見出し画像

『悪気はないけれど』

【風】



 気分転換にエッセイ的なものを書きたい--。そんな衝動に駆られて、タイプしているところ。

 ひとつのシリーズモノを書いていると、行き詰まるときがあって、(多分乗り越えられる)壁に行き当たると、日常のことでも書こうって風がときおり吹く。その風に揺られている次第。

【そういえば、さ】

 本題に入ろう。

 僕はnote上には活字を書く。同時に、絵も描く。ふたつの「かく」を継続してきたし、これからもそうする気持ちでいる。

 今回は「描く」ほうについて。

(こんな絵を描いている)

 自分はワガママだな、と思う時がある。今はSNSに自分の描いた絵をウップロードできて、それを見た人が「いいね」のボタンを押してくれたり、コメントをしてくれたりする。

 SNS以外でも、友人や知り合いにも見せて「どう?」なんて訊いたりすることもある。じかに訊くのはナンセンスだな、と分かりながらもついつい訊いてしまうのが自分のダサいところ。だって「良くない」なんて言えないハズで(絵描き同士だと話がまた別)、プラスのフィードバックを強要しているようなものだから。

 開き直って、ダサい自分を綴るのは、もっとダサいんだけれどね。

 ただ、もっと踏み込むと、いい評価でもダメ出しでも具体性を求めるのが、横柄なところだな、と痛感する。治らないのだろうけれど。要は「どこがどうなの?」「どこがいいの?」「どこがダメなの?」と相手から言ってもらいたいわけ。

 まあ、図々しい。

 目にとまるだけでありがたいのに、相手の言いづらい言葉を引き出そうとするっていうのは、かなり強引だと思っている。酔っ払いのオッさんの相手しなきゃいけないのか、なんて相手はため息が出るのかも。

(こんなのも描いてたり。リアクションに困るでしょう?)

 分かっちゃいるけれど……ってヤツ。多分、自戒するフリをしては同じことを何回も繰り返すのかな、と内心で自分が「ヤラかす」とは気がついている。

 とはいえ、だ。

 乾いているのだと思う、創作に取り憑かれている時の僕は。キザな言い方をすれば。どこがどうなのか、グイグイいく自分のことは気にならないクセに、作品のことは誰より気にするっていう、悪いクセはずしんと、根を下ろしている。

 この記事を読んでいられる方に絡むかもしれない。ご容赦くださいな。

 冴えない雨の日に綴る、冴えない駄文にお付き合いいただきありがとうございました。

          (了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?