最強の親族

今回は私の周りの親族の話。現代社会では何もない平凡な家庭に生まれ育ったが、興味本位で自分の祖先を振り返るとぶっ飛んでる。えらい家系に生まれてきたなと後悔する反面、なんじゃこの楽しすぎる家系は。私も何か爪痕を残さねば。と鼓舞される。

前に投稿したように(詳しくはこちら)、祖父たちもぶっ飛んでた。がその周りもぶっ飛んでいた。

まず私の父方から。

祖母は福井にあったかつての小浜藩の家老の家であり、昔からある家を契りを交わし、どこかの男子がいなくなれば養子に出すようになっていた。まさしく、祖母の末弟もこの仕来りに倣い、養子となった。彼で最後にしようと約束され、もう行ってはいない。

一度幼い頃に福井にまで葬式に行った。棺はなく、誰も故人の話はしない。先祖の100回忌であった。誰やねん。としかなかったが、武士の家だな、先祖を大事にして誇り高いんだろう。幼い頃の私は、焼きサバにしか興味がなく、いつになったらサバを食べに行けるのか、父に尋ねていた。

祖母も苦労人なのかもしれない。戦時中、末弟を身ごもっていた曾祖母は出産後まもなく死んだ。出産で死んだのか、何かあったのかは知らない。長女だった祖母は弟を抱きながら、家々をまわり、米のとぎ汁や母乳を分けてもらいながら弟たちを育てた。

祖母はかなりの美人である。なせのその遺伝子を受け継ぎながら私の顔に反映されていないのか、不思議でならない。きっと祖父の血が強かったんだろう。

彼女の父はかなりの達筆であり、看板を書いたり、書士をしていたそうだ。そのこともあり、祖母の兄も達筆。私の姉妹も達筆になったのはもしかするとこの遺伝子があるのかもしれない。

そして祖父。彼は前にも話したように、神戸で生まれた、かなりの暴れん坊だったようだ。喧嘩は毎日のようにやっては先生に怒られ、曾祖父に怒られ、しまいには広島にある曾祖父の実家におくりこまれた。そこでの学校も荒れに荒れまくり、進路の時期になると先生から「お前の頭と態度では進学はできないだろうから、志願しなさい。」といわれ、志願兵となった。

祖父が亡くなってから、祖父が学んだという海軍学校に行った(今は海上自衛隊の学校になっている)。あともう少し戦争が長引けば、祖父も回天に乗っていたのかもしれない。

けんかっ早い祖父だけど、かなり優しい心の持ち主で正義感が強かったらしい。少尉か何か(役職は忘れた)だった時、配給のパンを兵士に少ししか分け与えず自分だけ食べている上司に対し、殴りを入れてパンを奪い、兵士に分け与えたらしい。それを聞くと「ナイスガイじゃん」と思えたが、殴るのは違うなやっぱり。

このけんかっ早さは、先祖を聞くと少し検討がついた。祖父の先祖は瀬戸内海でその名をはせた村上海賊の一員。広島のあたりを仕切って痛そうだ。つまりは私は関ジャニの村上くんとかなり遠いがお仲間になる。そら海賊の子孫やと思えば、多少は粗ぶるか。

これが父方のお話。相見えなさそうな海賊の末裔と武士の末裔。外国人に話せば受けそうな血筋である。

一方の母方はどうだろうか。

祖父は福岡の炭鉱町の出らしい。詳しいことは知らないが、若くして出稼ぎでこちらへやってきたそうだ。特にこの家はどうとかは聞いたことはないが、ただただ祖父は心優しい人で彼を嫌うような人や周りに振り回される人ではなかった。人に恵まれた人だった。

自分がなくなる前に、妻がキリスト教徒であり、キリスト教での葬儀を望んでいるからと、なくなる一週間前に洗礼をし、キリスト教徒として天に召された。おじいちゃんが洗礼を受けたと聞いたとき、なんてかっこいいんやと思った。クールで心優しい人。

問題は次。祖母の方。
この家は、頭が良い。曽祖父は今の関西大学の商学部を出た後、高校で英語の教師をしていた。今となっては普通かもしれないが、彼が生きていた時代は明治大正。かなり頭のいい人だったのだろう。その娘の祖母は中学卒業後進学せずに働き始めるが、かなりの理系脳だ。とにかく計算が早い。よく算数の勉強を見てもらった。今も数字に強く、万単位の複雑な数字も暗算でスラスラといくつも計算するし、90を手前にして株で儲けている。その頭が欲しかった。

彼女は戦時中に近くに造船所があったことで空襲にあった経験がある。平然とその時の話をするもんだから、こちらは気が気ではない。

彼女はその時の傷を癒やす場としてキリスト教会に入った。今もキリスト教徒で賛美歌を好んで歌っている。その影響もあり、母も叔母もキリスト教徒。孫も(一応)洗礼を受けた。そこまで従順な教徒ではないがお祈りは一応できるし賛美歌も歌える。何かあらば神に許しをこう。機会があればちゃんと洗礼を受けたいところだ。

それはさておき、彼女の兄弟はもっと。兄は仏教に身を投じ、今は和歌山の小さな寺で住職をしている。姉は父の姿を見て教師を目指し長い間教育に携わってきた。よく本を読んでくれは大叔母さん。私の地元の教育委員会に名が通り過ぎていて、よく校長先生と仲良くなることが多かった。

それぞれのたどった道は違えど、彼らは本当に地頭が良い。なぜくれなかったのか。謎が多い。けれど、曽祖父が英語をしていたことは少し関与していそうだ。

私も英語の虜になり、今まで英語中心の教育を受けている。曽祖父が書いた本がないか探している。

まだまだスーパー親族はいるが、書きつかれたので今日はこのへんで。