見出し画像

自由で不自由な世界のお伽噺Fate/GrandOrder Cosmos in the Lostbelt No.6「妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ」 感想【前編】


8月4日、18時。


長いようで短かったようにも感じる、プレイヤーと、その分身の藤丸立香、そしてアルトリア・キャスターとのブリテン旅行が終わった。


今回この妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ(以下、LB6)の感想と感情を後世に記録するにあたって、「アルトリア・キャスターが配信一年前に先行実装されたこと」「膨大なシナリオを分割配信したこと」はまず語らなければならない、と感想を記す前にしたためておくこととする。

・アルトリア・キャスターの先行配信

昨年2020年8月10日のFate/GrandOrder(以下、FGO)五周年記念サーヴァントとして実装されたのが「アルトリア・キャスター」である。彼女は、同年7月30日のFGOゲームアプリ内にて突如発表された新OPで後ろ姿が映っていたキャラクターだ。因みに、この日はFGOのAndroid版配信日である。
FGOに多くの楽曲を提供している歌姫、坂本真綾氏の歌唱する「躍動」。FGO第二部の更に後半部分のストーリー展開を思わせる多くのキャラクターは、ファンの話題を総なめにした。

「Fateの顔」とも呼ばれるセイバー、アルトリア・ペンドラゴンと同じ顔をしたアルトリア・キャスター(以下、キャストリア)は性能的な面で非常に人気が出たが、それと同じくらい「一体、この少女は何者なのか?」という点に注目が集まった。

「竜属性を持たず、人間ではない」「第三再臨でガラリと変わる」等の要素から、アルトリアと同じ顔をしているのになぜ?という話題は、この一年間、定期的にSNSを賑わせた。もちろん、筆者もその一人である。


シナリオが配信される前に、先んじて実装するという形式は初期のFGOではいくつか例があるが(カルナ、アルジュナ等のサービス開始一年目に実装したサーヴァントは、多くの場合この流れだった)第二部以降のFGOでは珍しく、事前にキャストリアというキャラクターにユーザーが親しみを持てたというのは、後々の盛り上げに寄与しているのは間違いないだろう。

・異例とも言える三分割配信

FGOのメインストーリーは、基本的に配信日にプロローグからエピローグまで全てのストーリーが配信される。一部例外として亜種特異点セイレムや二部の序があるが、そういった体制の中、アヴァロンルフェ配信直前生放送にて異例の”文量の都合、前後編に分けての配信”が発表された。

画像1

困惑する視聴者をよそに、更に度肝を抜かせたのが紙束の山である。なんとシナリオを全て印刷するとなるとこの量になる、とのことだ。(妖精円卓領域アヴァロンルフェ配信直前生放送より)


この量は確かに前後編に分けなければ読みきれない……一体そのテキスト量で何が繰り出されるのかとユーザーたちは戦々恐々していた。
そして前編が6月11日、その後予定通り7月14日に後編が配信され……後編をクリアしたユーザーは更に驚愕した。
「まだエピローグがこの後配信されるらしい!」

異例の三分割配信である。おそらくまだ話の本領である部分、そして多くの謎を残して「エピローグは8月4日配信予定」と大きくユーザーを突き放した。
これには流石にユーザー間でも賛否両論であり、「始めから三分割ということをお知らせしてほしかった」「FGOの六周年イベントを挟まないで欲しかった」などの声も少なくなかった。

それは終わった今でも人によって違うかと思うが、筆者は結果的に分割での配信で良かったと思う。理由はいくつかある。


エピローグ配信後の8月5日に発売されたファミ通のインタビューによると「LB6はシナリオのみで1.7MBある」とのことで、文字数に換算すると約50~60万字、文庫本にして約6冊の文量ということになる。(この件について、換算方法を勘違いしていて90万字とツイートしてしまったのは自分です。お詫びして訂正します)

ちなみに上記リンクのKindle Unlimitedに初回無料登録をすれば読み放題タイトルなのでお得に読めます。


さすがに文庫本5、6冊ほどになると一気にクリアするのは至難を極め、人によって進行状況にばらつきが生まれて、SNSでネタバレに被弾してやる気を失ってしまう可能性が高い。FGOは、公式では「いついつまでネタバレは控えてください」と公式から達しがあるわけではないので、そういうお達しをするよりも物理的に分割するほうがいいのは間違いない。三分割であるというのを初めから言わないのも、それを先に言うと面倒がって人間やらなくなってしまうので……。

また、分割の配信で良かったと思う点はもう一つある。
それは配信の合間の時間にSNSでの感想や今後の展開の予想が盛り上がったという点だ。

今回の話は後述するように非常に多くのキャラクターが物語を賑わせたストーリーだったのだが、分割にすることで情報を遮断し「前編だと悪いやつに見えていたキャラが、実は結構いいやつだった」「前編だと良いやつだと思ってたけど、実はこいつめちゃくちゃ最悪なキャラじゃん」と、巧みに読者の心情をコントロールしていたのには心底「やられた!」と脱帽しきりである。

画像2

また、今は既に通常時に戻ってしまっているが、戴冠式PVの発表から配信までのわずか数日間の間のみ、公式サイト及び公式ツイッターなどで異例の「戴冠式仕様」になった。開発側もとにかく盛り上げようという意識が8月4日更新分、戴冠式に関わるPVやWEBサイトの凝り方から垣間見える。

実際のところ、この期間にFGOをメインストーリー追加待ちの状態まで進めて備えたユーザーはアクティブの何割かは知る由もないが、多くても数万人くらいだろうか。(6周年のイベントとして行われた階位認定試験というFGO最新章までを出題範囲とした試験に参加したユーザーが4万人らしいので、それよりはおそらく多いはず)

おそらくこのFGOの最前線に立ち物語を楽しんだ人々にとって、このLB6開幕から幕引きまでの約2ヶ月間は忘れられない日々になっただろう。


利他的行動が許されないお伽噺の世界

LB6における物語を紐解くにあたって、鍵になる要素のひとつが「利他的行動が許されない世界」である。

利他的行動(りたてきこうどう、英: Altruism)は、進化生物学、動物行動学、生態学などで用いられる用語で、ヒトを含む動物が他の個体などに対しておこなう、自己の損失を顧みずに他者の利益を図るような行動のこと。(Wikipedia-利他的行動-から引用)

利他的行動というのは端的に言えば行為者は利益を得ず、非行為者が利益を受ける行動の全般を指す言葉で、例えるなら何もできない赤ん坊の世話をするだとか、友達にご飯を奢るとかそういった行動である。ちなみに人間以外の動物でも利他的行動をする。気になった方はWikipediaの項目などを読んでみて欲しい。

この異聞帯において霊長をしている妖精という生き物は「寿命も能力も人間より優れているが、自分の目的を失うと存在が消えてしまう」というルールに基づいて生きている。自分の目的を優先させないと、自分が消えてしまう。そんな妖精たちに生物の機能として利他的行動は許されていない

オーロラは「誰よりも輝いていなければ存在できない」から他のものを意識無意識問わず蹴落とす必要があったし、28節で描かれたティンタジェルの村の下級妖精たちにとって利他的行動の最たる例である「子育て」なんてものが上手くいくわけがなかった。

このストーリーを読んで、妖精の本性をまざまざと見せつけられ、その自己中心的な醜悪さには怒りを覚えたと思う。筆者もTLに進撃の巨人ベルトルトのスクショを大量に見たので。

ではこの世界で利他的行動をするとどうなるのかといえば、ただ割を食うだけなのだ。妖精として利他的行動をなし得た最たる例がハベトロットだが、彼女はマシュのために全てを捧げ、結果マシュが藤丸と合流して以降は存在すら難しくなり、最後にはまるで人魚姫のように消えてしまった。

FGOというストーリーは、極論言ってしまえば自己犠牲的精神から成り立つ話であり、その性質を更に際立たせるのはこの異聞帯のルールがあるからこそであると私は考える。

オーロラ、メリュジーヌ、パーシヴァルの三角関係

多彩なキャラクターが入り乱れる群像劇の中で特に自分が目を惹かれたのはこの3人だ。

「パーシヴァルはメリュジーヌを愛しているが、自分が愛されないこを理解している」

「メリュジーヌはオーロラから愛されていないが、オーロラから貰った名前がなければ化け物になるし、オーロラとオーロラのあり方を理解して愛している」

「オーロラは年代物の妖精で常にきらめく明日と輝く自分を維持しないと生きることが出来ず、メリュジーヌを美しいものだと認められない」

この非常に歪な他者への感情の愛憎劇の幕引きは、実に悲劇的だった。メリュジーヌがオーロラに絶望して厄災と化し、余命幾ばくもないパーシヴァルはメリュジーヌを束縛する愛から解き放つために最後の力を使い塵となって消える。

そして僅かながらの自我を取り戻したメリジューヌは最後にブリテンを守護する妖精騎士メリュジーヌとして最後にブリテンを救う一矢となる。

もはや消える直前のオーロラは最後に、ブリテンで最も美しく輝かしいそれが天高く空を飛び続けるのを眺めながら回想する。

オーロラは、一般的人間の価値観からしたら最悪な妖精だ。珍しいものが好きで、自分をより輝かせるためには手段はいとわない。そしてそれを無意識的にやってのけて、自分は知らなかったと平気でうそぶける。そういうふうに生まれついた。そういうあり方の生き物。

その彼女がたまたま「侍女に見栄をはるために、最も醜いものを助けた」という行為。それが、結果的に一度だけ「自分のためにならないこと」をした。助けた妖精はブリテンで最も美しく、輝かしい。そんな「自分のためにならないこと」つまりはオーロラにとって最初で最後の利他的行動。それを誇らしい、と微笑みながら毒づく。

「ようやく別れられて清々する。

 ーーー消えろ、消えろ。

 ーーー高く、高く」

そうして竜骸は砕け散り、彼女はそれを眺めながら息絶えた。


LB6で様々なドラマが描かれたが、その中でもこの3人については思い入れ深い。と、いうのも、キャラクターの枠組みが、アニメ「少女革命ウテナ」に出てくる樹璃、枝織、瑠果のオマージュだから、というのもある。本当に良い意味でそのまますぎて笑ってしまうほどだ。

ライターの奈須きのこ氏は事あるごとに少女革命ウテナの話や監督である幾原邦彦監督へのリスペクトを語り、自分の作品への影響を口にする。実際ウテナを見たら「こ、これとかこれとかアレとかソレで見た!」と前のめりになってしまうほど、奈須きのこ作品への影響が大きな作品の一つとしてあげられる。

絶対に見る必要があるかといえばもちろんそんなことはないが、気が向いたら見てみてほしい。その後にLB6のこの3人周りを読み返すと、また違った楽しみが生まれるだろう。


で、この後本編で描かれた批評的な話について突っ込んで書きたかったのだが、この時点で4千字を超えてしまっていてどんどん話が長く読みづらくなってしまったので一旦切り上げてオベロンとかの話は後ほどあげる後編に分けます。原作リスペクト(大嘘)



支援貰えると美味しいご飯がより美味しくなるのでよろしくおねがいします