最少枚数だけど満足

きょうはなんとなく腹八分、よりもう少し足りないぐらいでちょうどいい。
注文パネルから指を離した。
「ピンポーン」という音が店内に鳴り、方々から「ありがとうございまーす」という「セリフ」が聞こえた。


わたしよりひと足先に店に入ったふたつ隣に座っていたカウンター席の客が
茶碗蒸しを口に含みながら、
「嘘やろ」という顔でこちらを見ていた。


皿の枚数を数えるために近づいてきた店員は
わたしが会計ボタンを押したとは思わなかったのか「茶碗蒸しの客」の前で一瞬止まりかけ、
食事中の客を一瞥して靴をキュッと鳴らし
「おや」という顔でこちらに向き直った。


「お客様〜?お会計でよろしかったですか?」

まさかその枚数で、と思っているんだろうなあ、というのがひしひしと伝わってくる。
「よろしいよ!押し間違いじゃないよ!お財布にお金入れ忘れてこれだけしか食えぬのでもないよ!」と言い訳をしたくもなるが、誰もそんなこと求めてはいまい。

食の細い人間にとって、好きに食べられる回転寿司は都合がいい。
知らない店で定食一人前を頼むのはとても勇氣がいる。なにしろ「残す=悪」とみなされる昨今、「残すぐらいならはじめから頼むな」という刺さるような視線には耐えきれない。
ちょっとお高いハンバーガーなんかは半分食べたらもう限界が近くなる。
ときには「ごはん行こう」と無邪氣に誘ってきた相手から「もったいない…」と蔑まれ、
「もうちょっと頑張って食べーや」
「そんなんやから細いんやん。細すぎんねん」
などともっともらしいことを言われることもある。うるせーわ、あんたにごちそうになるわけでもないのになんでそんなこと言われなあかんねん、と思いつつ無理に飲み込んだ結果、
速攻トイレの神さまと化す(おなかくだす)なんてことは一度や二度ではない。そうなってしまったら最後、その後の予定はキャンセルである。
「正義」「正論」を振りかざすタイプの人とは食事しないことにしている。相手のためを思っているようで単に自分が氣持ちよくなりたいだけで、
わたしの消化によろしくないことは明白である。
というわけで、おひとり様を謳歌している。このままでは誰とも食事になんか行けない氣がする。
……別に困ってはいないのだけど。


そんなお腹の弱い、少食の人間にとって回転寿司はありがたい存在である。
残す心配もないし、枚数が少ないからって文句を言われることもない。
が、皿の枚数を店中に聞かせるような声量で発表されるとなると辱めを受けているようで、
毎回少し憂鬱ではある。


「お皿の数、数えさせて頂きます!」


何やら機械で皿を読み取っているが、目視でわかる。誰がどう数えても、皿は4枚だ。
椀ものもデザートもない。


ふと何か察してくれたのか、店員さんは声のボリュームをやや下げ
「合計4枚、お会計◯◯◯円です」と言った。
何かほっとした氣持ちで席を立つ。

さっき会計してた右隣のお爺さんは「いつもありがとうございまーす!」ってでかい声で言われてたな。
いつも寿司食ってんのか爺さん。いいなぁ。

セルフレジで会計をする。
幅広で長すぎる、どうしようもないレシートを流れるようにゴミ箱に捨てて、
「満足じゃ」と、店をあとにした。



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