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相対評価と絶対評価のお話

 『他の人作品と自分の作品のブクマ数を見比べて、嫉妬で苦しくなってしまう』というお悩み相談をお受けしました。私なぞの言葉で少しでもお力になれるのでしたら…と思い筆を取らせて頂きますね。 

 創作の評価問題…苦しいですよね…。 私も昔はそのことで悩んだりもしました💦 

 色々と悩みを抱えていた中高生の頃、私が貪るように読んだのが、「老子」と「荘子」という中国の古典です。たいていの悩みはこの二冊がぶっ飛ばしてくれました。
 しかし、原本は長いうえに読みづらいかと思いますので、それらの本を読んで私が理解したことを、私なりの言葉でまとめてみようと思います。 

 評価には二つの種類があります。 
 一つは『相対評価』。 これは何かを何かと比べ、その差によって評価する方法です。
 もう一つは『絶対評価』。 これは、他のものに左右されず、それ自身を評価する方法です。
 SNSのイイネやRTはそれ単体で『相対評価』か『絶対評価』と分けられるものではありませんが、他の方のイイネやRT数と比べた瞬間、それは相対評価になります。
 人は相対評価が満たされると、一瞬で満足感が得られます。 〇〇さんに勝った、ランキングで〇位になった…というのはとても分かりやすく、手っ取り早く有能感が得られるからです。
 けれど、これは泡のような満足感です。 なぜなら、上には上が、際限なく存在するからです。
「〇〇さんに勝った」
 そう思った瞬間、次に思い浮かべるのはきっと「でも、□□さんに負けた」という気持ちでは無いでしょうか。
 相対評価だけを追い求めると…その先にあるのは果てしない渇望です。 これを満たそう満たそうとすれば、いくら上達したところで永遠に飢え続けることになります。
 これが商業の作家さんでしたら、それも素晴らしいことだと思います。 自分の目標を際限なく上に見出し、一生上達し続けられるかもしれないからです。
 けれど、趣味でこれをやってしまうのは、私は地獄だと思います。 息抜きのための趣味で、こんな苦しみを味わっていたら、いつかその趣味が嫌いになってしまいます。 

 私は、趣味の評価を「絶対評価」でするように心がけています。
 私は自分の書きたいものを書きたいだけ書いて、自分が楽しければそれで評価を「優」としています。 自分で書いた文を読み返して「うわこれめちゃくちゃ萌えるな!?え!?だれが書いたの!? うそ!私???ヤバくない!?」というヤバイ思考回路で生きておりますが、おかげさまで大変幸せです(変態) 

 ただ、私がそうしているから同じようにしてみてね!と突然言われても、急に評価方法を変えるのは難しいと思います。
 なので、こんな方法はどうかな…と一つ考えてみました!  例えばの話なのですが、私の書いたとある小説は、割と会心の出来だと個人的には思っているのですが、ブックマークは37です。 
 37、という数字だけ見ると、少ないと感じられる方もいらっしゃると思います。 しかし、これはただの数字ではありません。
 ちょっと頭の中に、37人の人間が目の前にいる光景を思い浮かべてみて下さい。
 37人ですよ!?学校一クラス分ですよ!? その37人ものひとが、私の小説を最後まで読み進め、なおかつもう一度読みたいな…と思って、ワンクリックの手間を惜しまず行動して下さった…その結果なのです。
 これ…結構すごいことだと思いませんか!? 

 イイネなどの評価を、ただの数字としてみると気が付きませんが、その数字の先には確かに血の通った人間が存在します。 そのことをどうか忘れないでください。あなたの作品は確実に誰かを喜ばせ、確実に評価されているのです。 

 正直なところ、イイネの数は上手さ以外のところに大きく左右されます。 エロいかエロくないか、人気キャラかどうか、投稿した時間に人がいたかどうか…などなど、本当に絵の上手さとイコールで結ばれるものではありません。
 そんなあやふやな増減に振り回されていると、心が疲れてしまいます。
 確実に言えることは、あなたの絵をイイネと思う人が、確かに存在するということです。

 どうかこれからも、あなたの好きな絵を、好きなだけ描いて下さい。 私も私で、これからも私に刺さるものを書き続けます!

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