33歳、SSRガンを引く③(精巣腫瘍/手術と術後)

SSRガンシリーズとしてマガジン化しました。自分が精巣腫瘍について調べたこと、体験したことなどを随時まとめることで、自分にとっての整理とするだけでなく、同じようにこの希少な症例について少しでも多くの情報を知りたいという方のために役立てたいと思います。
当然無料公開ですがサポートもいただいていて本当にありがとうございます。実際治療費バカにならないので……それ以上にケアしてもらえている実感が非常に心強いです。皆さんも自分の体の異常には慎重になりすぎることはないので、気をつけてくださいね。

前回までのあらすじ

自国の軍事探査衛星がロシア領内に墜落し、アメリカは機密情報が格納されたACSモジュールの奪還のため、シェパード将軍直属の特殊部隊タスクフォース141を送り込む。少数精鋭のメンバーによってロシア軍基地からのモジュールの奪還に成功するも、既にロシアはモジュールの解析を終わらせていた。
ほどなく、米軍のレーダーに無数の動点が観測される。本部は沿岸部をはじめとする各基地に確認を行うも、レーダーには何もない、太陽のせいじゃないか?と相手にされない。内陸部にこれだけの機影が入り込むことなどありえないーしかし、それはレーダーを掻い潜り本土へ侵略を仕掛けるロシア空軍の群れだったのだ。
アメリカへの怒りとともに市街地などあらゆる地点に落下傘降下したロシア軍は、アメリカの内部から猛烈な進撃を開始する。全方位から雲霞のように押し寄せるロシア兵と機甲部隊に対して、住民の避難と応戦の両方を行わなければならない米軍側は分断され、瞬く間に追い詰められ各個撃破されつつあった。ジェームズ・ラミレス一等兵のレンジャー部隊もまた、ロシア軍に包囲され必死の防戦を試みていた。既に満身創痍の状態で倒された味方のライフルを撃ち続けていると、ついに弾が切れる。押し寄せるロシア軍を前に、部隊長のフォーリー軍曹は自らの予備弾倉を差し出すと、こう言ったーー

Ramilez, LAST MAG! Make it COUNT!!

ーーCall of Duty Modern Warfare 2 (Second Sun)

高位精巣摘除術・実行

手術日は完全絶食の上に、午後1で手術なので10時から水分もNGに。点滴を受けるだけで暇なので、Switchで購入した深世海をプレイする。カプコン製の2D深海プラットフォーマーなのだが、これがめちゃくちゃにハマってしまう。酸素を使ってブースト移動することで海中を移動することができ、独特の水中機動で深海の地形を乗り越えて捕食者たちと戦う。どこまでもいけるような感覚と、酸素残量とのバランス。素材を採集したり発掘して装備をメンテしないと探索は厳しいものになるので、冒険の楽しさとスリルが味わえるいい塩梅。イヤホンだと水中の環境音がリアルで心地良いし、音楽も良い感じだ。二千円のインディー枠で出てきた小粒なプロジェクトだが、良質で素晴らしい。
そんなことをやっている間に妻が立ち合いに訪れていざ手術。といっても徒歩で手術室に向かって自分で手術室に横たわるのだが。
全身麻酔の注意点を伺うと、麻酔中は呼吸機能が落ちるため喉に管を入れて機械で肺を動かすことになる。麻酔の注入を止めると十分程度で覚醒するが、目が覚めると何かくわえているうえに本人的には一瞬の出来事で何が起きたか分からなくなる場合があって、起き抜けの混乱で管を噛んで歯が欠ける人が稀にいるらしい。落ち着いて目覚めてくださいとのことだった。はぁ。

複数の看護師さんが忙しく動く中、点滴を差し替えられる。もうすぐ先生来ますから少し待ってくださいねーと言われじっと横になっていると、間もなく麻酔少しずつ入れて行きますねー。準備はOK。目を閉じてよろしくお願いしますというと、あっという間に眠りに落ちた。

ほどなくナースに名前を呼ばれ、一瞬覚醒。普通にはーい、ありがとうございますと返事して問題ないことを確認された。おそらくまだ手術室だったはずだが、
その後すぐまた眠ってしまい、次に目覚めた時は既に病室へ戻っていて、妻も横にいた。万事つつがなく終了。だが、麻酔の残りかまだうとうとする。定期的に目を閉じて眠ってしまうので、程よいところで妻は帰宅。そして麻酔が切れてくるとともに、それは始まったーー

疼痛、疼痛、疼痛!

人は体内に深々と刃物を刺されて肉を抉られたらどうなるか?
そう、疼痛である。体内に同化する縫合糸の上に有機ボンドで傷口を固めてあろうが関係ない。中の肉と内臓は切り裂かれているのである。麻酔でうとうとしている間はまだマシで、すぐにタマを体内に拳で押し込まれているような鈍痛が襲いかかってきた。非実在タマに対する金的である。しかも終わりがない。ゴールドエクスペリエンスに殴られたブチャラティのようだが、自分の場合は股間を殴られている。加えて切創特有のじくじくした痛みもひどい。野戦病院でのたうつ傷病兵のように悶えるしかなかった。
開腹手術後のペインコントロールには様々あり、カテーテルから鎮痛剤を流し込むだとか、局所麻酔を実施するといったところから、飲み薬、点滴、座薬などもある。痛みに対する耐性やその質などの個人差も考えると、決まった方法というのは存在しない。だが自分の場合は見事にハズレで、その時はまだ選択肢が色々あることも知らずにひたすら耐えるしかなかった。

痛み止めとして使われていたのは点滴だが、恐らくはモルヒネでない非麻薬性のオピオイドだろう。これは最も使用しやすいが効果には一定の限界があるといわれている。痛み止め全般として、粘膜系、特に胃腸への副作用があるため、効果が強いほど吐き気などの反動も大きいので、ある程度トレードオフなのだが、術後の痛みは基本的になしか弱い程度に抑えてストレスを最小化することが肝要と言われている。(過度なストレスはがんのリスクにも影響があるらしい)痛みには純粋に傷によるものと心因性のものがあると言われているが、一部では心因性と分けること自体が不適切という論もあり、それだけ記憶や認識と痛みの程度との結びつきは強いのだろう。まさに病は気からである。
ともあれ、痛みの内容は前述した通り。確かに自分は感覚が鋭敏な方なのでより感じたのだと思うが、それにしても深夜まで4回の点滴交換をしてもぐっと耐えなければならない痛みだ。この時点で担当の看護師さんが他の選択肢もあることを検討してくれればよかったのだが…
結局その夜は早々に寝ることを諦めて徹夜モードにシフト。久々に聞きたいと思っていた蓮沼執太フィルとかクラムボンとかを一通り楽しんで、SEIHOの深夜配信FINAL DESTINATIONをちょっと見る。
入院したのは小学生でまた体が弱く入院を繰り返していた頃以来だったが、ふとその時の記憶を思い出した。あの頃は病気のこともよくわかっていないし、子供なので単純に夜と孤独が怖く、消灯時間におびえていた。25年以上がたった今、夜はむしろ自分にとっての最高の遊び場であって、それが夜明けにつながる時間であることも知っている。眠れるなら寝るが、夜の空気を味方に付けて、笑って越えることもできるのだ。自由は概ね夜の中にあった。これまでの夜を思う。

痛みの質は切創による切り傷の痛みだけになっていたが、それでもじくじくと痛みは続いた。点滴にも使用回数限度があるので耐えたのだが、失敗だったと思う……痛みで38度の高熱が出ていた。点滴が最も利便性があるが、もっと効果が高い選択肢はある。術後疼痛は耐えずに、痛いなら然るべき処置で解決するよう医療者に依頼するべきだ。

WALK IN THE FIRE(歩行リハビリ)

朝食前に3人主治医の回診があり、カテーテルを抜くと言い始めた。えーまだ疼痛あるから起き上がれないんだけど…と思う間もなく股間のテーピングの固定ごと物凄い勢いで取り始める。カテーテル自体はすぐにするっと抜けてしまうのだが、酷いのがテーピングの方。毛が巻き込まれるわ、残ったタマは引っ張られるわ…一番酷いのは、創部のすぐ近くの皮がギッチリ固定されて癒着するような感じになっていた部分で、焼きごてを当てられるような激痛が走って思わず中断願。生命の危険を感じるとはこのことで、両脚も力みすぎて震え始める。結局誰がやっても痛いしいつかはやらなければいけないことということで、死ぬ気で乗り越えた。もう多少の拷問には負けない強さを身につけたと思う。

さて、身軽になったはいいものの依然として創部の疼痛が酷い。横になっていると延々と痛みじっとしていられないほどだ。流石に焦ったりして参るので看護師さんに話を伺うと、全身麻酔・開腹手術後はできる限り早期に離床して歩くことが疼痛も含めて復帰するのにとても重要のだという。
全身麻酔による鎮静によって、肺は通常より縮んでいるし、腿は寝っぱなしで機能していない。腸は特に危険でそのまま機能停止させていると癒着して合併症のリスクが出てくる。背筋を伸ばして歩き、内臓を起こしてやることが一番の復帰手段で、疼痛も歩く程改善するそうだ。
なるほどと思い、朝型にもらった飲み薬のカロナールで少し鎮痛が効いていたので、早速やってみるかと座ると…もう激痛。内臓が千切れるような鋭い痛みでダウン。気合で立つもとても耐え切れない。ベッドに再び横たわると、カロナールの効果は今の激痛で吹っ飛んでいて、鎮痛効果が切れるというおまけ付き。完全に裏目った…先ほどのペインコントロールの話にもつながるが、手術翌日ということを除いても、しっかり効果のある鎮痛を入れた後、適切な介助を得てこうしたリハビリは行うべきだ。

一番効果が高く発効も早い座薬を使ってもらい、ベテランの看護師さんの万全な介助を得てセカンドトライ。痛みを感じる部分をしっかり押さえて固めるのよ、と言われる。起き上がる時もその部分をしっかり押さえる必要があるということだったが、押し付けると痛いだけなので、自分の場合は掴み上げるような形で左鼠蹊部を体に引っ張られないように固定すると、なんとか座れるように。そこからは何度か深呼吸を繰り返し、強烈な痛みと闘いながら立ち上がる。流石にこれは患部が重力の影響を受けるのでどうしようもなく痛い。深呼吸を繰り返すが、痛みで間隔が早くなると過呼吸になるのであくまでゆっくりと。歩みというよりはにじり寄るような数センチの前進のたびに痛みに負けそうになり、呼吸の間隔が詰まるのを調整する。まさに煉獄の中だ。それでもこれによってむしろ寝ているだけより痛みは早く治ると元気付けられて、すぐ横にあるトイレまでじわじわと移動。リングフィットでキツいトレーニングをやっておいてよかった。呼吸と運動のバランスの取り方がわかっていたのでまだなんとかなったが厳しい戦いだった。手術着一枚なのに汗だく…脂汗の収穫祭である。
しかしトイレまでたどり着いた時点で既に効果が。創部周辺のじくじくした痛みはそれまでの歩みで削ぎ落とされていて、腰全般の疼痛がきえていた。創部自体の痛みは強いので厳しいが、腿や腹にも血が巡る感覚があり、にわかに再起動したような気分。
じわじわとベッドに戻ると、鎮痛効果は持続しているし、違和感も減った。これは効果、本当にあるぞ…
ずっと横になっていただけでは本当に週末までに出られるのか疑問だったのが、正しさを証明されたので俄然やる気になり、その後階を二周。やるたびに痛み
度合いや感じる範囲がとんとん拍子に落ちていき、おじいちゃんぐらいの速度ながら歩行できるようになってきた。ベッドでのたうっていたところから一日でこの成果は驚きだ。
ベッドでも完全な横ではなく少し起こすことで創部が引き延ばされるのを防げることがわかり、調節すると痛みから完全に解放された。すごい達成感。俺TUEEE感である。これがエンペラータイムか…創部の物理的な影響による痛みはまだ鋭いので急な動きはできないが、自由に動けることの喜びを満喫した。

ほとんど必要なくなっていたが、念のためその晩は座薬と眠剤を処方してもらい、ぐっすりと眠った。

しかし振り返って思うが、術後に座薬があればまだ苦しみは少なく、また初回の歩行トレーニングの時にコツを知っていれば二度投薬する必要もなかっただろう。看護師さんの経験の差なのかなんなのか、いずれにしても質のばらつきが感じられた。ここを埋めるためにも他の可能性がないのかしっかり聞き取ることが大事だと学んだ。治療は医療者だけで行うものではないからね。

そして人間へ

今朝は熟睡のため快調、熱も平熱プラスぐらいまで下がって問題なし。創部の予後も問題が見られず、点滴も終わっているので金曜午前の退院が確定。コンディションを整える最後の一日になった。
痛みはさらに弱まっているようなので一日体を動かして慣らしておこうと思う。ここから二週間、病理検査の結果が出るまでは空き時間になるが、そこからは色々とまた変化がある。備えあれば憂いなしなのでじっくり構えていきたいところだ。

サポートいただいた方、誠にありがとうございます。サポートいただいた分はすべて精巣がんの治療費に充てさせていただいております。