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神聖なる祈り

祈りとは?

混乱の続く世界

異常気象や自然災害、地球環境は破壊の方向に進んでいるのだろう

政治的・社会的に蓄積する問題

その問題の解決は破壊しかない風潮に流され

戦争という人類が互いに殺し合う 最悪の事態へ

「歴史は繰り返す」だけでは問題は解決しない

現在、人類史上、重大な危機に面していることは間違いない

宗教は違えど、たとえどんな理由であれ、命を奪う戦争を良しとする教えはないはず

神という存在が「戦争」を計画するはずがない

ではなぜ、現在のような地球・社会になっているのか

それは人間のなせる業(わざ)なのか?

利己主義・物質主義・際限なき貪欲・憎しみ

これらの想念の結果なのか?

そもそも人間とは何かわかっていないのに

人間の思考で 問題を同じテーブルで解決しようとおもっても解決するはずがない

ではどうすればよいのか??

あきらめてはならぬ あきらめを

いのちとは何かを知ること

2025年の大阪万博
いのち輝く未来社会のデザイン
いのちを知る ...
いのちを育む ...
いのちを守る ...
いのちをつむぐ ...
いのちを拡げる ...
いのちを高める ...
いのちを磨く ...
いのちを響き合わせる

2025年には いのちとは何か?を

世界中のひとが知ることになるのか

すべてのものに いのちが宿る


いのちとは何かは知らなくても、いのちを感じていた子ども時代

失って気づくいのちの片鱗

いのちとは何なのか?

万物に神が宿ると、八百万(やおよろず)の神様を信仰する日本人

以前は自然と調和して生きてきたはず

以前とはいつごろまでなのだろうか?

世界に3億人以上いるといわれる先住民
いま現在も自然と調和し生活している

そこに残っている祈りの儀式

祈りとは何なのか?

スリランカの先住民 ヴェッタ族の

Kannalawwa(カンナラウワ)

神聖な祈り

ヴェッタ族には個人という概念はないのかもしれない

祈りに個人的なものはないとのこと

世界の平和、家庭や国の平和

自然に対しての祈り

心や身体の健康

など

また、興味深いのが

亡くなった方が高いところにあがるようにという祈り

ヴェッタ族の 死生観がどのようなものなのかが感じられる

かつては旧石器文化を類推させるものとして人類学者の興味が集中したが,今日ではシンハラ族に吸収されて急速に衰退しつつあり,固有の言語も失われつつある。

ヴェッタ族 ブリタニカ国際大百科事典

2022年12月

神聖な祈り Kannalawwa(カンナラウワ)が行われる

スリランカの森を守るために できることを

祈り

日本とスリランカ

ひとりひとりの祈りを通して

自然と調和して健康で完全であることに気づき戻ること

科学的にも解明されてきた 祈り

世界のどこにいても いつでも できる 祈り

祈りを体験して 祈りを感じ 祈りを知る

祈りを通して 人間とは何かを感じ いのちとは何かを感じ

自分とは何者であるかを少しでも知ることができるのかもしれない

そうして いのりにこめた いのりが 現実化するのだろう

2022年12月に行われる 神聖なる祈りに ひとりでも多くの方に参加してほしい


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