来るはずがない そんなもの
死ネタ含むよ!時系列順のエッセイ読んですてき!と思ったのでわたしも挑戦!
これはでも、他者の視点の配慮が欠けるのかもしれない…不快な思いさせてしまったらごめんなさい
寝る前にダラダラ書いてそのまま載せてるので、構成的にぜんぜんまとまりなかったり、関係ない話とか入ってたりしそう→起きて色々修正加えて、とうとうタイトルまで変えてしまった、でもまとまりはないな
4歳くらいの頃だっただろうか。テレビを見ていた父が「うわ!?」と叫んだ。続いて母も叫んだ。
知らない男性の訃報だった。
知らない人なので、悲しくなかった。2人が悲しんでいて、可哀想だった。無知ゆえに守られていた。そういったことが、2,3度続いた。
大人になれば「知っている人」も増える。亡くなった人が「知っている人」である可能性も高くなる。
そうか、大人になるということは、知っている人を亡くす悲しみが増えることなのかもしれない。
私には、じーちゃんとばーちゃんがいた。訪問すると暖かく迎え入れてくれて、帰る前にはお菓子を持たせてくれる、優しいじーちゃんばーちゃんだ。
いつしか、じーちゃんとはパパのお父さん、ばーちゃんとはパパのお母さんであることを知った。
そして、「じーじー」「ばーばー」という、ママのお父さんとお母さんがいたことも知った。
じーじーは私が生まれてすぐ、ばーばーは私が生まれる前に亡くなっていた。たまに行くおっちゃん家で、仏壇に向ってマンマンチャンをするのはこの人達のためらしい。2人のことも知らなかったから、悲しくはなかった。
しかし、ママは父親と母親を亡くしているのだ。そういった経験を乗り越えてきているのだ。わたしにとって、父親と母親を亡くすというのはなによりも恐ろしいことだったので、衝撃的だった。
「寂しくないのん?」
「パパもなずちゃんもおるから寂しくないで」
「ぜったい死なんといてな」
「ええ……」
そんな言葉を交わした気がする。「ええ……」と言われて泣いた気もする。
パパもなずちゃんもおるから寂しくないで。
大人になり、母になり、新しい世界を築き、乗り越える。そんな逞しさを想起させる言葉だった。わたしと同じように、抱き上げられ、甘え、泣く、『子供』だったのかもしれない。しかし今、目の前では間違いなく『ママ』なのだ。
あまりにも壮大だった。途方もない時間だ。
こんなに壮大なのだから、わたしがそこに立つのはずっとずっとずっと先だ。その時は私も大人になっていて、強く乗り越えられる。
そんな途方もない時間が経過することに、現実味はなかった。来るわけがない、そんなもの。プリキュアになれないのとおんなじくらい、来るわけがない。
こうして、「時間」と「喪失」は強く結びついていった。
ずっと先だと思っていた『年長さん』の「サマーキャンプ」の日になった。なかなか寝付けなかった。
ピカピカの1年生になってしまった。買い揃えた文房具たちにドキドキした。
お姉さんだと思っていたちびまる子ちゃんと同い年になった。
1/2成人式では、やっぱり成人なんて来ない気がした。
大きいと思っていた6年生になった。子供だった。1年生はとてもちいさかった。
あこがれの中学生になった。思っていたのと違った。吹奏楽部に入った。
ものすごく先輩だと思っていた3年生になった。先輩みたいにはなれなかった。
できるわけない気がしていた受験を乗り越えた。友達と同じ所を志すのは、意外と楽しかった。
高校も中学とさほど変わらなかった。ヤンキーいないから先生怒らないのかと思ったら違った。友達とは疎遠になった。
来るわけない気がしていた大学受験が来た。1月くらいまで入試なんてできるわけないみたいなテンションだった。往生際が悪い。
第一志望の大学に受かった。高校からの友達もいたのでその子と2人で過ごした。新しい友達は増えなかった。
成人式を迎えた。役員挨拶は、小中学校の式典のダルさをそっくりそのまま引き継いでいた。酒が飲めるようになったが、あまり好まない。
その間、慣れ親しんだ有名人の悲しいニュースもたくさん目にした。
母方の祖母、「ばーばー」が亡くなったのは、母が21歳の頃だった。そして、私も先日、21歳の誕生日を迎えた。経つわけないとタカをくくっていた「途方もない時間」が経ってしまったらしい。
21歳になってすぐ、父方の祖父が亡くなった。
両親は健在だ。
21歳、実際なってみると、そんなに大人じゃない。
嬉しいことがあれば報告する。辛いことがあっても報告する。「ねえみてみてー!」をすぐやりたがる。
忘れ物の心配をしてくれる。大抵しっかり忘れている。
4歳の時から変わらない。
『洋服の青山』で調達したスーツに身を包み、YouTubeで調べた斜め髪がどうもうまく決まらない、21歳児である。
「そう大人じゃない」。そう感じることは今まで何度もあったので、さすがに気がつく。もしかしなくても、ずっとこうなのではなかろうか。4歳の頃に見上げていた逞しい『大人』なんてものになる日は、来ないのかもしれない。
霧の日、50m先が『白い世界』に見えても、いざそこに立つとそうでもない。またさらに50m先が『白い世界』になるだけだ。それが繰り返される。これに、少し似ている気がする。
一方で、祖父との別れは4歳の私が想像していた程辛くはなかった。葬儀中の悩みの種は、親戚との人間関係だった。初めて身近な人を亡くしたが、『途方もない時間』を突きつけるイベントが重なり、ある程度腹を括れていたのかもしれない。
突きつけイベントと言ったが、この祖父の死こそが突きつけイベントの最たるものだっただろう。「来る」のだ、そういう時は。
思ったよりも冷静だった。あちら側に経つ覚悟ができた。
父や母も、長所や短所がある1人の人間だと知った。
就職活動も、人間と人間の出会い方のひとつな気がした。
馴染みのある人がいなくなることは、ふつうに起こることを知った。
大人になるとは、4歳から見た「スーパー人間」になって、「ものすごいイベント」を乗り越えることだとおもっていた。
実際は、「そんなにスーパー人間じゃない」「そんなにものすごいイベントじゃない」と気づくことが、大人になることなのかもしれない。
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