灰羽連盟考察 ~死を奪われた天使たち~ 「01:巣立ちについて」
前書き
初めて灰羽連盟という作品に出会ってから、だいぶ長い時間が経った。
そして、僕はまた灰羽連盟の話をしている。この作品はなぜだか分からないが、いつも頭の片隅にある。
今回、新たに灰羽連盟についていくつかの考察をした。
長くなってしまったので何回かに分割して投稿しようと思うので、もしも読んで感想やご指摘が頂ければうれしい。
注意事項
あなたがこの考察を読み始める前に、3つほど理解しておいて欲しいことがある。
簡潔に述べるなら、この記事は①ネタバレと②個人の主観的な解釈を含み、③灰羽連盟の作中に登場する要素がどんな機能を果たしているのかについて考察したものである。
これにだけ注意して頂ければ、下三つの段落は飛ばしてもらって問題ありません。
ネタバレについて
あなたがまだ灰羽連盟を見ていないのならば、この記事は重大なネタバレを含んでいるので、今は読むべきではない。作品に対する第一印象は後から変えることができない。先にネタバレを読むことは文字通り作品をスポイルすることになるだろう。 DVDを借りるか、有料(あるいは無料?)動画サイトで必ず本編を見てから、この記事を読んで欲しい(もしくは読まなくても良い)。
解釈の多様性について
作品の解釈に正解はない。あるとすればその作者の口から直接語られた言葉のみである。基本的に、作者が語らない限り、作品から読み取れる事実以外は推測に過ぎない。
何を意図して描写されているのか、というのは見たものから推測するより他にない。語られないことについては、見る人によってその人それぞれの解釈、つまり振れ幅が存在する。これは、どんな作品においても言えることで、しっかりとした設定をした上で語られない部分が尚残ることは、その作品を魅力的にする。ある作品を見た人は、そこに開いた空白に少なからず自分を投影し、物語を感じることになる。
正解はない。だから私の解釈は間違っているかもしれない、ということが言いたいわけではない。正解はなく、十人十色の感じ方がある。だから、自分の感じ方をメインに、あくまでこの記事の考え方は数あるうちの1つとしてサブ的に読んで頂きたい。
作者は物語を作る上で何か一つの答えを用意しているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。どちらにせよ、作品の受け取り方は十人十色で同じものはない。見て考えたことを突き詰めていくのが考察だと考えている。
もちろん、上記のようなことは言われるまでもないと思う方が大半だとは思うが、作者の言葉ですらない一般人の特定の解釈により、物語の範囲が狭く規定されてしまうとしたらそれは僕の望むことではない。
考察で目指したもの
この考察は、灰羽連盟という物語がもつ機能について考えることを目指してみたものである。
「ハイバネは自殺といった悲惨な死に方をした者達の魂である、壁の中は煉獄である」
「ハイバネたちが繭の中で見る夢は、前世で死んだときの死に方を反映している」
例えば私がこのように述べたとしても、これはただの未確定情報であり考察と言うよりはただの妄想である。先述したように、人それぞれの考え方があって然るべきなのでこのようなことを書いても意味が無いし、読んでいても面白くないだろう。
「機能」についてブリタニカ国際大百科事典の説明がしっくり来たので引用しておく。
システムに対して設定されうる「目的」への貢献という観点からみた,システムおよびその諸部分の作用のこと。
灰羽連盟の物語の中で出てくる要素がどのような機能をもつのか、それについて考えることが今回の考察の目的だ。
以上である。
ちなみに妄想を垂れ流しただけの悪い考察の例がこちらである。読んでいても分かりにくいし、この記事を書いた人間はどうしようもない。もちろん、私の記事なのだけれども。
それではここから先は本当にネタバレを含むので気を付けて。
巣立ちについて考える
美女とゴリラと凶器
いきなりなんだ?と思われるかもしれないが、下の画像を見て欲しい。
何が最初に目に入ってきただろうか?
これは
「ほとんどの男性が手前の水着美女に気を取られ、画面右側のゴリラがこちらを見ていることに気がつかない」
という、古く有名なネタ画像である。ご存知だっただろうか。
次に、凶器注目効果というものを紹介したい。
不幸にも殺人や強盗といった事件に遭遇し、犯人が凶器を持っていたとしよう。
このとき、目撃者の注意は凶器に釘付けになってしまうため、犯人の顔や着ている服といった凶器以外の情報の記憶が曖昧になってしまう。
これが凶器注目効果だ。
今挙げた美女ゴリラ画像と凶器注目効果の例からいったい何が言いたいのかと言うと、
「我々の注意や思考は目立つ特定のものに引きつけられ、逆にそれ以外に対しての注意が疎かになってしまう」
ということが言いたかったのである。
死について
では、それが灰羽連盟の「巣立ち」という要素の機能と、どのように関係しているのか?
もう少しだけ続きを聞いてほしい。
死について考えてみよう。
死は、我々の社会で長くに渡って培われてきた強力な概念である。死が刑罰として成立することからも分かるように、現代社会において死は恐怖や忌むべき対象、少なくとも不快な存在としてあるのは明白である。
ではこの強力な概念が、物語の中に登場するとどんなことが起こるだろうか。
さきほどの、美女や凶器に対してそうであったように、我々の思考が釘付けになることは間違いないだろう。
人が死ぬシーンが出てくるような映画を見て、映画館から出てきたあとにカフェにでも入って感想を友人と話す。誰が死んで誰が生きているという情報はしっかり覚えているが、それと比較して細部の情報の多くが欠落していることに友人と話して初めて気づく。そんな経験はないだろうか。
物語のなかで「死」や「死体」が登場すると我々の思考、注意は強力にそちらに引きつけられると考えられる。もしも、他に描きたいものやテーマがあるなら、その強力なイメージに阻害されてしまうことは望ましいことではないだろう。
巣立ち
ここで、ようやく巣立ちの話へとつながる。
「巣立ち」は灰羽連盟で重要なキーワードだ。
そこには血生臭さや陰鬱さはない。これは我々の“良く知っている”死ではないのだ。ただ旅立つ、別離の静けさ、悲しみ。
巣立ちは、死という強力な概念を排除することで、ハイバネたちの心の動きにフォーカスするための装置なのだ。
我々は物語を追いながら、主人公であるハイバネたちの視点に立つことになる。
巣立ちとは何だろうか?
壁の向こうには何があるのだろうか?
巣立ちはいつ訪れるのだろうか?
私はきちんと巣立つことができるだろうか?
あとに残す人間は?
この問いかけの構造は、我々が死に対して問いかけるとき同じように機能する。我々やハイバネが物語に対して「巣立ちとはなんなのか」という問いかけをするとき、それが「死ぬとはどういうことか」という問いかけと同じ形で問われているのだということに気づく。
私たちは非常に大きな勘違いをしている。
「死」についてよく知っていると思い込んでいるのだ。我々が見ることができるのは「死体」のみである。私たちは死について何一つ知らない。なぜなら今この世にいる全ての人間は生きていて、死んだことがないからである。
死ぬとはどういうことか?
逆に生きているとはどういうことか?
我々はいったいここで何をしているのか?
私たちがいつも「死」として扱っている”何か”は、本質的に何一つ分からないまっさらなものである。分かることと言えば、それがもたらすものが「別れ」であるということ。
死に付随する様々なイメージ(暗闇?光?天国や地獄?冷たさ?)はこの社会と歴史が付加したものであることに気づくのは(気づいたとしても受け入れることは)難しい。
本当の「別れ」を描くとき、我々の奥深くまで入り込んだ死のネガティヴなイメージが障害となることは容易に想像できる。死について回るイメージをばっさりと切り捨て、まっさらな「巣立ち」として置き換えた灰羽連盟の世界には、より純粋な「別れ」そのものの姿が描かれているように思われる。
灰羽連盟の世界は、天使たちから死を奪うことにより、別れに対してよりピュアな視点を我々に与えてくれるのである。(主人公たちは天使ではなくハイバネだが)
死の不可知論的な「わからなさ」と我々が実際に経験する別れ・悲しみ・戸惑いという「心の動き」の両方が、美しく描かれている。私たちはこの物語を追いながら、ハイバネの心の動きを感じ、物語を見終えたあとに、別れとは何か問い始めるだろう。
ハイバネの物語は私たちのそばにそっと寄り添う。
おわりに
死という概念を排除してハイバネの別れのみを描く、そして同時に私たちの死別の概念に対しても、ピュアな視点を与える。これが私の考える巣立ちの機能である。
今回は巣立ちの機能について考察をしてみた。次回は「罪憑き」についての考察をしようと思う。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。それでは。