってきて、ああ、彼はまたあの『うずき』を感じはじめているんだなって分かった」
彼らは一緒にトレーニングを続けた。ラヴィーンはボールの全てのジャーニーを目にしてきた。ボールが数年ぶりにシカゴではじめて練習に戻ったときも、ラヴィーンはその場にいた。
「彼がボールを取って、まるで怪我をしていなかったかのようにコートを駆け上がり、バックスクリーンをセットして、それを受け取って、ピック&ロールを切り裂き、その後、ジェイレン・スミスにノールックパスをしたんだ」とラヴィーンは言った。「その時、私はただ座っていて、『Holy shit』って思ったのを覚えている」
2024年10月11日、ボールが目指していた日がついにやってきた:彼はポッドキャストで、チームの医師からプレー許可が出たと発表した。1,009日ぶりの試合は、10月16日のブルズのプレシーズンの4試合目であるウルブズ戦で行われる予定だった。
ボールはユナイテッド・センターでセラーノと一緒にハーフコートでウォームアップしていた。彼には厳しい出場時間制限があり、1クォーターごとに4分間を4回行うことになっていた。
1Qの途中、ドノヴァンはベンチからボールの番号を呼んだ。ボールがスコアラーズテーブルに向かって歩くと、ホームの観客はスタンディングオベーションで爆発的な歓声を上げた。
ボールは手を空に掲げ、胸をタップながらボールをインバウンドした。その後、数回のプレーが進んだ後、ボールは観客に応えてコーナーから3ポイントシュートを決めた。コートを走って戻り、3本指を掲げたとき、過去3シーズンのほとんどを平凡な成績で過ごしたブルズファンたちは歓喜で震えた。ラヴィーンは反対側のベースラインを走りながら涙をこらえた。
ボールの膝に「ヘイル・メリー(奇跡を祈るような手術)」を施したコールは、ブルズのベンチの近くに座っていた。「それはまるで肺を移植した人が走ることができたような感じだった」と彼は言った。「私は26年間この仕事をしてきたが、それは今までで最も特別な夜のひとつだった」
ボールは15分間で10得点、 4-of-6シューティングで試合を終えた。今シーズン、彼は16分強のプレー時間で平均4.5得点、3.5アシストを記録している(12/5時点)。彼は右手首の捻挫で15試合を欠場し、11月27日に復帰した。
最近ではボールは膝の状態について自身のポッドキャストで、「いちばんの課題はそれをマネジメントすることだ。試合によっては、どうしても腫れることがあるんだよ。だから、それをコントロールして、それを最小限に抑えて、それにきちんと対処する限り、問題ない。でも、そのような退屈なことをほぼ毎日やらなきゃいけないんだ。それがたぶんいちばんハードなところだ―単に対処し続ける。一度復帰したら、「よし、復帰したからもう大丈夫だ」ってわけじゃないんだ。ここにたどり着くまでにやってきたことを、その後もずっと続けなきゃいけない。それどころか、体がさらに求めてくるから、もっとやらなきゃいけないのはほぼ間違いない」と話しています。
現在ボールはこれまで12試合で1試合平均17.5分でプレーしています。ボールはその短いプレー時間の中で、チーム最高のプラス/マイナス +34を記録し、そのバスケットボールIQの高さを見せつけています(ギディーは27試合で-62/ラヴィーンは26試合で-17)。ボールがこの調子で健康を維持し、長いキャリアを築いていけることを願っています。