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滅入る冬、悴む手と節制の鬼

洗い物が億劫な時期になってきた。
嘘。本当はいつでも嫌。

ただ、冬は水で洗い物をするのが辛い。
油分が多い場合はお湯を使うが、基本は水。
お湯を使えばいいじゃん、という発想はない。
ガス代を節約したいから。
お湯を使った場合のメリットって、汚れが落ちやすいことと自分があったかいこと。
汚れは仕方ないにしても、自分の為に温かなお湯を使う必要はない。なんか嫌だ。自分を甘やかしているみたいで。
節制している、という状況が好きなんだろうな。

とはいえ、大分無意味である。
お湯が使えれば洗い物をする効率も上がるだろうし、手も悴むことはない。ガス代だって、別にそんなに影響ないだろう。
冷たい水で洗い物をし続けていると、悴むを超えて指の関節が攣ったようにイカれてめちゃくちゃ痛くなる。でもお湯を使えば痛くならないらしい。

すごくアホっぽい。

なぜかどうでもいいところを厳格にしてしまう。ちゃんとしなければいけないところは、もうずっとめちゃくちゃになっているのに。
カスなストイック性である。カストイック。

冬は生きるのが難しい。
寒くて動きたくなければ、暖かにすると二酸化炭素がいっぱいで頭がぼんやりする。
4時くらいにはもう青く薄暗くて、電気をつけるかつけないかぐらいの室内は、いつかの実家を想起させて夏以上に滅入る気がする。

冬が嫌いなわけではない。
暑がりだから、寒い方が生活しやすい。
冬のツンと澄んだ空気の香りも好きだ。
冬のベランダで煙草を吸った時の、地元にある雪山のロッジを彷彿とさせる香りも好きだ。
雪虫がいると嬉しいし、雪が降っても嬉しい。
雪かきも楽しいから好きだ。

ただここ数年、冬にかけて気分の落ち込みが最大値を振り切ることが多くて、生きにくい。
今年の下半期は、脳みそがキャパオーバーした。問題が脳に詰め込まれていき、完全に消化できないまま次へ移行する。どうにか耐えていたところに冬がトドメをさした。

失敗からの自己嫌悪が人間不信を呼び、人間不信からの失態がまた自己嫌悪を起こす。
心がうすーい膜を張っている感覚。
このターン知ってる。すごく良くないやつ。

何も許容できなければ、何も発信することができない。何も感じることができない。
それでも、自分の中では消費され続けている。頑張って吐き出してきたはずが、何もない今が絶望させる。頑張りを評価されても、結果がない状態で受け入れられるはずがない。
頑張ってきたことは全部頑張っているフリをしているだけだったという考えに至ってしまう。許せるはずの自分を律して、積み重ねてきたもの頑張ってきたことを自分で無にしている。

これもカスなストイック性と一緒なんだと思う。四六時中、脳みそを動かし続けていることが美徳であるとして、考えなくてもいいところを考えている。

冷たい水で手が引き攣って痛み出す前に
心が完全に折れる前に

お湯を使ってもいいと、適度に自分を甘やかしていきたい。

本当にここ最近は息抜きが下手っぴになっている。手始めにたい焼き巡りツア〜を敢行する。

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