見出し画像

武力攻撃事態における我が国の海上交通に関する研究


東京海洋大学OACIS 2019年3月
https://oacis.repo.nii.ac.jp/records/1771

要旨

 「武力攻撃事態」とは、「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態」(事態対処法第2条)を指し、現在における「日本商船隊」とは、「日本企業自らが所有する日本籍船のみならず、外国企業から用船した外国籍船も合わせた概念」(国土交通省)、即ち我が国外航海運企業が運航する外航商船群をいう。本研究は、こうした武力攻撃事態における我が国の民生用海上輸送の維持を図るべく、海運実務者の視点に立って日本商船隊の在り方を論じて分析・研究したものである。
 本研究では、武力攻撃事態における様々な要素が我が国の海上交通に与える影響を明らかにすることによって、武力攻撃事態下での現実的な海上交通の姿を論じると共に、武力攻撃事態において外航日本人海技士の採り得る選択肢を提示している。そのために、本研究では戦時下の海運に関する歴史的沿革や海戦法規と平和安全法制の解釈、戦時の国家緊急事態における伝統的な海運統制政策である商船の護送と商船及び船員の徴用、さらに現代の日本商船隊の概要、船舶の商業運航の基本的要素である用船契約、海上戦争保険、船員雇用契約と船員の実態等を詳細に検討した。
 海上経済戦を含む海戦は中立国領域(領海、内水、群島水域を除く全ての海域で実施され得る。つまり、海戦法規の海域区分は国連海洋法条約で規定された排他的経済水域等の海域区分とは異なる。そして、海戦法規においては、武力紛争当事国にとっては戦域であっても、その紛争に武力行使を以って直接係わることのない中立国にとっては公海自由原則の海域であるという特徴が見てとれる。又、サンレモ・マニュアルを軸とした現代の海戦法規が認めている海上経済戦手段は捕獲と封鎖と攻撃であるが、敵国船舶と中立国船舶ではその適用に差が認められる。武力紛争当事国の自国籍船舶による海運は、紛争相手国が海戦法規に沿って実施する海上経済戦によって遮断される可能性が高い。これに対して、中立国船舶による海運は、紛争当事国による護送を受けない、戦時禁制品の運搬に従事していない等、即ち何らかの敵性を示さない限り、合法的な海上経済戦手段によっては遮断されない。戦時禁制品は輸送船の船籍とは無関係に敵国の没収対象となるが、非禁制品貨物は、中立国船舶による輸送であれば捕獲や没収の対象とはならない。
 他方、船員個人の幸福追求権に基づく乗下船選択や帰国送還を受ける権利は、今や国際的に広く保証されている。更に、日本商船隊を含む外航商船の乗組員の大半を構成する外国人船員については、何らかの敵性を示さない限り海戦法規上の保護を受ける中立国船舶でなければ彼らの乗組みを期待できず、武力攻撃事態に際して外航商船は運航されない事態に陥る。現在我が国では外国籍船と外国人船員に頼っている日本商船隊について、国家緊急事態に備えて、日本籍船と日本人船員の増加を目指す政策が追求されている。しかし本研究に基づく分析によれば、日本籍船の役割が期待できる災害等を対象とした平時の緊急事態と、日本籍船の運航が妨げられる可能性が極めて高い戦時とでは海上貿易交通維持のための政策は相反する性格を持って いる。こうした視点から、中立国船舶による日本商船隊こそが、武力攻撃事態下の我が国国民の生命線を生き長らえさせる可能性が高いと推測されよう。尚、外航日本人海技士は武力攻撃事態下の海運界でいくつかの業務選択肢を持ち得るが、それは日本籍船の保船要員、中立国船舶への乗船、内航への転換乗船、そして陸上での船舶管理業務と考えられよう。
 他方、現代の商船の運航システムは船員雇用契約の他に、用船チェーン、用船契約、海上戦争保険等を基幹的な要素として構成されており、これらの要素それぞれが国際化を深めている。即ち武力攻撃事態において外航商船は、各要素における諸条件が十分に満たされない限り、中立国港湾で運航を中断するか、我が国を抜港する可能性が高い。それ故、武力攻撃事態における外航海運は武力攻撃によって遮断されるのではなく、むしろ運航システムの構造上、自ら停止に追い込まれることが予想される。そして、これら運航システムを構成する諸要素の中には、我が国周辺海域が戦争危険区域となった場合においても日本商船隊の我が国への就航を実現するために、解決しなければならない条項が散見される。とりわけ対処が求められるのは、武力紛争が規定の条件を満たした場合に契約が自動失効に至る条項 であり、用船契約と海上戦争保険については、その失効を防止するための政府の事前対策が望まれよう。

いいなと思ったら応援しよう!

海洋政策・船舶科学 吉野研究室
実務海技士が海を取り巻く社会科学分野の研究を行う先駆けとなれるよう励みます。