見出し画像

CARGO(リメイク長尺版):優しさと哀しみの物語

数年前にYouTubeで無料公開されて話題になったCARGOという短編映画がある。
ゾンビパンデミック後の世界で赤子を守ろうとする父親の姿を描いた、わずか7分ほどの作品。
今回、私が観たのはこのオリジナルを長編映画としてリメイクしたものだが、オリジナルをまだ観ていないという方がいればぜひ観ていただきたい。
CARGOオリジナル版→ https://youtu.be/gryenlQKTbE


※ここからオリジナル版のネタバレあり。

この作品を初めて目にした時、ワンアイデアでのゾンビ映画として非常に素晴らしいと感動したものだ。
事故を起こした車の中で目覚めると、助手席の妻はすでにゾンビ化していた。
あわてて後部座席の娘(赤ん坊)を抱きかかえて逃げ出す主人公。
しかし彼も傷を負い感染が始まっていた。
なんとかして娘を助けたい(自分が自分で無くなり娘を喰ってしまうことだけは避けたい)彼は背中に娘を背負い、自らの手を縛り、木の枝の先に臓物をぶら下げて歩き出す。
その目の前にぶら下げた臓物の血の匂いに惹かれてひたすら自分が歩き続けるように。

完璧だと思った。
これ以上付け足すところも何もない。
台詞はほぼ無いが娘を思う父親の気持ちが痛いほど伝わってくる。
自分がゾンビ化しても娘だけはなんとかして誰か他の人に見つけてもらいたい。
そのための策にも納得がいく。
最後他の生存者グループに発見された彼は命を落とす(もう死んでいるようなものだが)が娘は助けられる。
娘のお腹に名前を書いてあるところも良かった。


で、今回のリメイク長尺版である。
世界配給権をNetflixが獲得したとのことで現在はそこでしか観られない。
監督はオリジナルと同じくオーストラリア出身のヨランダ・ラムケ&ベン・ハウリング。
主演はマーティン・フリーマン。
日本で一番わかりやすくいうならドラマ版シャーロックホームズのワトソンくん。
舞台はオーストラリアだ。

この長尺版、出来は悪く無い。
というかかなりしっかり作られている。
オリジナル版を観ておらず『これがCARGOという映画です。』と公開されていたら私はかなり気に入っていたと思う。
基本的なシナリオはオリジナルと変わらない。(つまり結末も同じ。)
ただあの7分の短編映画を長尺化するためのドラマが大幅に追加されている。
このシナリオはもともとあったものなのか、それとも尺を増やすために後から作ったものなのかは私にはわからない。
オリジナルと同じ監督が手がけているだけに納得はいくし、オリジナル版への愛情もたっぷりである。
しかし、オリジナル版にあった切れ味するどく観る人の胸に刺さるような感覚は薄れた。
その分、じわじわと観る人の心を蝕んでいくような観ているのが辛くなるような展開が続く。


※ここから長尺版の内容に触れます。

大きな追加要素の一つ目は奥さんが感染するに至る展開と、彼女の娘への愛情あふれる描写の数々だ。
これは良かった。
オリジナルではすでにゾンビ化してしまっていたが、長尺版では絶望的な世界でもわずかな希望を頼りに生きる家族3人の姿が描かれている。
特に娘の笑顔には救われる。本当に愛らしい。
そして奥さんの主人公への愛情の深さもしっかり描いている。
状況がこんなでなかったらどこにでもいる普通の幸せな家族の姿だ。

大きな追加要素の二つ目はアボリジニー出身の新キャラ(&家族)のドラマを盛り込んだこと。
監督がオーストラリア出身ということもあるのだろうか、もしかしたらアボリジニーの関係者を持つとかそういったこともあるのかもしれない。(未確認)
映画全体を通してアボリジニー文化へのリスペクトが見て取れる。
また主人公たちとは違うもう一つの家族を描くことで対比を生み出そうともしている。

この映画、『家族』というのはかなり重要なテーマになっていて中盤から登場する粗野な男も『家族』を作ろうとしていた。
そのやり方には問題があったがあの男も終わりゆく世界で家族を求めていたことは明らかだ。
もともと働いていたガス工場ではきっと最底辺の立場であっただろうが、ゾンビパンデミックをきっかけに調理場の美人の人妻をかこい、資源や金品を独り占めするために自分勝手なふるまいをする。
非常に人間らしい、悪く言えばよく出てくるタイプの悪人枠。

他にも、生きるのを諦めて心中を図る家族も出てくる。
彼はリボルバーの残りの(残る予定の)二発の弾丸を主人公と娘のために使えと言う。
それこそが娘のためだと言い残して死んでいく姿は何とも言えない後味を残していた。
そして元校長先生で地元のアボリジニーたちに勉強を教えていた初老の女性教師。
彼女は生徒たちという『家族』を失った。
それでも主人公に『希望を失うな』と説く。

様々な『家族』の形を描くことで主人公の我が子への想いを浮き彫りにしていく。
このやり方は見事だった。
それぞれの『家族』がそれぞれの選択をする。
短編映画の集まりのような映画ともいえる。
群像劇として描く手もあったかもしれないとさえ思える。

しかしこの監督陣はオリジナルの『父から娘の想い』を中心に据え、あくまでもオリジナルに忠実に長編化した。
ここを『意外性がない』ととるか『より深みを増した』と捉えるかは人それぞれだろう。
かくいう私も見た直後はあまりピンとこなかったのだが、改めて文章化していく過程で『この描き方は正解だった』と思えるようになった。
唯一気になるところと言えば『理屈が通るように説明しすぎている』点だろうか。
とはいえ致命的な欠点ではない。

この映画はゾンビ映画としては珍しく、やさしい心を持った人々しか出てこない。
愛する者のために生きることを選ぶもの、死を選ぶもの、人ではない何かになっても生きようとするもの。
あの粗野な乱暴者の男でさえ、優しすぎた。
人間性を失ってはいなかったのだ。

とても優しさにあふれたゾンビ映画だ。
だからこそ、哀しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?