久々にギャンブルを嗜んで競馬場の先輩方に癒される@真夏の府中場外
新型コロナウイルスの感染拡大が騒がれた2020年、JRAは全国各地の競馬場・場外馬券場の閉鎖を決定した。レースは無観客で行われ、馬券の購入は電話とネットからしかできなくなる。前代未聞の事態である。
毎週末のようにWINS後楽園へ通い、電子投票が主流のこの時代に「紙馬券」を買い続けていた俺は、一瞬にして競馬という趣味世界から締め出された。
「だったら自宅でグリーンチャンネルを見ながらPATで買えばいい」という意見もあろう。実際にそうした。しかし、なぜだか、次第に競馬への興味が薄れていった。
なんというか、俺が求めていたのは、競馬場であったり、場外馬券場だったりの雰囲気なのではなかろうか。誰も他人に関心を持たず、競馬新聞と馬、そしてモニターだけをジッと見つめる、あの空間。日々の外圧的ストレスからくる心身の不調、およびセルフネグレクト気味な生き方に悩む俺を救ってくれるのはあの場所しかないんではなかろうか。ブコウスキーも言っていた。
「競馬場にいるかぎり、自分が人よりうんとダメな奴だと思わずに済んだ」
フッと腹の底から上がってきた博打欲に都合の良い言い訳をつけて、東京競馬場へと向かう。現在、というか、夏の間、東京競馬場ではレースそのものは行われていないのだが、そんな期間の競馬場は場外馬券場として変貌する。馬の走らない競馬場。そして、巨大な場外馬券場であるというわけだ。競馬場であり、場外馬券場。
諦念が平常心となり、希望や期待というものをどこかに捨ててしまって久しい俺も、この場に来ると胸が躍る。
できることなら勝って帰りたいと、到着早速、馬券を購入する。札幌3Rのドラゴンヘッドから総額2000円分。すると、このうち1000円分の単勝が早速的中する。配当は6300円。たまらん。
額こそ大したものではないが、思い通りにレースが展開し、馬券が当たるというのは博打における栄光の瞬間、そして愉悦なのだ。気分を良くして「鳥千」のフライドチキン(骨なし)を頬張る。
しかし、良かったのははじめだけで、そこからしばらくは耐える時間が続いた。4Rはカスリもせず、5Rは馬連を購入するも選択した馬が2,3着に。収支がマイナスに転落したなかで購入した6Rは単勝で勝った馬がアタマ差の2着。7Rは大きく外れてもいないが……と、的中はどんどんすり抜けた。
まったく。流れを変えるためにビールを煽る。すると間も無く、一定時間置きに繰り返されるレースの規則正しさからくる睡魔に襲われ、判断能力の鈍った俺に、酩酊から生まれた悪魔がこうつぶやいてくる。
「なあ。そんなに見当違いな馬券は買ってないよな。マイナス分を捲るためにちょっとくらいレートを上げてもいいよな」
8Rである。俺が選んだのは単勝100倍ほどの穴馬ハイライフだ。ダート替わりのバトルプラン産駒で、札幌の重い馬場も苦にしないことは明白。過去には15番人気で2着するなど大穴を演出してもきた。中央競馬でデビューするも泣かず飛ばずで地方に移籍して、そこから実績を積んで、中央競馬の舞台に返り咲いたというキャリアも、「ゴミ」と呼ばれながら仕事をする非エリートの俺が気に入るポイントだった。
レートを倍に上げて単勝に突っ張る。
流れは変わっていなかった。14頭中14着。
阿佐田哲也はギャンブルについて「なにもかもうまくいくわけじゃないんだから、なにもかもうまくいかせようとするのは、技術的にはまちがった考え方だ」と書いていたが、それでもあがこうとしてしまうのが人間の業じゃないかね、そんなん綺麗事じゃありませんかね、と悪態をつきつつ、これ以上続けても仕方ないか……と競馬場から撤退。
この判断は本日唯一のファインプレーと言ってよい。なんといっても、博打はいかに傷を浅くするかが大事なのだ。俺が勤める会社の創業者は「ギャンブルは、絶対使っちゃいけない金に手を付けてからが本当の勝負だ」という言葉を残したが、それは氏が人並外れた文才を有していて、いつでもその才能を金と交換できたから言えることであって、そんな破滅的な博打を一般人が実践するのは愚かでしかなく、なんらかっこいいことではない、と俺は思う。
むしろ、馬の走らない競馬場に通い詰めて、100円、200円の馬券を嗜むお爺さんたちの方がよほどクールで理知的だ。彼らは決して身を滅ぼすような博打はせず、実直に馬券を買い続けてきた。でなければ、とっくにギャンブルの世界から退場してしまっている。勝ち続けてきたわけではない。しかし、致命的な傷は負ってこなかった。破滅的な作風で知られる競馬狂無頼派作家のブコウスキーだって、意外にも30年弱でわずか5000ドルほどしか負けていないのだ。そんな実直な生き方ができる、人間としての先輩が、競馬場や場外馬券場には数多くいる。なんというか、そんなことを改めて実感した。俺もそうやって歳を重ねたい。
※そりゃあ、どうしようもない生活状況で病的ギャンブリングに陥っている人も居ることには居るだろうが圧倒的少数派な気はする。なお、俺はといえば、1万700円の損失で1日のギャンブルを終えた。やはりちょうどいい撤退タイミングだったと思える。以上。
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