読書感想文『虚無への供物』

中井英夫『虚無への供物』

今まで読んだミステリー小説の中で紹介されていることが多く、気になったので読んでみた。

初版の刊行は1964年、舞台はさらに遡って洞爺丸の海難事故があった1954年-1955年。
70年前!なので言葉遣いは古めで、辞書に載ってない言葉も出てくる。

序盤、ゲイバー『アラビク』でのおキミちゃんのセリフ、
「あーらアリョーシャ、しばアらく。あたしのサロメ、見てくだすって?」。
このしばアらく、は久しぶりね、という意味だとは分かるが、いったいどんなイントネーションなのか。しばア⤴︎らくでいいのか…?
こんな感じでZ世代…いや、Z世代には入れないけれども、平成生まれゆとり世代の私は想像で補う必要がある言い回しも頻繁に出てきた。

しかし不思議なもので、上巻の半分も読めば慣れてきて、スラスラ頭に入るようになる。
一文が長くて作文の先生に怒られそうな(失礼)ところもあるのだが、きっと昔はこんな感じの文章が多かったのだろう。そういえば夏目漱石とかも長かった気がする。うろ覚えだけど。

例えば同じくゲイバーでの情景を表現した次の文章。

吊下げ燈がほどよく明るんで、俄かに客席のさまざまな人影が浮かびあがる。海馬姫、お牧の方、三田の局、ドレミハ夫人等々の源氏名を持つ大和撫子たち──といっても、アリョーシャなどと呼ばれている亜利夫同様、素性も風体もありきたりの勤め人がほとんどで、秘密の悪徳のという翳りなど、まるで見当らぬこの人種を、隠花植物にたとえるのも的外れだが、それだけにまた、〝ニンフのいない午後〟を求めて、水暗い沼辺につどう牧羊神のむれ、といったふぜいも、いまは乏しい。

2つ目の文が長い!英訳問題に出てきたら結構難易度高いと思う。

まぁそんなのは主題とは全然関係ないので良いとして…

肝心の殺人事件の部分については、どう書いてもネタバレになりそうな気がして難しい。
未読で、なんのヒントもなく読みたい方はここから先は見ないほうがいいと思います。

この本のWikipediaには次のように書いてある。

小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、夢野久作『ドグラ・マグラ』とともに日本探偵小説史上の三大奇書と称される。推理小説でありながら推理小説であることを拒否する反推理小説の傑作としても知られる。

読み終わってみるとその通りで、反推理小説の色が濃かった。というかこの小説で伝えたいのは、「全部が推理やらロジックで解決できると思うなよ」ということなのではと思った。
しかし私はなんの前情報もなく読んだので(他の本でどう触れられていたかも覚えていなかった)、完全に「推理小説脳」で読んでしまっていた。
作者の手のひらで転がされた感覚だった。
現実の事件は推理小説みたいにキレイにいかない。「推理小説のルール」なんてエンタメでしか機能しない。現実に持ち込むな、現実はもっとどうしようもないことで満ちてるんだ、そう言われている気がした。なんとなく後ろめたい気持ちになった。

それなのに、次は正統派の推理小説を読みたいと思ってしまっている自分がいる。
巧妙なトリックが明かされる瞬間の快感を求めてしまう。人間って怖い。いや主語が大きすぎるか。自分が怖い。これはもう中毒だろうな。


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