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『未次元』vol.3

彷徨い


1月頭から2月半にかけて、村上春樹の評論を、書いていた。
授業で提出する用のレポートの延長線上だったので、そこまで本格的に書く必要は別になかった。けれど、「綺麗な子供」を書き終えた後の半年間で、感じていたこと、考えていたこと、影響を受けたことを保存しておきたくて、ちょうどいいし、本気で書いた。

かなり準備して苦労して書き上げたから、それなりに読み応えのあるものにはなった。殻を破る事を目標に、コツコツと書いていた。
だけどかけた労力の割に、感触は、あまり良くなかった。

誰かの二番煎じ。二番煎じの上に、深い感動や、生身の私は、どこにもないように思えた。

空疎だった。

終えてから1ヶ月半、詩を書く意欲が湧かなかった。
大学に入るまで本格的に文章を書いてこなかったわたしだけれど、何となく「書き終えたら、しばらく書けなそうだな」と、薄々気づいていた。春休みだし、時間もあるから、もっと勉強しよう。詩人で評論を書こう!と意気込んでいた割に、何もできなかった。
元々約束をしていた詩は、とりあえずかけたけれど、どれを書いても、書いても、面白くなかった。無理して気取っているようで嫌だった。
味のしないガムのような、言葉ができていた。

もう、どうしようもなかったので、書き終えた後の日々は、評論の準備を少しづつ進めながら、気ままに過ごしていた。
逃げているようにも感じたし、実際それが、情けない私の等身大なのかも知れなかった。空疎な私を保つ、寄るべもないから、正当にする言い訳も、諦めもできない。

運動をするようになったり、ラジオをよく聴いていた。
オードリーのラジオは、前から好きだったが、彼らのくだらない話が何より救いだった。意味ずけされないものがあるのが嬉しかった。
ずっと目標だった弾き語り(ちょー簡単)をできるようになった。ジムに行くようになったんだけど、器具に慣れていないので、電源入れないで動かしていたり、錘をつけないで台の上で腹筋したりしてしまって、周りに笑われた。かなり恥ずかしかった。(説明書は読むべきだ)
そういう、普通のことが、普通にできている時が安心できるし、楽しかった。

読書もやめようかなと思ったけど、辞めると暇すぎてやることがなくなってしまったので、結局読んでいた。

吉本の初期詩集や、朔太郎の散文詩が刺さった。先生の影響もあってか、現代詩集を読んでいて、「涙が涸れる」に出会い、そこから彼の著作を読んでいる。「涙が涸れる」に出会った時の感動は、凄まじかった。それまで特段好きな詩人もいなかったから、文脈もなくて、続けられるかわからなかったのだが、自分の中で、詩をこれからもやっていけるかもしれないという、確信ができた。
特に、この空疎な時期に刺さったのは「固有時との対話」で見られる、項垂れた青年期の彼から一つの倫理をつかみ出していく彼、モラトリアムを抜け出していく様だった。「固有時との対話」は散文詩で書かれている。散文詩は終わらない詩だから、夢の中の街を彷徨うように、長い旅を自身で続けなければならない。答えを出すまでは潜り続けなければならない。朔太郎の散文詩にも、同じ感覚を抱いたが、吉本の方がもっと張り詰めた場所歩いているように感じた。
良い、完成されている散文詩を書くには、技術が必要だと私は思う。長い分リズムが緩まりやすいし、意味をつけすぎても、抒情の入りこむ隙間がなくなってしまう。そのバランスや塩梅の見極めが難しい。けれど、そこを彷徨うしか抜け出せないものがある気がして、書いてみることにした。
結果は惨敗。けれど、書き終えた後、詩を書く感覚を少し取り戻すことができた。
私の吐露したものは、あまりにも、甘い、情動的な言葉で書いた悶えたような散文詩だったので、逆に、ちゃんとした詩を書きたいと思えたのだ。良い作用だったのか、よくわからない。

人生には繰り返しが多い、「反復」について、ヨブ記の公演で吉本は語っている。繰り返しについて、自分なりの視線を持つことが大事なんだと述べている。
運動をすることも、ラジオも、弾き語りも、どれも楽しい。バイトに行って、資格の勉強をして、家事をする。生活がある事は、尊い。
けれど、それだけでは、満足できない。だから本を読んでいる。また詩を書くと思う。

そういう事を漠然と、考えていました。

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