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いとおかし6 モチと財産

唐突ですが、みなさんは「おもち」と「お金」どちらに魅力を感じますか?

お経には、2500年前のインドの社会や経済、そして様慙な文化がその背景として映しとられているので、面白いエピソードがいっぱいあります。

一方、仏教のすばらしさやおシャカさまの尊さをいうために、スーパーマン的な能力や、時間自由ににいったりきたりできるようなSF、ファンタジーの要素満載のお話も沢山あります。

ブッダらを「理想」化しすぎた世界から一つ、少し生々しいかもしれませんが、こんな話がもとではなかったかとほぐしてみました。さてさて。

長者と仏教


むかしむかし。おシャカさまの教えにであって、商売人として成功し、その感謝の心で、おシャカさまやその仲間のサポーターになられたバッダイというお金持ちがいらっしゃいました。

バッダイは、鉄器と流通バブルによって豊かになったインド社会での成功者で、「長者」と呼ばれる新興の財産家です。既に家庭をもちしっかりした夫人があり、無駄遣いをさけコツコツと財産を増やしてこられたのでした。

しかし、あるときおシャカさまの仲間であるカーサッパやモッガラーナと知り合い、その教えを知ります。

「人の人生のねうちは、どこで誰に生まれたか、どんな身体と能力があるかによって決まるのではない。本人が自分の人生をどう生きていこうとするかによって決まる」というコトバを聞きます。。

その実際は、既得権者にこびへつらうのではなく、既成の価値観を疑い、自然法=仏法を判断基準として、クリエイティブに生きていくべきだと知ります。それが一回きりの人生を本当に後悔無く、生ききることであると。

バッダイは「なるほど、金銀宝石を集めて何かなしとげた気になっていたが、それらは結局我が身からは離れる。それなら、生きているうちに世の中のために役立つように使うことも大事だ」と、目覚めたのでした。

そこで、地域の河川や道路の整備や、困窮している人々を助けることに財産を使い始めました。また、「誰かのために生きる」ということが、ほんとうの良い人生だと教えてもらった、仏教と教団のために寄付をするサポーターになられたのでした。

ケチ女


けれども、奥様は手放しで「善いことをなさる」と喜ばれたわけではありません。なぜなら、商売の方でも多くの人を雇っていますし、売買する商品も世の中に必要なものですから、おろそかにはできません。

少し気を抜くと財産はあっという間になくなりますから、節約して家計を引き締め、また商売にかかわる必要なお金もできるだけ抑えようとします。そこで、「ケチ女」という「あだ名」で呼ばれるようになりました。それでも奥様は気にせず、気前よく使う連れ合いをコントロールするように、わが道を行かれたのです。

おシャカさまのもと、最も繁栄したときの教団は、多くのパトロン・サポーターをもち、その人々の悩みに応えながら、金銭物品の寄付(喜んで出していただくので「喜捨(きしゃ)」ともいいます)を受けることで成り立っていました。

現在でいう精神科医やカウンセラー、そして経営コンサルタントのような仕事を、仏教の知見によって行っていくという活動ですね。

おシャカさまとその仲間は、「出家」というインドの社会習慣によりそいながら、それまでの宗教者のように「オレはエライ!」と森林や山中、また寺院の中に閉じこもり、劣ったものが尋ねてきて寄付をするべき、という態度をとりませんでした。

だからといって、「仏教信じたら災いなくなりまっせ。病気しませんで。お金こうかりまっせ。」という実利を尊重する態度もとりませんでした。

むしろ多くの人がこちらの価値観で暮らしているのですから、それに寄り添いながらも、否定して、より社会的でより多幸感の得られる生き方を示されたのでした。しかし、夫人が経験してきた、出家・サマナというのはどちらかというと、難しいことを言って人を煙に巻くか、曲芸や奇術のような身体の不思議を見せて寄付や帰依をつのるものが多く、結局、はたらかないのに尊敬を求めて、楽して生きる「なまけもの」に見えたのです。

堅実な日暮しをして、商売に精を出した結果の大事な財産を簡単にはやれない。でも、その大事な財産の一部が他人を助け、世の中の役に立つことに使われることに、夫人は反対ではありませんから、バッダイのすることを黙認してきたのです。しかし、そちらへ偏ることを嫌うあまり、慳貪、ケチ女といわれるような倹約ぶりになっていたのかもしれません。なんでも度を越すといけないですよね。

おシャカさまの側は、千二百人以上にふくれあがった教団を維持するには、一定の経済収入をもつことが必要です。それには、教えを支持するサポーターや寄付者を増やしていく、たゆまない努力が求められます。

そうすると、とにかくバッダイの支出を「削減」しようとする、奥様と、バッダイの寄付を奨励し歓迎する教団とは、ぶつかります。

教団がわからいえば、これを諍いにならんようにして、かつバッダイ夫人も消極的でもいいから、サポーター・信者になっていただくという「タスク」が発生しているという状況です。さあ、どうしましょう。

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