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いとおかし、いとおかし 番外2

「味わい」はいらぬ

いつのころだろうか、「お味わい」だの「味わわせてていだきます」だのと、いいだしたのは。
拙は、「布教使」ではないので、そういう「法話」をスル人が大量に生まれ続けていることを憂いている。

いやもっと。このままでは真宗は変質し、親鸞聖人一流の教え、蓮如上人・順如聖人以来の「教団組織」としての「教学」も、滅びそうである。

ここでは蓮師のお歌からそれを示す

あみだ佛 たすけ給への 外はみな 思ふもいふも 自力なりけり
皆人の まことの信は 更になし 物しりがほの ふぜいのみして
(実悟記より)

1.日本語の特質

日本語は「膠着言語」といって、語幹に語尾をひっつけて表現する言語をいいます。ですから、会話であれ文章であれ、頭と後ろを確認しないと意味が成立しません。

例えば 名詞「いちご」だけでは、「いちごがどうしたのか」「いちごをどうするのか」「いちごになにがあったのか」「いちごは何なのか」「いちごと何かなのか」「いちごの何かなのか」…
と、不明になります。「 」のときの「が」「を」「に」「は」「の」などを「助詞」といいますが、後ろにつくので「接尾語」です。

「動詞」なら、皆さんが受験時に覚えた、五段活用とか下一段とか上一段とか変格とかですね。これが「語尾」で活用変化します。

例えば、今、この文章を「書いています」が、これは
「か+く」が基本形(辞書形)で、「か+き+ます」
「か+か+ない」「か+け+ば」「か+こ+う」と変化します。

しかも最後の語尾で時制と伝達レベルが定まるので、
伝達レベル(敬体)ですと、
「書き+ます」(現在)
「書き+ました」(過去)
「書き+ましょう」(未来)
となりますし、
伝達レベル(常体)だと、
「書く」(現在)「書いた」(過去)「書け」(未来)
となる。

しかも接頭語「御(ご・お)」をつけると伝達レベルが
「丁寧・尊敬・謙譲」になり、そのうちのどれかは、発話者が想定する受けてとの「関係性」によって、判断されることになります。

こういう言語が「ひっつけていく言語」という意味で、膠着語・粘着語といいます。もっともこの言い方は古くなりつつある「言語類型論」という分類なのですが、日本語の特徴を押えるのには便利なので「知識」的には有効です(既にクロスオーバーしつつある世界の言語状況なので、今後は違う捉え方が主流となるでしょう)。

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