33歳、SSRガンを引く④(精巣腫瘍/仮の退院)

精巣腫瘍のお話、摘除編の最終話です。6/5金曜日の朝に退院して今は検査結果が出るまでのつかの間の日常を楽しんでいます。今回はTipsとか対策とかいう話とはもっと違う、でも大切なものでまとめようかと。

医療と人

翌日朝の退院が確定した木曜日のこと。目下の課題だった術後疼痛の克服も概ね完了。手術を行ったのが火曜で、激烈な痛みと戦ったのが水曜。それが信じられないほど痛みは克服されていて、ごく普通に入院生活を送れるようになっていた。やっぱり日常的に運動して鍛えるということを習慣化しておいたのが効いたのかな?しばらく筋トレを休んでも再開するとマッスルメモリーがある分効果が高いという話を見たが、今回の超回復に少なからず寄与している気がしてならない。

風呂にも入れるし、安静に過ごす分には何の問題もない状態になって、昼下がりはぼけっとゲームでもしながらサボろうと思ってだらだらしていたら、ふと今後のことについて不安な気持ちが首をもたげた。
精巣がんの化学療法には、副作用による無精子症・勃起障害の可能性など、若年層ならではの悩みがある。子作りが選択肢に入る世代なら、先の人生が長いだけにこうした副作用は見過ごしづらい。さらに、化学療法自体プラチナやマスタードガスから転化した素材を投与し、わざと身体に悪影響を与えるアプローチだ。がん細胞はそもそも外部の異物ではなく自身の細胞なので、対策の副作用が全身に及ぶのは致し方のないところだが、二ヶ月もの間副作用と闘うのは実際簡単なことではない。

長期的に見れば精巣がんにおける化学療法は根治をほぼ確実にする攻めの選択肢であって、良いことでしかないのだが…目の前のことを乗り越えるだけで必死だったこの数日間と違って、考えるだけの時間を持ったことで、少し落ち込みかけていた。

「失礼しまーす!動いてますか?ゲーム取り上げますよー!!」

勢いよくカーテンを開けて突っ込んできたのは、水曜に抜群の介助をしてくれたベテランの看護師さん。今日の昼勤では自分の病室の担当なので、他の用事のついでに様子を見にきてくれるのだ。はいはい、もう直ぐ出ますよ、と答えるも、また別の用事で出入りしたついでに再び、ゲーム取り上げますよう!とツッコまれる。いやいや午前中から地階の売店行ったり風呂入りにいったり色々やったがな…と思いつつも、世話になったカーチャンにはかなわないので、へい、ただいま、とシューズを履いた。

と同時に、膨らみかけた悩みに既に風穴が空いていることに気づいた。

彼女のそれはただのお節介ではなく、退院が確定したといってもまだ切創の治癒の最中なのだから、退院の日までに極力痛みの残らないように、リスクを低めるためにできることをやってもらいたかったのだろう。肉が回復する時に正しい姿勢を覚えさせることで、治癒の速度が跳ね上がるのは昨日証明された通り。やればやるほど良いのであり、まだまだやれることはあるのだ。
はっきり言って、彼女が見ている他の患者さんと違い、自分はただ切って取っただけのもので、それ自体には予後に何のリスクもない。それでも、どんな些細なリスクでも見逃さずにベストを尽くせるようサポートしてくれているのだと思う。他の患者さんとのやり取りを見ても、やり過ぎない範囲を見極めて止めるべきは止め、するべきは勧められていた。それは医療なのだ。

…そうか。やっぱりよく知りもしないことを大枠だけで見て怖がるのは馬鹿らしいな。

何もないと思っていた今日ですらできることがあった。そこに人生を少しでも良くするためにできることがあって、自分の手元にそれができるエネルギーがあるなら、どんな気分であれ、それをすべきなのだ。その些末な積み重ねが今の自信を作ったのだし、予想もしなかった幸せに繋がっていて、それはこれからもそうだろう。療養中の体調の変化にも波があるので、その日その日できることをやり、最適解に向けて進み続ける。その行動が誇りになり、強さになることで、周囲の幸せにも繋がるのだろう。
それに、治療は一人で行うものではない。あくまでも医療人との連携で進めていくもので、相談し協力しながら行うものだ。不安要素は溜めずにしっかりと潰し、意見を聞きながら判断する。そして分かりもしない不確定要素をいちいち邪推しない。現実的な対策を打ったら、あとはいつも通り目標に向けて生きる。それだけなんだと思う。

同室の方の中に、自分と同じように突然別のがんになり、しかも後期であることが判った年配の方がいた。直接お話ししたことはないが、看護師さんとの会話の中でやはりショックを受けていまだに整理がつかない様子が見て取れた。親父の歳を越えて生きるつもりが難しそう、と。でも、ベテランの看護師さんは自分が大切に思うもののために生きなさい、がんと共存して、と答えていた。そして彼女が家族の話を振ると、その方は延々と孫と孫に付き合うパワフルな自分のことを話し続けるのだった。なんとなしに聞いていても、子にも孫にも愛されている、賑やかな家庭の大黒柱としての姿がよく想像できた。

彼ほど多くはないが、自分にも生きるための宝がある。そして生はまだまだ続く。何をしようか、どう生きたら楽しいだろうか、一緒に何を成し遂げようか。六月は、そんなことを大切な人たちと話し合いながら過ごしていくのはどうだろうか?

大半の人が細部を見なくても、私は私を救わなくちゃいけないんだ。ー私はここにいるって、言わなくちゃいけないんだ。
 
―水崎ツバメ 『映像研には手を出すな!』


あのマラソンとこのマラソンは同じもの

どんなに良いシナリオを踏んでもがんの完治が認められるには十年かかる。長期的な課題には、長期的な目標やビジョン(希望)が必要だ。同時に、急性の重症とは違って、治療自体もショートスプリントではなくマラソンなのであって、止まることはないが完全にすべての時間やエネルギーを奪ってしまうわけではない。だからこそ共存、なのだ。

日本では一生のうちに半分の人ががんに罹患し、そのうち3人に1人が亡くなるのだという。いざ罹患すれば様々なシナリオとリスクに向き合うことになるが、統計学的リスクの話をするなら、長期的に観て今罹患していない人も含めてすべての人ががんのリスクについて知り、備える必要があると言える。保険、発がん性の高い食生活の回避、運動、ストレスの回避等…特に重要なのは明確にこんな楽しいことをしたいだとか実現したいという希望を持って、必要以上には潜在的リスクを怖がらない(交通事故による年間死亡率は決して低くないが、それを恐れて外に出ないなんてことはないのだから…)ということだ。

…あれ、そう考えると治療の対策って単により良い楽しい人生を送るために真剣に考えましょうってだけなのでは…?

それって「長期の治療」というより、ただの「人生」なのでは…?

機能不全家庭に育ち、数々のドロップアウトも経験した自分の人生は、必ずしも平坦なものとは言えなかった。それでも楽しくゲームをしながらなんだかんだとこなしてきたのが事実。既に脛は傷だらけ、でも今ある環境も友人も家庭も、降ってわいたものじゃない。考えれば考えるほど、それは人生についてちゃんと考えましょうねというだけの結論に収斂していく。それなら、今の自分が考えるべきは人生における積み残しの課題を解決することだ。

さて、毒親の子が概ねそうであるように、自分も人を信じることに長らく高いハードルを持ってきた。それは必要な防壁だったし、それによって回避・防衛できた悪意も多くある。クソったれの浮世で自分の居場所を守るスキルとして磨いたそれによって思考し、金を稼いでいると言っても過言ではない。だがそこにはやはり明確な欠点があって、自分は苦労してようやく手に入れた友好関係を壊したくがないために、人と衝突できないのである。仕事であればロジックを立てて間接的に誘導したり、第三の道行きを示すこともできるが、一対一の信頼と絆の話の中でそれはない。だから今まで人を明確に批判したり苦言を呈するようなことはほとんどなかったし、日和見で生きてきたと思う。でもそれってやっぱり、流すところがあるという意味では小さな裏切りであって、同時に自分から「怒る能力」を奪うものでもあった。自分は今、言うべき時に言うべきことを言う、その瞬発力を学ぶべき時にいると思う。

苦労して手に入れた幸せを手放したくないがために…という意味では、長期的な人生のプランにもそこは利いていて、自分は長らく「情報技術を用いて遍く人のサードプレイス(※職場や学校と自宅との間にあるちょっとした日常からの隠れ家のこと)を創りたい。できれば永続的で物理的制約を受けない形で」という思いがあったが、スキルセットの問題だとか今の仕事だとかを理由にして、まともにアイデア出しをしたり学習計画を引くこともなく、仕事でストレスを溜めながら中途半端に過ごしていたと思う。転職活動でこれに近づけるためのキャリアが得られそうだったのだが、ドンピシャじゃないし今回のことでなくなりそうなので、一度自分の全リソースを振り向けてどうする、どうなる?を突き詰めたい。ボトムアップではなく、あくまで実現したいところからの逆算。年齢的にも、自分一人の幸福を追うだけでなく、外へ幸福を伝播するための設計へシフトしていくべき時期に来ている。「ここには行きたくない」ということだけがはっきりしていて「ここに行きたい」が無かったこれまでを変えるために、長期的な課題に手を付ける。これが今の自分の答えだ。

結果が出るまではしばらく更新はお休み。しかしそれもまた大事な活動の一環。敢えて言うが、これまでの経験上、人生も生命もそのままで素晴らしいものになんてならない。「生きてるだけで素晴らしい」なんて言葉は身内同士で言い合うものであって、外部への情報やメッセージとしては無価値だと思っている。だからこそこう言いたい。「その価値を創るのは今日のお前だ」と。

「辛い時こそポジティブに考えなくちゃ~~」なんてのは、ネガティブな人の考えることだからね――そもそもアタシはポジティブだからさ――今、迷ってる問題でいちいち悩まないの。今のアタシじゃまだ決断できない問題だってことがわかってりゃ、それで充分なのよ。
きっとアタシの中じゃ、本当はどうしたいかはとっくにわかってんのよ。今は気力ってやつがちょっと萎えちゃってるだけ。誰にだってあるじゃん、そういう時?
だから今はもう少しだけ…
ゆっくり休めばいいんだよ。

 
―マリファナを吸う女 『今際の国のアリス』


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