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きっと聞こえる

入院した義母の病状が良くない。

ベッド脇のポータブルトイレに座るのにも まず起き上がるのがやっとで 手伝って座らせてもらっても、そのまま 長い間ぼんやりしている。眠っているみたいにも見える。

私が夫と行った時も その状態だった。

夫が義母を気遣って 自分だけ部屋に入り 声かけをしながら様子を見る。

周りに何人も居るなんて落ち着かないだろうし、私が義母の立場でも嫌だと思うから 部屋に入らず 呼ばれるまで待った。

後で様子を見に来た看護師さんの説明は 病状を鑑みてとてもシビアなもので、先日 義母自身にも今後の居場所(最期を迎える場所)について、治療について本人の意志を聞いたとのこと。今は 起き上がる力も無く、ポータブルに座らせてあげるだけでも二人の介助をしても大変だという。それでも ご自身の意志は出来る限り尊重したい、と。

その日、横になった義母はすぐに眠ったようになり、私との会話は無いまま。夫は手をさすり、その温かさを確認する。

──触ってみて。温かいよ、歳のわりに綺麗な手だよ。最近ヘルパーさん任せで水仕事しないせいもあるかな。

確かに、私の手よりよっぱどすべらかで指の長い 綺麗な手だ。爪の形もいい。

5年前に亡くなった私の実母の時は 入院してから話ができなくなるまでは2か月ほどあった。おやつ時、姉が持っていくアイスやプリンなど喉の通りの良いものを喜んで食べてくれた。夕方の食事時に私は ふりかけやつくだにを差し入れた。短い時間ではあるが、ほぼ毎日 懐かしい話、初めて聞く、子供には聞かせなかった思い出話、たくさんたくさん話ができた。

痛みが出たら強い薬を使っても痛みを止めてやってくださいと、父が先に希望を告げていた。痛みが始まって、この薬を入れたらもうお話できなくなりますよ、という時が来たが、母は就寝前の飲み薬と歯磨きを私に所望した。痛みが薄らいで ちょっと朦朧としていたものの、いつものように「眠る」だけのつもりだったのかもしれない。ぼんやりした頭で、私はベッドを起こし、母の希望に応えようとしたら、看護師さんが驚いて飛んできた。

すっかり薬が効き昏睡状態になった後も、私と姉と母の妹は泊まり込みで傍に居て 母を囲んでたくさん話をした。

眠っていても耳は聞こえるという話を聞いたことがある。母の家族の昔話の中でふと愚痴っぽくなる叔母に、姉が「嫌な思い出話はしないでね」とメモを渡す。聞いてると思うから。

2日目の夜、母は「うう」「うう」と、そんな私たちの話に相槌をうつように声を出した。苦しんでいる、という声ではない。きっと一緒に喋っているつもりなんだ、私たちが仲良しで、いい思い出をいっぱい共有しているんだと知って嬉しく思っているんだと、勝手かもしれないが、そう思った。

その夜は母の手を握りながら、母に「良かったね」をいっぱい数えて「ありがとう」をいっぱい並べた。本当のところまだまだ 終わりにはしたくなかった。けれど痛みと病気の辛さは終わらせてあげたい。心は複雑だ。


夫は3人兄弟で 義母にも妹が3人居る。それぞれの体調や事情を擦り合わせ順に様子を見にいってる。

できることなら 兄弟、姉妹複数で訪ねて、枕元で、楽しい話、お義母さんとの素敵な思い出話したらいいよ、と言ってみる。なかなか皆で揃うなんてできないとは思うけど。

きっとお義母さんには聞こえるから。そして 行きかけた天国への長い長い階段の前で立ち止まりちょっと振り返って ああ、いい子供たちに育ったな、いい家族で良かったな、私の人生 結構いいじゃない、と 微笑むと思うから。





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