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五行歌 (2024.1.28)



虹を見つけると嬉しくなる。
だけどその場で「虹だよ!!」と誰と共有することもできないのは仄々とさみしい。
それは、あの日のことを思い出すからだろう。


20代の頃、事務系の仕事をしていた。
毎日ピークタイムがあり、夕方の時間帯は殺伐としていた。フロアに怒号が響くこともあった。

求人が滅多にない「採用一名」の仕事を勝ち取った割には、パッとしなかった。
空きが出た理由もやはりパッとしなかった。
お局が女性スタッフをいじめており、見かねた上司が《いじめられている方》を異動させた、
その欠員募集だったんだよね、と初日に聞かされた。いやいじめてる方を異動させーや、ほんでそれ面接の段階で言わんかい、と思った。
「一応お局さまに釘は差した」と上司は言ったものの、結論をいうとターゲットがわたしに変わっただけであった。要はサンドバッグになれば誰でもいいのである。「若い女」というだけで翌日から洗礼を受けたのは言うまでもない。
つまらぬ会社に入ってしまった、と心底思った。


そんな折、同じ部署の年の近い年下くんと話していると「僕もSHARAさんもここでは一番若いんで、色々言われたりいじられるのは仕方ないッスよ」と励まされた。感情を出さないよう淡々と仕事をしていたが、発した言葉に棘があったか、
心の中で全方位に向けて中指を立てていることを見透かされたようで猛烈に恥ずかしくなった。
言い訳もできなかった。
そういうわけで彼とは少しずつ素の毒を見せながら話せるようになった。
「えっ、嘘でしょ!SHARAさん年上!?年下やと思ってた」
「わたしは君が年下だと認識していましたよ」
わたしが同じ高校の先輩だと知った彼は、
途端にわたしのことを「パイセン」と呼ぶようになった。
お局と取り巻きによる嫌味や地味な嫌がらせは続いていたけれど、心理ダメージはやわらいでいた。犬のような後輩くんの存在もあったし「あのおばちゃんきっついやろ〜大丈夫か〜??」と他部署のおじさまたちが氣にかけて声をかけてくれることもありがたかった。何しろ、「やさしい人」のほうが圧倒的に多い会社ではあった。


ある日、雨の日の勤務だった。
静かに鬱々としながら書類の後処理をしていると、彼が大きな声で呼んだ。
「パイセン!ちょっと来てください!」
振り返ると引き戸が開け放たれていて、数人が外に出ていた。
「何事……?」
動かずにいると彼はわたしの元に走ってきて
「来てください!!!」と言う。
「なんで???」
「いいから!!早く!!!」
「えー早く終わらせたいのに……」
と、しぶしぶ外に出る。
雨があがったばかりで水たまりができている。
空は先ほどまでと違って明るく、日が差していた。上司ふたりと、社員と後輩くんが嬉々として同じ方向を見上げている。視線の先を追った。


「あ」



雨に濡れた薄暗い建物の頭上に、
鮮やかなアーチができていた。
虹だった。


「きれい……」


視界が開け目がパッと開いた。
開いて初めて「いやわたし半眼で仕事してたんかい」と氣づいた。
くさくさしていた心が突如としてまるくなった。
刺がばらばらと抜け落ちていく。
上司らも「すごいなぁ」と口々に言い、後輩くんも「めっちゃきれいッスね!!!」とにこにこしていた。完全に犬だ。尻尾が見えた氣がした。
「はやく終わらせねば」とひとりで急いていたのがあほらしくなり、途端に力が抜けた。


大の大人が何人も揃いも揃って空を見上げているので、外回りから帰ってきた他部署の人たちも何事かと立ち止まる。
「みんなして何してるんすか?あっ!?虹!?
すげー!!!」と、にわかに賑やかになった。
たかが虹ひとつ。
だけどそれをみんなで共有できた一瞬のおかげで、わたしは苛々から解き放たれた。
虹を見せてくれた後輩くんに感謝をし、わたしたちは仕事に戻った。
そのあとは穏やかに晴れやかな氣持ちで働いた。



怒りも悲しみもそうだけど、もれなく喜びも連鎖するものなのだと、そのときに知った。
後輩くんはいじられても、強い言葉を投げられてもただ自分の心地よさを保ち、周りに喜びを連鎖させたのだった。花咲か爺さんかよ、とほんのり温かい氣持ちになった。
喜びやわくわくを伝染させるような人。
ゆるめて、笑かす人。
何度もあしらわれているんだろうけど、
自分を貫いた結果が、彼のスタイルなのだと思う。
わたしもわたしである以外ない。
努力して他の誰かや何かになろうとしなくていいんだ、そのままでいいんだ、と思わせてもらえた。


数年後退職したけれど、虹を見るたびにあの日の光景を思い出す。
ぴりぴりした空氣から一歩外へ出た、あの瞬間を。


「いいから早く!!!」


と、急かされて見上げた先にあったものが
ただそのままでうつくしい、虹だったことを。


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