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落語の話 金額を換算してみる

俸手ふりと言われる天秤棒を担いで行商を行う魚売り
ご存じ芝浜」という有名な古典落語

名人 小三治 志ん生 最近では林家たい平
   
   魚売りの勝五郎 お酒に身をゆだねて
   一向に仕事をしなくなってしまった。
   手をこまねいて何とか仕事をさせよう
   とするおかみさんとのやり取り。
   河岸へ出向いたときに浜辺で古い財布
   をひろう。大金が手にないった勝五郎
   は天の助けとばかりに仲間を呼んで大
   酒を振る舞しかしおかみさんの機転で
   夢だったと諭されてしまう。その後
   人が変わったように仕事にまい進する
   数年たち働いたご褒美にかみさんが
   お酒を飲んでいいと差し出すところ 
   で飲まない選択をする勝五郎。
   
   
まず、江戸の界隈を歩いて行商を行う歩数を考えました。

当時の平均身長で下町の距離を計測することにしました。

天秤棒を担いで江戸下町を闊歩していた魚売り
歩幅の目安は身長×0.45
例えば身長170cmで計算すると、170×0.45で歩幅76.5cmとなります。

当時の平均身長155cmの天秤棒を担いだ魚売りは
155cm×0.45×0.8=55.8cm

高輪から品川界隈のお屋敷を歩いてゆくと 約3キロ 
目黒のサンマで有名な目黒駅まで行商に行けることになります。
56cmで1キロ歩くと1754歩
往復で6キロ 直線ではなく長屋の路地なども縫って歩いていたとすると
約10キロ 17540歩 かなりな重労働です。

そして今のように曜日の観念がありませんから
雨・雪の日は休みを取っていたようです。

天保年間の平均日照時間は1960時間
そのうち雨・雪など仕事を休んでいたようですが、
現在と違い江戸はかなり雪の日が多かったと書いてあります。

江戸の天気

1810年2月は4回も雪が降っていたようで、
15日間が晴  6日間は曇り 4日 雪 5日 雨となっています。
2月は、9日は休みだったと推測されます。
しかし翌月から、10か月 雨の休みは数えるほど、
ほとんど休みを取っていない、働きづめの状態。

時化が続く大風は漁も上がらず仕入れができない日が続き生活費も底を尽き、
米屋、家賃の滞納は頻繁です。

夏の炎天下は、朝早く行商に出かけ、昼には売り切っていたという記述もあります。

そして宵越しの銭を持たない行商は、貯金などしていなかった。

ましてお金をためても大火事で家を焼かれてしまうと、せっかく貯めたお金も焼けてしまう。
これが貯金をしない理由かもしれません。

一日の稼ぎは100文程度 
大徳利 二本 8文 つまみには「みそに佃煮」 ちょっと余った銭で翌日の仕入れ、というものが日常でした。

簡単に現在のチョイ飲みを考えると 
一日5000~6000円稼いで3000円を使い
翌日に2000円仕入れということのようです。

宵越しの銭を持たないという故事もありますが、多くの場合は
その日払いの大工仕事、庭師などが対象のようです。

面白い地図を見つけました。落語の芝浜は現在の高輪あたり、

芝浜で波打ち際に打ち寄せられていた革の財布。
東海道を行き来する旅人が落とした路銀と考えます。

小判:両 一分金・二分金:分(ぶ) 一朱金・二朱金:朱

貫(かん)、匁(もんめ)、分(ふん)

貫、文(もん)
金貨の場合は、一朱4枚で1分1枚、1分4枚で1両1枚(小判1枚分)のように、
お金の枚数で計算されていました。

一方で銀貨は、重さで価値が決められる秤量貨幣です。

銭貨1,000枚を紐に付けた重さ約3.7kgのものを1貫文と呼び、
4貫文で金1両と同じ価値であるとされていました。

時そばを引き合いに出しますと
そば一杯が16文 600円程度 

1両10000文 625倍 1両は25万円ということになります。

時そばが江戸末期 振り分けに🎯やの屋号
女郎が客ふたつ取って  そば三つ食い」というくだりがあります。 

一人のお客が900円程度 二八そばが48文 1800円が夕食。
このように庶民でも遊女と遊べる文化があったようです。

一方、花魁というのは遊郭の中にいて、認められた人しか相手にしない
高嶺の花。まして、入山方に二つ星 最高峰の花魁 
『高尾太夫』という女性が有名です。

「紺屋高尾」に出てくる職人は 汗水たらして休まず働いて
日当が50文 月収が1400文 年収がおよそ16,800文
奉公では食事代、宿泊などを引かれると手元に残るのは1/3 600文程度
60万円 それを3年分貯めて一晩の夢を果たします。

一晩180万円とは相当高額な花魁ということになります。
「文七元結」に出てくる文七の娘が身を売って親の借金を返そうというくだり。

ばくちの借金は50両 約300万円
博打で作ったものをその場で貸せる女衒のおかみさん。

相当な金持ちです。
お茶屋で多くの女性を抱えるためには相当な費用が掛かっていたようです。
路上の女郎と花魁にはこのような格差があったようです。

年代
相場
初期 1609年(慶長14年)
金1両=銀50匁=永楽通宝1,000文=鐚銭4,000文
中期 1700年(元禄13年)
金1両=銀60匁=4貫文(4,000文)
後期 1842年(天保13年)
金1両=銀60匁=6.5貫文(6,500文)
幕末 1865~1868年(元治2年~慶応4年)
金1両=銀150匁=10貫文(10,000文)

さて「芝浜」に戻りますが、2分銀は62,500円 
それが42枚  2,625,000円もの大金を砂浜で見つけたのですから、
そりゃー遊んで暮らせると間違ってしまいます。

こんな方向から江戸落語を見てみると面白い文化が見えてきました。

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