斉藤那音/現代嗜惣

飲み込む! J.S.A認定ソムリエ/ ワイン、日本酒、本 日本酒とワインBAR(バー…

斉藤那音/現代嗜惣

飲み込む! J.S.A認定ソムリエ/ ワイン、日本酒、本 日本酒とワインBAR(バール)/ 古書と野生のワイン暮流堂(ボルドウ)/ natural wine shop 白虹社(ハッコウシャ)/

最近の記事

  • 固定された記事

現代嗜惣とは何か

現代嗜惣とはなにか ある思想です あるいはその束です 駄洒落です ユーモアです 哲学か倫理学です オザケンです パスカルとラッセルです 三島由紀夫です 脱臼です モノ派です フェティッシュです 真剣な遊びです 眺めることです 環境と心理です テクノミュージックです 偶然性です 過程です 目的を超える橋です 虹です 自由です ニューロン還元主義ですか? 隔離されています 未確定です 非生産的です 規則があります 虚構です 反省です 酸

    • 束も層も惣

      さて言葉の意味は点ではなくて、面である。では、その面の範囲はどこまで広がるのだろうか。それはトレビスの苦いサラダを作るときまでである。黒いちじくとブルーチーズとオリーブオイルと蜂蜜とのサラダ。トレビスをざっくり切ったと同時に、どこまでも恣意的に接続可能で広がる言葉の意味は切断され、露出した断面に象徴化される。連続して広がり続ける面を、包丁としての言語が分節化する。ザクと音を束の間に響かせて現れた層は、また音もなく面となる。しかしなんと雄弁なテクストとしての断層か。

      • 現代嗜惣 徘徊編

        スピノザの『エチカ』でも、神の証明は論理ではなく、描写にとどまった。 精錬の歩み、証明を受け入れられるような主体に変容する長い思索としての描写である。 極めて定義しがたく、定義した途端にすり抜けていけいくもの、あるいは、定義されてはならないものを対象として言い述べるとき、僕は主題をめぐり周辺を歩くことしかできない。 今、この主題とは嗜惣という概念のことである。 嗜惣をめぐる大いなる徘徊の一歩を踏み出すことになる。 今日の徘徊経路 今日の徘徊経路をメモしておく。 以下「…

      • 固定された記事

      現代嗜惣とは何か