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『周縁の記憶』

①「横浜市の天国と地獄」

戦後の混乱期に、ひと際謎に包まれた「伝説の娼婦」と称される女性が、そこにはいた。神奈川県横浜市、伊勢崎町や黄金町で、戦後の50年間を娼婦として、生涯を終えた、ひとりの女性ーー「メリーさん」。

メリーさん①フィフィ氏のツイートより)

 「『天国と地獄ね……』。ある時、メリーさんがそう呟いた。横浜の小高い丘に広がる富裕層が住む山手と、その麓にひしめく浮浪者街、そんな対極の地を見たときのことである。映画『天国と地獄』の舞台となった横浜には、数十年経った現在でもそんな世界が現存している」(映画『ヨコハマメリー』公式サイトより引用)  

 かの女が生前言い残した言葉は、横浜市を見事に形容している。伊勢崎町や山手は上記の通り、富裕層が多い。観光客も訪れる。「天国」だ。 

 一方、「地獄」はどこかーー。赤線で囲われているのが福富町といわれる。日雇い労働者や犯罪率が高い。昔は暴力団がキャバレーや、スナックなどのみかじめ料をかすめていたとされている(わたしの父親談)。

伊勢崎町付近の地図

 わたしの両親は、メリーさんが生きた時代の証人でもある。一、二回だけでなく、たびたび見かけたという。身近なところに知っている人がいるのは、ある意味、恵まれているのかもしれない。話を聞かないわけにはいかない。

 わたしの父親は、70年代に横浜市に秋田県からひとりでやってきた。キャバレーのボーイとして働いていた。キャバレーでピアノを演奏していたのがわたしの母。二人が恋をした場所は、メリーさんの言う「地獄」だった。

②メリーさんとは

 ーー暴力団の抗争なんてちょっしゅうだったな。ただ、メリーさんは「シマ」なんて関係なかった。誰の力も借りず、ひとりで生きていた
と、父親は当時の異様かつ、現代では考えられないような、空気感とメリーさんの姿を淡々と語る。

 母親は、横浜地に生まれ育った「ハマっ子」。
ーー中学時代からいたわ。白いおしろいをして日傘を差していたね。通りすがる人たちに笑顔であいさつしてたかしら

 両親の知るメリーさんは、晩年の姿だ。もうそのころには、50〜60代の娼婦だった。腰は曲がっていたとも聞いた。ただ、かの女のすべてを知っているわけではない。横浜市に住む者として、メリーさんの歴史の断片を記憶しているだけなのだ。

 かの女は横浜市内で、自らの体を売り、男性の性欲を満たしていた。陰陽のはざまで。俗称「立ちんぼ」として。

③立ちんぼの背中

立ちんぼは数時間、一箇所、もしくは複数箇所に立ち尽くす。男性から声をかけられるのを待つ、または、自分から声をかける。そこで、売春の値段交渉をするのが一般的。価格が決まり次第、ホテルに向かうのが主流だ。

 立ちんぼは「街娼」とも呼ばれる、「1956年、(中略)売春防止法(1958年)を施行」したことにより、街での売春は、法律で禁じられたという(『闇バイトと日本のシン裏社会』<宝島社>P186)。

 上記の防止法が施行され、法の下で禁じられている街娼。メリーさんが街娼として、名を残したのが、戦後およそ50年間ーーつまり、1952年から2002年にかけてとなる。

 立ちんぼは「昭和・平成までは(中略)風俗の”最底辺”と位置づけられ、みじめな転落の象徴」とされていたようだ(同著 P188)。

 当然、警察がメリーさんを見、取り締まることもあったのだろう。それでも、佇んでいた。法を犯し、転落の象徴が「伝説」になるという、反転現象は大変興味深い。

 そして、禁じられていた時代に横浜市の象徴であり、伝説となったのは、なぜなのかーー。

 おそらく生き様にあると考える。街娼として突然、横浜に姿を現し、生涯を街娼として終える。街娼の生き様が人びとを魅了させるのだろう。
「街娼の生き様」とは?

 一貫して自分のあり方を、自分で貫き通すこと、街娼としてーー。これがわたしの答えだ。

 演じるのは簡単。だが、貫き通すのは難しいと思える。この姿勢は、現代でとりわけ求められていると、思えもする。

 時代の風は変わりつつあるものの、性産業に従事するのを忌避し、蔑(さげす)む空気が漂っているのではないだろうか。

 少なくとも、日本社会でみると、排除する風が強くなりつつある。体感で思う。

④閉塞感のある性産業

どの時代でも、性欲を満たされることで、喜びを見出す男性が一定数いるのは事実。性欲を満たすことで、自分を肯定する女性も、少なからずいるのではないだろうか。

 わたしは性産業に対して、肯定をするわけでもないし、否定をするわけでもない。中立な立場で、社会に必要な産業だと考えている。

 なくなれば、人の欲望の矛先はどこへ向かうのか。締め付けの反動で、世の中の秩序が不安定に、社会が不健全になるのも否めないだろうーー行き場を失った欲望は、ゆがんだカタチで、いまだに存在するのだろう。

 正常化させる、スキマ産業とも換言できるだろう。極めてグレーな世界に、自ら身を置き、貫き通したメリーさんーー。

 天国と地獄で体を売っていた、かの女の生い立ちから死没まで、全てを知るものはごくわずかだろう。謎に包まれた娼婦なのだ。

 知りうるかぎりだと、30代に横浜市にやってきた。外国人を相手に、売春をしていた。両親から聞くところでは、街角に立ち尽くし生涯を街娼として終えたとのことだ。

(メリーさん②はまれぽ.comより)

 かの女の生涯には諸説があり、史実もある。ただ、それらを紹介する、もしくは、言葉を尽くせば尽くすほど、謎は深まる一方だ。それゆえだからだろうか、いまだに語り継がれるのは。

          ***

⑤「令和」の病巣

戦後の混迷、高度経済成長を経てバブル崩壊と、紆余(うよ)曲折あったものの、今の日本は経済大国に位置する。現在の日本でモノに困ることは、特例を除いてないだろう。

 半面、闇深くもなっているのも現実だ。自殺者が先進国のなかでも多く、現代では犯罪がネットを介して行われるーー巧妙になりつつも、粗暴化している複雑な時代だ。

 令和5年。日本の社会問題が浮かび上がっている。若者の「貧困」だ。象徴しているのが1〜2年前から今にいたるまで、取りざたされている、新宿「トー横キッズ」。とりわけ、わたしはトー横キッズたちの「売春」に心の貧しさも見出す。

 報道や書籍などの情報によると、今の「Z世代」ーー定義は様ざまだが、大まかな目安は18〜20代前半とされるーーが、「立ちんぼ」になっているという。ひと昔前では、想像しがたい。少なくとも、わたしはそうなるとは思っていなかった。

売春をするZ世代の女性たちYahoo!ニュースより

⑥令和の立ちんぼ

 Z世代の売春問題の震源地は、大久保公園だった。今では場を移し、新宿区役所前になっているとされる(同著 P184)。若い女性たちが区役所前で、スマホをいじりながら、買い手を待つ。

 相場に驚がくしてしまう。1万5000円が底値でとされている。「そのお金はホストクラブで消費する」と言われている(同著 P188)。キーワードは「ホスト」だ。

 わたしは原因のすべてが、ホストへの「貢ぎ」にあるとは思わない。同時に、歌舞伎町という土地柄上、切り離せない、歌舞伎町特有の食物連鎖がある。

 ホストを頂(いただ)きとした、ヒエラルキー社会だ。ホストに貢ぐ女性たち、貢ぐために、体を売る若者たち、若き性を買う大人ーー。といった具合にピラミッドが出来あがっている。

 ホストに貢いでしまう根本には何があるのだろうか。「心の貧困」だとわたしは思う。人間との接点や付き合いが、肌感覚で希薄になったように思える。

 そんな社会で、ホストとの疑似恋愛は手取り早く、孤立感を埋めてくれる。

 孤独は満たされるが、引き換えに体と性を売る。浪費ーーホストに通う女性からしたら、貴重な消費なのかもしれないーーのすえにある、貧困が背景にはある。孤独を金で埋めるのだ。

 満たされない若者たち(年代でカテゴライズするのは不本意だが)の行き先はどこにあるのだろうか。ホストに飽きたら街娼ではなくなるのだろうか。

 もしくは、かの女たちは、街娼として生き貫くのだろうか。メリーさんのように。

⑦メリーさんに学ぶ

混沌とした現代にこそ、メリーさんの「伝説」が蘇るのではないだろうか。というのも、生涯にわたって街娼となった動機が、謎に包まれているから。街娼としての生き様があるから。

 現代に生きる、わたしたちは一貫性を見失いがちなのかもしれない。その答えを提示してくれるのは、陰陽のはざまで、街娼として生涯を終えた、メリーさんなのかもしれない。

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