はみ出す余白をつくる夏休みの過ごし方
あっという間に8月、夏期連休に入りました。
これから7日間、オフなスズキヨウコです。
ここ最近、noteを書く余裕もない日々でした。
社内で4月に新しいプロジェクトを兼任ではじめて、本業も、そして社外の活動もいろいろ進捗があり、忙しいけれど、仕事があるって、仕事を任せてもらえてるのってとても有難いことだよなぁと思ってます。
出張も多いし、家族との時間も短いですが、少しずつ、慣れてきた部分もあるものの、脳内のメモリが明らかに足りず、読書等のインプットが足りてないのを感じる日々。
ふと思い返したのは、昨年の「沼津の学校」のワーク。「3年後、どんな人になっていたいか?」という問いに対して、
と書いていた。
有難いことに周りにいる人に恵まれていて、マジメだけじゃなくて(いい意味で不真面目)自分が楽しみながらも相手も一緒に楽しみたいと思ってくれる人がいてくれて。話が楽しくてしょうがなくて、げらげら笑ったり、時々哲学的な会話もできる人。この人と話をしていると楽しい、と思われたいと思ってる。
今、どうよ?って自分を見ると、ちょっとそんな余裕もない。笑
まぁそんなときもあるよなぁ、って思いつつも、連休は読書とか調べものとか、アートに触れたり(美術館も行きたいし写真も撮りたい)そんな過ごし方にしようかと思った。
ふと見かけた、この動画。
https://youtu.be/mF2lP8wDlUU
効率を重視すると、むしろ死ぬ
新橋と横浜で特急が開通した時、
「急行で行くと、乗車時間が短くなるのになんで高くなるの?」と文句言った人がいた
というハッとするエピソード。
無駄なものは何もない。
そう頭ではわかっていても、腹落ちしてなかったな、と気づいた。
本業の、いわゆる会社員の宿命的な調整の業務も何かきっと意味があるし、そういうことをこなしながらも、「効率」だけではないことを容認できる(というかプロジェクトの使命は「効率」以外の何かを作ることではないかと思う)プロジェクトに参画で来ていることは、いつか生きてくるんじゃないかと思う。
技術も、科学も、どっちも必要。
でも順番を間違えたら、たぶんうまくいかない。
いかに、「無駄」や「遊び」や「不真面目さ」を入れるか、なのかな。
ほんとここ最近、楽しむ余裕もなかったな、と。
誰が何を言おうと、やりたいことをやっちゃう、でもいいんじゃないか。やってみたらわかることだっていっぱいある。
たくさん想像して妄想しながら、ちょっとはみ出たことをやる。
リラックスしながらも、集中してる状態が理想。
考えることを諦めたら終わり。もっといろんなことに興味を持って、想像を形にする。
はみ出すことをするのも、いろんな自分が存在してることを認めて、さらに広げていくことが必要なのかもしれない。
連休はそんなことを意識しながら過ごしたい。子どもとプールに入るし、美術館にも行くし、散歩にも行くし、本も読む、写真も撮る。
だけど、無理せず心の赴くままに。
今日はこの辺で。
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