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住所検索開発者が教える、知っておきたい日本の住所の話(第2回)

こんにちは。見習いスパルタ人1号です。ナビタイムジャパンで地点検索基盤の開発を担当しています。

第1回では住居表示法について解説しましたが、今回は住所の処理において問題となることの多い地租改正条例などに基づく住所について解説したいと思います。

地租改正条例などに基づく住所=地番住所とは

地租改正。まさか仕事をするようになってからこの言葉に再会するとは思いませんでした。日本史においては「生産高をベースにした徴税から地価をベースにした徴税へ」という側面で語られることが多い出来事ですが、実は住所という面でも現代日本にも大きな影響を与えています。このときに分けられた境界が、現代における住所の基盤となっているのです。

徴税をするにあたっては、土地を識別できるようにしなければなりません。このときに土地を特定するためのIDが地番です。多くの土地では、徴税や登記の際に土地を区別するためのIDである地番を便宜的に住所と扱っています。

住居表示法との対比で地租改正条例を挙げましたが、実際には「地番住所」と呼んだほうが適切です。以降は地番住所と呼称します。

この地番ですが、実際には地租改正条例時のものがそのまま引き継がれているわけではありません。多くの場合は市区町村や大字(後述します)が合併を繰り返しており、当時から名称が変わっています。この辺りの過程はややこしいので、大元の法律である地租改正条例を起点として解釈しています。(郡区町村編制法を起点とするという見方もあると思います)
たとえば島根県は『島根の地名鑑』(PDF) において変遷を整理していますので、興味のある方は一読をお勧めします。

地番住所の実例

歴史的な経緯については書き出していくと長くなるので、地番住所の実例について見ていきましょう。

茨城県龍ケ崎市3710 (龍ケ崎市役所) → 大字のないパターン
神奈川県足柄下郡箱根町湯本256 (箱根町役場) → 小字のないパターン
岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202 (中尊寺金色堂) → 小字のあるパターン

大字の有無と小字の有無(大字のない場合は小字もありません) で3パターン挙げましたが、既に複雑です。一体、どのような法則性があるのでしょうか。

梯子を外すようですが実のところ、わかりやすい法則性は存在しません。はじめに地番を付与する際、統一的なルールを明治政府が示していなかったためです。それゆえに様々な地番が各地に誕生していくことになるのですが、それは後々眺めていきます。

コーナーケースを見ていく前に概念だけは学んでいきましょう。大字(おおあざ)、小字(こあざ)について説明していきます。

大字とは

箱根町役場(神奈川県足柄下郡箱根町湯本256) であれば「湯本」、中尊寺金色堂(岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202) であれば「平泉」が大字です。龍ケ崎市役所(茨城県龍ケ崎市3710)では大字が存在しません。

そもそも大字という呼び方はどこからきているかというと、1888(明治21)年の内務省訓令が初出となっています。

合併の町村には其名称を選定すべし。旧各町村は名称は大字として之を存することを得

ここでの「旧各町村」とは、1878(明治11)の郡区町村編制法での「町村」を意味します。

この経緯を頭に入れた上で、再度龍ケ崎市役所の住所について見てみましょう。龍ケ崎市の特徴的な住所については、市が解説を出しています。

余談ですが、こういった特殊な住所については役所が解説ページを出していることが多い(堺市の「丁」についても市のサイトに解説があります)ので、積極的に活用していきましょう。

そもそも合併する必要がなかったことで、龍ケ崎市中心部では大字を振る必要がなかった、というわけですね。ちなみに当社サービス上では大字のない地域は「(その他)」の後に番地を付与して表示しています。

小字とは

1878年時点での「村」が大字ならば、小字は1878年時点での「村」内部での区域を表していることが多いです。現代における小字のつきかたは地名マニアの間では有名であろう 秋田県男鹿市戸賀戸賀戸賀 で見てみましょう。

同じ文字が並びますが、構成としては、秋田県(都道府県) 男鹿市(市区町村) 戸賀戸賀(大字) 戸賀(小字) です。男鹿市は1954年に船川港町、脇本村、五里合村、男鹿中村、戸賀村が合併して生まれました。当時の戸賀村に大字戸賀があったため、合併時には戸賀村戸賀が略されて「戸賀戸賀」という大字になりました。

ちなみに戸賀村(1889〜1954)は1889年の町村制移行に際して戸賀村、浜塩谷村、塩浜村、加茂青砂村が合併して生まれた市区町村で、この名残は現代の男鹿市にきちんと残っています。

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文字だけでは分かりにくいので、元々の土地の名前を赤と青で、1889年についた土地の名前を緑で表記して表にまとめました。土地の歴史が見て取れるかと思います。

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省略可能な小字

小字のややこしいところは、省略可能な場合と不可能な場合があることでしょう。省略可能な小字は正式な地番には含まれないことがあるため、地域の人が昔からの慣例で使っていても住所検索ではヒットしない、というようなことが発生します。

一例として、出雲大社の住所を見てみましょう。当社サイト上での社務所の住所は「島根県出雲市大社町杵築東宮内195」となっていますが、出典によっては「島根県出雲市大社町杵築東195」と、「宮内」が登場しない形の表記も存在しています。

構造としては島根県(都道府県) 出雲市(市区町村) 大社町杵築東(大字) 宮内(小字) 195(地番) となっています。戸賀戸賀の例でも分かる通り、市区町村合併後の大字が「旧市区町村名+旧大字」となっているのは頻出パターンです。

では、「宮内」のある表記とない表記ではどちらが正しい住所なのでしょうか。実は「住所」としてはどちらも表記としては正しいのです。ここが日本の住所において非常に厄介なところです。

地番としてみれば、宮内のない「出雲市大社町杵築東195」で一意になります。ではなぜ地番にはない「宮内」が登場するのでしょうか。答えは前に挙げた『島根の地名鑑』(PDF) にあります。PDFの87ページをご覧ください。

大社町は2005年に出雲市に合併されましたが、それまでは市区町村として独立していました。旧大社町のうち、出雲大社の周辺は1889年まで杵築東村と杵築南村に分かれており、杵築東村は宮内村などの市町村から構成されていました。経緯が複雑なので表では省いていますが、1879年時点で宮内村は杵築村の一部だったため、「小字=1879年時点での村内部区域」という上述の説明にも合致します。

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つまり、島根県出雲市大社町杵築東宮内195という住所は、「杵築東195だといまいち位置がわからないから、旧宮内村の辺りだよ」という意味でつけられている道案内用の小字なのです。発生の経緯は異なりますが、似たような例は長野県でも多く見られます。

省略不可能な小字

先程は省略可能な小字を見ましたが、省略不可能な小字も存在します。八甲田山雪中行軍 遭難資料館のある青森県青森市幸畑を見てみましょう。当社サイト上では「(大字)」という表記がありますが、幸畑は住居表示済み区画と未実施区画が混在しているためにこういった表記になっています。住居表示済み区画に位置する青森大学の住所は青森県青森市幸畑2丁目3-1と、住居表示に従った形となっています。

住居表示未実施区画には阿部野・唐崎・谷脇・松元と4つの小字が存在しています。試しに阿部野谷脇を見てみましょう。どちらにも2番地が存在することがおわかりでしょうか。この場合は先程の宮内と異なり、「幸畑2番地」だけでは一意にならないため小字は省略できません。

なぜ、このようなことになっているのでしょうか。実は地番の付与を行う際、小字ごとに1から付番した地域と小字ごとに値の範囲を決めて付番した地域があるのです。前者の手法を字別付番、後者の手法を一村通しと呼びます。字別地番では小字は省略不可能なのに対し、一村通しでは小字は省略可能です。

字別付番での地番のイメージは以下のようになります。

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対して、一村通しではこのように振ります。

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詳しい解説はこちらのサイトにもありますので、興味のある方はご一読ください。

大字、小字について覚えておく点としては以下の3点です。
・合併市区町村の場合は旧市区町村名を大字に使う場合が多い
・一村通しの場合は小字を省略できるが、慣用的に利用される場合もある
・字別付番の場合は小字を省略できない

この理屈を頭に入れておくと、初めて見る住所でもなんとなく土地の背景が見えてくるのではないでしょうか。

地番のない住所

地番は登記や課税のために必要なIDだと述べました。そのため、各地方自治体による登記や課税の必要がない建物には地番が存在しません。代表的な例では自衛隊の施設が挙げられます。

Wikipediaで航空自衛隊 防府北基地の項を見てみましょう。

防府北基地 (ほうふきたきち、Houfu Kita Airbase)は、山口県防府市田島無番地に所在し、主に航空自衛隊パイロットを養成する部隊である第12飛行教育団等が配置されている。

「無番地」となっています。基地のサイトでもそう表記されています。あくまで番地がないというだけで、住所としては有効であるため郵便を送ることも可能です。
(※百里基地など、地番のある自衛隊施設も存在します)

ちなみに防府南基地も住所は同一なのですが、実は郵便局にはその辺りをよしなにするシステムがあります。これについては次回解説します。

自衛隊の他にも、海の上では地番が付与されないことがあります。ヘッダ画像にもしている氷川丸の住所を見てみましょう。

ページを下にスクロールしていくと、住所として「神奈川県横浜市中区山下町山下公園地先」と示されています。地先というのは「山下公園の先ですよ」ということを示す慣例的な表記です。このワードだけでは点で示すことができないため、住所検索という観点では課題となっています。

所在地が「地先」となっていても、対象となる施設が分かるように書けばおそらく郵便は届くでしょう。送ったことのある方の体験談をお待ちしております。

ここまでのまとめ

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前回の冒頭で挙げた構成をここまで紹介してきました。ここまでの説明で上図の多くを説明できるかと思いますが、ざっくりまとめると原則は以下のようになります。

1. 日本には住居表示がされている区画とされていない区画がある
2. 住居表示がされている区画では、一定のルールに沿った住居表示がされている場合が多い
3. 住居表示がされていない区画では地番を住所として利用している

次回予告

2回で完結させる予定でしたが、予想以上に長くなってしまいましたので地番住所の例外については第三回で述べたいと思います。第三回の内容は以下の予定です。

・丁目がある≠住居番号がある
・番地≠数字である
・地番住所は不便
・郵便番号と住所は紐付かない場合がある
・京都の通り名住所も独自体系
・大分のローカル住所、組
・森林計画を用いた体系
・北海道の住所は正式な体系