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花落知多少

ぼたり、と大きな音がして思わずそちらを見ると、真っ赤な大きな椿の花が、その美しい形をそのままに、アスファルトの上に落ちていた。
今の音は、椿から出た音なのだろうか?と周りを見渡したが、どうやらやっぱり椿からのようだった。

まだ木に付いていたのと同じような凛としたした姿だった。人のように、体温があるような気がした。まだ温かい。そんな気がした。

彼からのメッセージを見なくなって3日が経つ。
ううん、正確には見るのだけど、返さない。なんて返したらいいのかわからないからだ。

木曜の夜、彼に対して会いたくて仕方ないのだと胸の内を吐露した。

わたしの悪いクセは「これを言ったら相手が困るかもしれないから言わない」という耳触りのいい言葉で自分を誤魔化してしまうことだけど、それは、よくよく分解してみると決して「相手のため」にはなっていないと教わった。

わたしの言った言葉を相手がどう受け取るかは相手次第。例えば「会いたい」という気持ちを相手に伝える。「会いたい」と言われた相手は都合が悪いのにな、と困るかもしれない。もしくは会いたいと思ってくれて嬉しいな、と喜ぶかもしれない。
わたしが陥りやすい考え方のクセは、「会いたいと言った後、変な空気になったら嫌だな。断られたらショックだな」と思い、「自分が傷つくのは嫌だ。それなら思っていることも言わない方が、ゲインもないけどロスもない」という思考になり、そんな"リスクをとってゲインを目指さない"自分を誤魔化すために「これを言ったら、相手を困らせるかもしれないから、言わない」という口実を自分自身に投げかけるのだ。
着目すべきは全く「相手のため」になっていないところ。全部自分の都合の悪さを直視しないための"言い訳"であるということ。

これはもうやめたいな、と思った。
なぜなら何にもならないから。1ミリも相手のための動きは無いし、本当の気持ちは抑制するから自分の中に澱のようにしてストレスがたまる。結局欲しい結果が手に入ることも本当に稀なのだ。自分のためにも一切なっていない。

頭ではわかっている。
手に入れたい結果があるならば、どんどん口に出していくこと。
そういうふうに自分を変えたいと思った。変えようと行動に移してみたのだった。会いたいものは会いたい。好きな人には、会いたい。

レスポンスは無かった。

しびれをきらし真夜中にもう一度送った。
「無視されるのはかなしい」

翌朝、返ってきた。
「無視してるわけではないので、ご安心を」

意味がわからない。会いたいに対する彼からの答えは「会おう」も「会えない」もない。
それで何をどう安心しろと言うのだろう?向き合ってもらえてない気がした。

会いたい、
俺も会いたい
必要とされてるのにごめん

会いたい
…そこから無音

そして、その日は1日連絡が無かった。わたしももうメッセージは送らなかった。
翌日の朝、おはようと共に言い訳めいた忙しいというような近況報告があったが、それに対して何と返信したらよいかわからなくなった。それきり。

ぼたり
落ちた椿に自分の彼への気持ちが重なった。
自分自身のようにも見えた。
花弁がゆっくりとひとひらずつ開いて、大きな大きな花が咲く。次第に縁の方から少しずつ茶色くなって、自重で首から落ちる。

翌朝は雨だった。落ちた椿は春の雨に打たれてぐちゃぐちゃになっていた。


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