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なぜちゃんがいなくなった日/8月15日

(見出しは先日「喫茶おおねこ」で購入した8月15日の日記集「日常をうたう/椋本湧也」)

下書きが合計もう6個たまっている。
(ちょっと笑ってる)
①だけ書いて②が仕上げられていないものもある。
日々書き残したいことばかりなのに 脳が書くことへ対して言語化が追いつかない。
毎日3時間くらいはまとめて日記について考える時間が24時間と別枠で欲しい。
それに翌日寝不足になるからできてないけど日記は真夜中に書きたい。
でも日々は続き、途中まで書き記せないまま次のできごとが時間と共に流れる。




いつも一緒にいるぬいぐるみのなぜちゃんが
いなくなった。
心の中では大きくパニックに陥り、
冷静に警察に問い合わせ今後の動きを
教えてもらい遺失届を交番で提出した。
(度々落し物をするのでちょっと慣れていた)
交番で警官になぜちゃんの写真を掲示しながら
お互い真顔で事務的に対処してもらった。
交番でなぜちゃんのイラストを描いてる時に
あまりのシュールさに口角がぴくっと
動いてしまい この状況に面白みを見出してる
じぶんに少しおいおいおいという気持ち。



前日に久しぶりにデモへ行きそのポストが
自分の枠から超えてたくさん♡いいねが
ついたことに少し驚いてしまった。

学生時代の友人との激しい口論にいたる直前
政治的なこと/デモの情報をSNSを経由することの「ダサさ」「カッコ悪さ」そして「意味のなさ」を諭され怒りと共に このできごとそのものに傷ついていた。
1つのつぶやきに共感をしめしてくれる人までいた。
ちょうど社会生活(しごと)の場面で気づく
ケースがあり、
今まで じぶんを認めてくれない団体の中に所属していた人も受け入れてくれる集団の中へ移動するだけで、場所を物理的に大きく変えなくても
その人の生き方に対する気持ちを和らげることは
できるのではないかと思った。

常に繕わなければいけない社会生活に
疲弊するけれど、
一方でたまに接触する方からの何気ない
一言に救われることもある。
社会生活において心の中の推しが何人かいて、
たまたまその人たちと多く会う日だった。

「「彼女」と呼ぶべきか「彼」なのかもしれないけど」とある人が言った言葉。
どうしても便宜上2つしか選択肢がない記録を
しないといけないことが引っかかっていた。
こう思う人が少なくとも「中」にもいるんだと安心した瞬間だった。
実はその人と駅で都知事選のスタンディングをされていてばったり出会うことが先日あった。
わたしも今、大きくはじぶんを認めてくれる
集団の中にいるんだろうな。
物理的に大きく移動してここにいる者では
あるけれど。
だからこそ地元での「場づくり」をしようとしてるんだなとの気づきの日でもあった。



夜、しごとを終えてすぐに交番へ行き、
帰ってきてなぜちゃんに対して心の中いっぱいに
「唐突にいなくなる寂しさ」「もっと大事にしてあげればよかった」と埋めながら
ごはんを食べていたら15分前にメッセージが入っていた。

なんとなぜちゃんは先日行った「スナックぐるり」の会場だった「Bar星くず」さんにいた。
(この日の日記も下書きの中)

gururiさんからのメッセージだった。
「何かやっておいてあげることありますか?」

今のなぜちゃん3代目ではじめて作った
1代目も人を巻き込んで捜索したが
行方知らずとなった過去がありトラウマだった。
台風が直撃するのにびしょ濡れになるんじゃないだろうか、捨てられてないかとか
色々考えていたのでこんなメッセージを送って
くれるような優しい方に保護されたことに
心底ほっとし眠りにつくことができた。



今日の朝の新聞の見出し 昨日の夕方のニュースから流れてたやつで 記者会見の内容の方になぜこの日を選んでなのか 大きくため息をついた。

きょうは12時ぴったりに黙祷をする日だった。
昨年ふざけながら黙祷をしている人をみて
とてもびっくりした。
そもそも戦争体験者である祖母と実家以外で他者と黙祷をする瞬間が昨年はじめてだった。
ことしは このときは 職場から人がおらず1人っきりだったので静かに黙祷をすることにした。
母と少し電話して、祖母の戦争体験の話を話した。
よくテレビで戦争はしてはいけないと戦争体験者の方の話を聞くが、私の祖母の視点は少しちがう。
私の祖母は大正生まれで「日本は(ほんとうは)強かった」と信じて疑わない人だった。
色んな愛国心を語る言葉や、12月8日がくると毎年称えていた。
子供の頃よくこの人はいつまでも大日本帝国の中を信じて生きてるんだなと哀れんでしまったものだった。
受け入れられなかったのかもしれない。
艦載機のはなしの時におばあちゃんこわくなかったの?と聞いたけど、「はて?」という顔をされた。

わたしはこういう人に育てられた。
かつて国がこういう人を育ててしまった。
だからこそ わたしは世界がそうじゃない未来を生きるために声をあげ続けたい。

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