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IT技術者が不動産鑑定に寄り道した話

「宅建受験から始まった不動産との微妙な関わり」を10回連載しました。当初はマガジンにまとめて、おまけを付けて有料化しようと思っていましたが、そうすると元の記事は、マガジン購入者しか読めなくなるようです。

それは本意ではないので、記事を加筆・再構成してタイトルを変えて、別途有料化にすることにしました。内容的には元の記事と大きく変わりませんが、現地調査時のエピソード集を付けています。

目次
1.法学部出身なのにIT企業に就職したワケ
 1-1.法律好きではなかった法学部卒
 1-2.パソコンにのめり込みIT企業へ
2.宅建受験を決意
 2-1.いてほしい人ほどいなくなる職場
 2-2.なんやかんやで体力勝負
 2-3.業界に嫌気
 2-4.子供の頃から地図が好き
 2-5.友人のひとことをきっかけに宅建受験
 2-6.通勤電車で半分寝ながら勉強
 2-7.情報処理技術者試験をサボって受験
 2-8.合格したものの異端児扱い
3.退職して不動産鑑定事務所へ
 3-1.本当はゲームを作りたくて入社したが…
 3-2.ここには居場所が無い
 3-3.求人を探すのは大変
 3-4.宅建が採用の決め手
4.不動産鑑定評価って何をするの?
 4-1.不動産鑑定評価とは
 4-2.手順はこのような感じ
 4-3.未経験者でもできるのか
5.鑑定評価はこのような手順で
 5-1.作業手順は
 5-2.とにかくスピードが大切
 5-3.現地調査と相場のヒアリングは大変
 5-4.時を経て現在は
6.法務局での調査は対象地周辺にも注意
 6-1.法務局でやること
 6-2.公図
 6-3.登記簿
 6-4.地積測量図・建物図面
 6-5.共同担保目録
 6-6.こぼれ話
7.市区町村役場での調査
 7-1.市区町村役場でヒアリングすること
 7-2.しかし一か所では済まない場合も
 7-3.移動ルートを事前に計画しておくことが大切
 7-4.こぼれ話
8.現地調査はチョー緊張する
 8-1.持ち物
 8-2.対象地の調査でやること
 8-3.標準地(基準地)・取引事例地の確認
 8-4.写真はたくさん撮ります
 8-5.こぼれ話
9.気が重い業者さん回り
 9-1.まず店舗を選ぶ
 9-2.話をどう切り出すか
 9-3.話をどう膨らませるのか
 9-4.ほかの補助者はどうしていたか?
 9-5.どうしても話が聞けなかったら
 9-6.こぼれ話
10.鑑定評価書作成はダメ出しばかり
 10-1.まずは雛型に調査内容を埋める
 10-2.写真加工は面倒
 10-3.実は坪いくらで考えている
 10-4.地域って何?
 10-5.地域の価格水準は?
 10-6.悩みまくる価格水準の根拠
 10-7.個別的要因の検討
 10-8.唸りまくりの鑑定評価額決定
 10-9.先生の鬼チェック
 10-10.こぼれ話
11.やむなく退所し情報処理業界に復帰
 11-1.お金が続かない
 11-2.ちなみに試験結果は
 11-3.しかし得たことは意外に多かった
12.20年ぶりに不動産調査の仕事
 12.1.きっかけはたまたま
 12-2.やることはあまり変わらない
 12-3.こぼれ話
13.今思っていること
 13-1.不動産鑑定評価・調査に携わってよかったこと
 13-2.ついやってしまうこと
14.今後の予定
 14-1.再びあちこちを歩き回りたい
 14-2.資格取得について
15.(おまけ)現地調査時のエピソード

1.法学部出身なのにIT企業に就職したワケ

人生は早いもので、この間大学を卒業したと思ったら、もう還暦が近づいてきました。大部分はIT企業(昔の言い方なら情報システム開発会社)の業務に従事しましたが、不動産鑑定評価の仕事にも少しだけ関わりました。その記録を書いてみたいと思います。

不動産鑑定評価に興味がある方、これからチャレンジしようとしている方に、何かの参考になれば幸いです。

1-1.法律好きではなかった法学部卒
私は私大の法学部出身です。入学して気付いたのですが、例えば民法や刑法など六法に代表される法律は、学問的な香りがしませんでした。○○説のような話は出てくるのですが、どれが絶対的に正しいということはなくて、要は利害関係のバランス取りという理解です。

ただそれらを学ぶためには、ベースに法哲学や法社会学をはじめとし、歴史やそもそも人間とは何か、社会とは何かという知識や考察が必要です。もちろん自然科学の領域も押さえておかなければなりません。私はそれらの方が好きですし、法律家を名乗るであれば、絶対に学んでおく必要があると思っています。

中でも法社会学を教えておられた栗本慎一郎先生の影響は大きかったです。今でも著作をたびたび読み返して、より理解が深まったのを感じています。

ところが法律実務家を育てるという建前の中では、これらの学問はメジャーではありません。早々に法律科目に興味を失った私は、ほぼ放棄状態。特に民法の債権法はやる気がなく、お情けで卒業させてもらったほどです。

結局ゼミは犯罪心理学という法学の端っこの方を選択し、あとは好き勝手なことをしていました。

1-2.パソコンにのめり込みIT企業へ
当時はスペースインベーダーゲームの爆発的なブームを経て、ゲームセンターがあちこちにできた頃です。それと同時に、パソコンが個人に普及し出した時代でもあります。ファミコンなどのゲーム機の普及は、それより数年あとです。

元ラジオ少年だった私も、学生クレジットで機器一式を購入しました。富士通のFM-7で、本体・ディスプレイ・カセットレコーダー一式で20万円くらいだったかな。高価な買い物でした。

就職を控えた4年になり、はじめは公務員になろうか、メーカーに行こうかいろいろ考えました。家庭裁判所調査官補試験を受けたら、まぐれで教養試験は受かってしまい慌てたのですが、肝心の専門試験は全然勉強していなくて、諦めたこともあります。

ただよく考えてみると、文系ってメーカーに行っても開発っぽい仕事には携われないのです。理系っぽいことに未練があった私は、それじゃ嫌だなと思いました。

それならばということで、当時はまだまだ就職希望者は少なかった情報処理関係の会社を数社受け、幸い某メーカー系のまだ新しい会社に決まりました。ちなみに当時はIT企業という言葉はありません(笑)

海のものとも山のものとも分からない業界だったので、同級生からはもったいないといわれましたが、好きなことしかやる気が起きない自分を知っていたので押し通しました。

もし結婚を意識した女性がいれば、固い就職先を選んだかもしれませんが、それはなかったので…ははは

ただ超一流のメーカー系の会社だと、SE職といえども文系は相手にされなかったのか悔しいですね。特殊な分野でなければ、文系・理系よりも本人の能力や適性が大きいと思うのですが。

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2.宅建受験を決意

入社して3ヶ月の基礎教育を受け、6月に配属。その年に運よく第二種情報処理技術者試験に合格しました。高校1年のとき電話級アマチュア無線技士の免許は取りましたが、様々な資格取得を意識し出しだしたのは、この第二種情報処理技術者からかもしれません。

2-1.いてほしい人ほどいなくなる職場
会社というところは、上司や先輩次第で運命が決まるところがあります。私もついていきたいという先輩は何人かいました。

しかしそういう先輩に限って、異動したり辞めてしまったりするんですよね。まあ会社的には「お前が早くそう思われる人間になれ」と期待しているのだろうと、今なら思うのですが、まだまだ甘えていたのかもしれません。

また年下の先輩の対応も面倒でしたね。イジワルされたり、イヤミ言われたり、情報処理試験合格を僻まれたり…
ただ私は腰は低い?けど態度はデカかったので、そのうち無視しちゃいましたが。

2-2.なんやかんやで体力勝負
現在のIT業界は多少違うのかもしれませんが、当時は長時間働く人間ほど、評価される傾向がありました。もちろん請負の場合は、残業代で予算を食いつぶすのはダメですが、派遣形式で超過分ももらえる契約なら、会社としても問題無いからです。

要領よくやって定時に帰ると変人扱いですわ。まあ残業しなければ、給料が安くてやっていけない人も多かったとは思いますが。

昭和の最後の頃でも、終わりの見えない案件(所謂デスマーチ案件)は珍しくなく、得意先の依頼でやむなく投入された人は、潰れたり辞めていったりする人は少なくありませんでした。

2-3.業界に嫌気
ただ当時業界ではプログラマーやSE定年説というのがあり、一生の仕事ではないなと思っていました。また社風的にも技術バカといってはなんですが、情報処理と直接関係無い知識は不要的な圧力があり、私は心の中でこれに反発していました。

業務アプリケーション開発に携わる人間が、様々な職業や業務に興味や関心が無くてどうする!と思っていたのです。

元来へそ曲がりな私は、その頃になってあれほど嫌だった法律の勉強を改めて始めました。といっても四宮民法をじっくり読み直すとかの程度ですが、これが後々取る資格の基礎力になったと思います。

2-4.子供の頃から地図が好き
当時はまだ不動産には何の興味もありませんでした。叔父は小さな不動産店をやっていたので、全く関わりが無い訳ではありません。でも父親はマイホームに興味が無く、そのせいかなと思っています。

ところがなぜか、小さな頃から地図を見ることだけは大好物。ただし世界地図とか日本地図のようなスケールではなく、東京都レベルの地図です。要は自分の行動範囲が徐々に広がるにつれて、地図を眺めながらここには何があるのだろう?という、好奇心と想像力をかきたてていた訳ですね。

不動産の仕事に関わるには、ベースに地図を見たり、地域を歩き回ることが苦ではない資質が必要と思います。その意味では自分に向いていたのでしょう。

2-5.友人のひとことをきっかけに宅建受験
そんなある日、大学時代の友人から「宅建受けてみれば?」と言われました。当時私はその資格の存在は知っていたものの、具体的な内容まで知りませんでした。

不動産業の叔父がいるものの、叔父が宅建を取得した頃は大変易しい試験だったようで、話を聞いても参考にはなりません。現在のようにネット情報を収集できませんし。

でも受けてみるかと思い、とりあえず書店に行って基本書を買い込みました。うろ覚えで間違っているかもしれませんが、住宅新報社が出していた「目で見る○○」の3分冊だったと思います。文字通り図が多用されているテキストです。最初から文字だらけの本を読んでも、理解が遅くなるだけですからね。

といいますか、どうやら私は視覚的に覚えるのが向いているようで、図だけではなく、漢字や単語も字面で覚えているようです。

2-6.通勤電車で半分寝ながら勉強
基本書は通勤途中の東急東横線の車中で読むことにしました。渋谷駅からは急行ではなく、わざわざ各停に乗って座席を確保。車中でテキストを広げて理解に努めましたが、途中で睡魔に襲われ、そのまま桜木町駅まで寝てしまったこともしばしば。

でも当時やる気の出ない火消し案件の手伝いに放り込まれたこともあり、反発心もあって頑張りました。

2-7.情報処理技術者試験をサボって受験
宅建の試験日は、秋の情報処理試験日と重なるのは有名な話ですね。私も建前上第一種情報処理技術者試験を受けなければならず、願書は出しました。しかし確信犯的にサボり、学習院大で行われた宅建の会場に向かいました。

ちなみに情報処理試験の受験料は、会社ではなく自分が出したのでサボってもいいのです(笑)

情報処理技術者試験は今はよく知りませんが、欠席者が多いので有名です。当時は約半数が欠席していました。

理由として
・仕事が忙しすぎて行けない
・会社からの強制で申込みはしたが受験する気はない
・試験に合格しなくても仕事はできる。実力の世界。

ということが考えられますが、まだ業界の事情を何も知らなかった私は、空席が多いことに少なからずショックを受けました。

一方宅建の会場はほとんど欠席者がおらず、この差はなんだろうと。

試験は幸い法令上の制限が上出来で、いけるかなという感触でした。

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