結婚指輪を失くした話⑤
続き
いよいよ出向研修がはじまった。
基本的に午前は一般外来、午後は手術や専門外来やラウンド。
月に1、2回、魔女部長が昼から外病院に行って専門外来をやる日があり、そういう日は私も一緒についていった。
午前の一般外来は、最初は魔女部長の外来を見学するだけだった。
魔女部長の後ろに座り、魔女部長の診察のあとで私も診察させてもらう形式。
午後の手術は助手を務め、専門外来とラウンドは基本的に見学、時々診察もさせてもらう。
こんな感じで、最初は「自分で何か判断する」「自分の力で何かをする」ということは皆無で、
見学と診察(の真似事)を「させていただく」だけのお客様状態だった。
こう書くと何も考えなくていい気楽な状況に見えるかもしれないが、魔女部長の厳しい視線のもとでは凄まじいプレッシャーだった。
ちょっとでもヘマをすると鼻で笑われる。
ヘマをしないように、と思えば思うほど上手くできなくなる。
もたもたすると患者さんにも申し訳ない。
とにかく、仕事中はプレッシャーにさらされ神経をすり減らし続けていたので、
昼休みくらいは1人になりたい!
というのが正直なところだが、午前の外来が終わると、必ず魔女部長に病院の食堂へと連行された。
こちらに拒否権はない。
現金しか使えない古い食堂で、毎日毎日魔女部長と顔をつき合わせて昼ご飯。
ちなみに、奢りではない。
小銭とストレスばかり溜まっていった。
唯一よかったのは、食後にいただけるコーヒーが美味しかったことだけ。
働きはじめてからたった数日で、魔女部長のさらにヤバい面が見えてきた。
人を指をさすのである。
たとえば外来で雑用や面倒ごとが発生した時。
魔女部長はまっすぐに私を指さして
「そんなの、彼女にやらせればいいじゃない」
とスタッフさんに言い放つのだ。
それが1回、2回でなく、数え切れないほどあった。
雑用をやるのは別にいいのだが、毎回毎回名前を正しく覚えてもらえず「彼女」呼びなのも、まっすぐ指をさされるのも、非常に不快だった。
雑用でも何でも言われなくたってやるから
頼むから指ささないで
ついで言うと彼女呼びはやめて
正しい名前で呼んで
それから、魔女部長は非常にせっかちだった。
ことに手術に関してはおそろしくせっかちで、手術中も患者の入れ替え時も急かされ続けた。
腕が4本以上ないと無理なことも平気で要求してくる。
ねえ、人間って腕2本しかないの知ってる??
外回りのオペ看さんが清潔野に縫合糸を出した直後、いつも秒で針糸を要求してきた。
持針器で針をつかみ、糸を半切して渡すまでの間、ずっと機械台を手でバンバン叩いて急かし続けるのだ。
最初これを見た時、
ウソだろ?
リアルでこんなことする奴いるのかよ
と思った。
こんなの、LINEスタンプでしか見たことないよ。
そして、こういうのはLINEスタンプの可愛いキャラがやるから許されるのだ。
こんな感じで、ストレスがじわじわと蓄積していったある日。
私の体に異変が起きた。
何月の何曜日のことかまでは覚えていない。
ただ、それまで比較的順調に来ていた生理がぱったり来なくなったのは覚えているから、恐らく出向研修がはじまって1ヶ月かそこらのことだったと思う。
いつも通り朝起きて仕事に行く支度をしていた。
顔を洗おうと洗面台の前に立った時、明確な吐き気を覚えた。
続く
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