LGBTは自分事

次男の出産時同室にものすごく感じのいい人がいました。お子さんは3人目で全員女の子だそう。専業主婦で、小1と幼稚園年少に加え新生児育児が始まると思うと…と話しながらもすごく幸せそうだった。聞けば、ご自身が9歳の時に妹が生まれたのが嬉しくてたまらず、当時住んでいた団地の公園へ走り、団地の中心で妹誕生を近所中に叫んで知らせたとのこと。まさに、専業主婦になり、子育てをするために生まれてきた人なんだろうな、と思いました。とにかく柔和で素敵な人でした。

さてはて、世の中こんなふうに、持って生まれたものと、現在置かれている社会的立場がまっすぐ繋がってる人ってどれくらいいるのでしょうか。ごくごくごく少数なのでは…と思います。

私は小さい頃ミニ四駆が好きでした。入学祝いの勉強机用シートで、ミニ四駆とキラキラの少女漫画が並んでいる中、お店のおじさんに「お嬢ちゃんにはこっちかな?」とピンクのキラキラ少女漫画を勧められたましたが、ぜったい嫌だ!と思い、こっちにする!と宣言しおじさんを驚かせたことがあります。今から30年以上前ですからね、その頃は女の子がそういう選択をすることは今以上に珍しいことでした。

そんな小さな思い出や経験はほとんどの人の心にあるのではないでしょうか。

大きなことから、小さなことまで、何かしらのねじれを持って生きてる人がほとんどではないでしょうか。そういうふうに考えてみればLGBTがいかに他人事じゃないかわかるはずなんだけどな。

かつてはゲイは病気扱いで、治療のためと薬を飲まされたというひどい時代がありました。(映画イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密参照)今思うととんでもないことが過去に行われていたことがある。今の時代だって、未来から見たらとんでもないことがあるのかもしれません。

LGBTのことが取り上げられるたび、私は他人事に思えないです。「ねじれ」という表現と使ってしまいましたが、これを「ねじれ」ではなく「あるがまま」と表現できる未来を目指して、今は気づいていない“とんでも”をひとつずつ発見してはなくしていくことは、全ての人にとって大切なことなんじゃないでしょうか。

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