有名人と自分

ヨシタケさんがあさいちに出ていた。あえてフルネームで書かないのは、一応私なりにその名声に媚びるのが申し訳ないという感覚があるので、この日記を書いている時点でもう十分に媚びているのだけど、検索に簡単にはひっかからないように、ヨシタケさんと名字だけで書いておこうとおもう。なんなら本名の漢字で書いてもいいんだけど、そこはご本人が使い分けているのに勝手に漢字を書くのも申し訳ないので、避けている。

とはいえ、私が今日書きたいのはヨシタケさんではなく、漢字の吉竹さんの方である。前言撤回してあっさりと漢字で書いてしまったが、ウィキペディアを見たら本名が載っていたので、まあ苗字くらいはいいだろうと思ってこの後の文面の便利さからも漢字とカタカナの使い分けをさせてもらった。

初めて吉竹さんとお会いしたのはたぶん19歳のときである。大学に入って右も左もインターネットもわからない時代に、なんか横浜の方で先輩たちがアトリエを持っていて上映会をするらしい、ということで、私と同じく、映像で何か作りたいしか決めずに大学に来ていた友人を誘って見に行った。正直そのときの上映はあまりおもしろくなく、でもこれをおもしろいと思わないといけない世界に入ったんだろうな、と真面目な筑波大生らしい感想を持ってとぼとぼ帰ろうと思ったとき、当時このアトリエに住んでたのか、すぐ近くに住んでいたのかだったヨシタケさんに会った。そこで自費出版の作品集を見せてもらいほしくなったのだが、たった800円という金額さえ当時の私には高くてどうしよう…と悩んでいたら、じゃあお代は後日でいいです、と言ってとりあえずその場では0円で売ってくれた。

おそらくそのまま800円は返ってこないであろうと思ったことでしょう。でも私は驚くほどに執念深く、のちにその執念深さを活かしてアニメーターになるくらいのティーンだったので、ちゃんと別の機会に800円を払いに行ったのである。

そんな感じで学生時代から数度関わっていた吉竹さんとあれよあれよといつの間にか一緒に働くことになった時期がある。本はたくさん出ていたけど、まだ知る人ぞ知るイラストレーターといった感じで、大衆にまで名が知れる有名人というわけではなかった。吉竹さんは造形スタジオで働き家族を養いながらヨシタケさんとしてイラストを描いていた。その造形スタジオで私も働くことになったのだ。

そのスタジオでは毎日のようにお昼ご飯を自炊していた。主に作っていたのは料理好きな大学同期の友人だったが、私が作ったりすることもあった。当たり前のように下っ端の仕事だったからである。が、これが片付けとなると平等で、なんと吉竹さんがお皿を洗ってくれてたことが結構な回数ある。あのたくさんの人を魅了する絵や造形物を作り出す手に皿を洗わせていたのである。しかしご本人は何せ謙虚な方なので、片付けるのは嫌いじゃないんだ、と言ってただ黙々と修行僧のようにお皿を洗っていた。

お昼のとき、なんとなく決まった定位置で、吉竹さんは私の目の前の席だった。毎日腹がよじれるほどおもしろい話をしてくれた。「ウィローのモデルはお前だったのか!って言われそうでしょ?」とご本人自らが名乗る大きな手でろくろを回しながら。

スタジオを辞めた2年後、私は本を出した。スタジオは辞めたが、まだ徒歩圏内に住んでいたのでいつでも会いにいける距離だった。できたての本を持って、駅前でお昼休みの吉竹さんとこっそり会いお渡しした。そのとき、今度ぼくも絵本が出るんですと言っていた。それが「りんごかもしれない」だ。

今、世の中でヨシタケさんがどんどん受け入れられ、たくさんの人からの支持を得ている姿を見ると、やっぱりおもしろい人は世の中が放っておかないものなのだな、と思ったりする。こっそり会ったと書いたが、こっそり会わなくてはいけないほど、その頃のスタジオには閉塞感が漂っていた。あの陰鬱とした空気の中にこの才能が埋もれなくてよかった。そして本当にすごい才能というのは埋もれてはいられないものなのだな、と実感している。

さてここまでの流れを覆すようなことを書くが、実は最近はメディアでお見かけするたびに、それに比べて自分の矮小さを身に染みて感じては落ち込むことが増えてきた。

本当に勝手なことなのだけど、私はヨシタケさんを自慢の先輩ではなく、目指すべきライバルだと思って生きている。あんなふうに、大きな手と小さな度胸を持った人間に自分はなれるだろうか。まず第一に身長からして30cm近く足りないし、この肝っ玉の負けん気は簡単には潰せそうにない。じゃあどんな自分を受け入れて生きていったらいいか、そんなことを考えてしまう。

古くからの知り合いがみんな素直にヨシタケくんすごいね!今度はあんな活躍をしているよ!!と無邪気に応援するファンでいるのに、かつてファンだったはずの私は勝手にライバル視である。もうこの時点で自分がどれだけいやしんぼなのかと思えてくる。

あなたのことを見てると自分がどんどん嫌いになるの!といかいうセリフが少女漫画にあった気がするなぁといった気分である。がしかし、そんな気持ちでいたところで、私の年収は増えないし、こどもがご飯を嫌がらずに食べたり、着替えを素直にしてくれるようになるわけではない。なので心の整理をはかりながら、今日も自分にできることをひとつずつしていくのみである。


この日記は心の整理のためにと思って書き始めた。特段オチが用意されてるわけでもなく、ヨシタケさんファンが読んでもお皿洗いをしてくれてたくらいしか新しい情報がなくて申し訳ない。何か付け足すとしたら、スタジオ近くにあったビール工場に積み上がっているビールケースを見て「ビールケースってどこまで詰んでも四角なんだよね、おもしろいよね」と言っていた視点が、やはりどこまでもヨシタケさんだったんだなぁ、と今になってしみじみと思うエピソードである。

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