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archive⑥『マルティン・フレスト:モーツァルト「クラリネット協奏曲」』 演奏の所感(2020,Facebook +)

私が最近感動する演奏の条件とは、以下のようなものである。

・「卓越した設計」と「最高の技術」のもと、「熱い魂」に導かれているもの。
・清新さとオリジナリティを持ち、過去に聴いたことのないようなもの。
・それらが楽曲全体、フレーズ、1つ1つの音符に、実際の音として意図が透けずに自然に込められているもの。

これらを満たす録音を、中学高校の同期の友人および東京藝大でクラリネットを学ぶ彼女のお嬢様に教えてもらった。フレストのモーツァルト「クラリネット協奏曲」、2度めの録音である。

マルティン・フレスト/MARTIN FRÖST(指揮、クラリネット)
モーツァルト「クラリネット協奏曲」
ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン (BIS)

聴いて驚嘆。不明を恥じるとは、これを聴かずにいた、このことだ。

凡庸な箇所がどこにもない。さまざまな表現が美しく長く連なる山脈のように繋がっていく。歌う、飛ばす、圧をかけてたたみかける。刹那も永遠も、快活さも幽玄さも、現れては消える。すべてが絶妙で、曲に新たな命を与えている。

独自のアーティキュレーションに、はっとする。楽譜(ベーレンライター版)とは異なる過去に聴いたことのない箇所も、一部を除きそれは一興だ。スタッカート無視、レガート無視、全般無視もいい!

同じ楽句の繰り返しの表情では、強弱で変化を付けるだけの演奏も多いが、何もかもが違い驚愕。強弱以外に、緩急、硬軟、すっと抜いたりぬっと保ったり、さまざまな絶品のニュアンスがてんこ盛りだ。それらが、新しい方法として曲の本質を浮き彫りにする。

そしてそれは長いフレーズのなかだけではなく、シンプルなトリル――基本、上の音符から始めるのが格好いい――の中でも、短い間に効果的に表現される。さらに驚くべきことに、たった1つの4分音符の中でも行なわれる。

クレッシェンド、ディミヌエンドも圧巻。スタッカートは何種類の表情があるのか。タンギングの使い分けは縦横無尽。バセット・クラリネットならではの、高中低音域の音色もみごとだ。

こうして、茫然自失している間に曲は終了する。今のはいったい何だったのか? そう自問し、再びCDを再生すると、音楽がより深く訴えかけてくる。これは、新たな宝物が増えました。

註:2つだけ言うと、ウラッハから聴いている昭和の人間には、カデンツァは少々やり過ぎに聞こえます。あとオケの表現に若干あざとさが垣間見えます。でも、それぐらい。


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