見出し画像

存在感を出していく

最近メッセージとして
「断る」「ノーと言う」というの、
めっちゃ めっちゃ来る。



こちらは「めっちゃめっちゃ春 II」


「断る」もスキルのうち。
「素振り」と同じだという⚾️


「断る練習をしてみましょう。
 言葉、言い方、声のトーン、表情。
『素振り』をしたことがないのに、
いきなり本番でホームラン打てませんよね」


カウンセラーさんからは、
「『まだNOを言わないのか?
この状況でも?まだ断らない?』
というお試しのようなものが
続いておられるんですね」と微笑まれ、


鍼灸師さんからは、
「たとえば『ノー』を言ってきていない人にとって『断る』ということは
はじめはストレスになるんですけど、慣れると
なんでもないようにできるようになります」
と あかるい声で、言われた。


ふたりとも、
「毅然と」「凛と」という
キーワードを伝えてくれた。


「たとえば水分も足りず萎れている花は
 存在感がないので、
 悪氣なく踏まれちゃうこともあるんですが
 《凛と咲いてる花》を、
 人はうかつに踏めないものです」


失礼なことをされたら毅然と
「やめてください」「不快です」と伝えること。
嫌なことは嫌だとはっきりと言うこと。
そうしないと「こいつは何しても大丈夫」と相手に認識させてしまい、自分に対して失礼なことをする人たちが集まってくるという。
わたしは「無用な争い」を避けるため
「やんわり」と伝えたり
「どっちとも取れる表現」でぼやかしたり、
「しつこいな〜あきらめてdokka ittekure」と、心のなかで念じているばかりだった。
だから「断る、をやる」ための状況がくり返しわたしの前に映像として現れてくる。


「存在に氣づかれていない」
というフレーズを聞いて、はっとした。
カウンセリングの初回心理テストの結果、
「被害妄想が強かった」ことが、
頭をよぎったのだった。


「こいつ絶対わざと踏んでるやろ!といつも思ってました」

「わざとの人(=自己愛モラハラ氣質)もいますけど、わざとじゃなく本当に存在に氣づいてなくて踏んでいく人もいます」
 


そうか。なんのことはない。
わたしには「存在感」がなかったのだ。
そう言われるとそう。覚えがある。
「氣配消しすぎ」と散々、人に言われてきた。
わたしはどこにいても無意識に
「いないふり」をしていた。
存在に氣づかれたらひどい目にあう
と思いこんでいたから、


「目立ってはいけない」
「存在に氣づかれてはならない」
「見つからないように」

と、自分で好き好んで存在感を消し、
生きてきたのだった。


それなのに誰かに存在を無視されたり踏まれたりするとき、そんな「自分の意図」のことなどすっかり忘れ
「みんなと同じように挨拶したのにわたしのときだけ無視された!わざとだ!絶対聞こえてるくせに!なんて失礼なやつ!!!」
などと、怒ってきたように思う。
完全に、被害妄想である。
(自己肯定感の高い人は『聞こえてなかったんだな』『まぁそんなときもあるわ』と、氣にならないらしい)


自ら「誰からも氣づかれないようにしていた」
のだから、誰からも氣づかれず、認識されず
「存在を無視」されるのはあたりまえ。
「相手がこちらに氣づかず、うっかり踏まれた」
ということも、きっとあるのだろう……
(比喩のような、比喩でないような)

認知のゆがみがまたひとつ、ほどけた。


そういえば今、これを書いていて思い出した、
かつて働いていた会社でのできごと。


屋上の喫煙所でわたしはひとり
しゃがんで壁にもたれて、煙草を吸っていた。
当時は「吸っていた」というよりも
「喫煙所である屋上」にいるためだけに煙草を持っていた、という感じ。
「あいつ煙草も吸わんのになんで屋上いんねん」と邪推されることも多かったので
とりあえず火をつけて咥えていた。
換氣の悪い、いつ行っても生臭い休憩室にいるよりはるかにマシだった。
その時間、屋上にはわたし以外に人はおらず
貸切状態を味わっていた。


わたしが屋上に来てから数分後。
からからと引き戸を開けて
引き戸の真ん前の灰皿の前にしゃがみこんで
煙草を吸い始めたおじさんがいた。
携帯電話を操作していた。

煙草を吸い終わり、というより、ほとんど吸っていない煙草が燃え尽きたので、
屋上にひとつだけある灰皿目指して立ち上がった。
わたしが引き戸のほうに向かっていくと
おじさんはハッと顔を上げるなり、



「ぎいやあああああああぁぁあぁ!!!」

と 叫んでしゃがんでいた腰を抜かし、
じりじりと後退った。


えっ……?
えっ???


「……おつかれさまです」

「お……おおお…ッッ……おぉ……ッ」


「うそやろ」と思って一応、背後を振り返ってみたけれど、わたしには何も視えなかった。(元々視えないのだが)
いや、どう考えても目の前のこの人は
"わたしに" 驚いているのだろう。
「おつかれさま」も言えなくなるほどに。


「存在を認識されていなかった」どころか、
「人間」とも思われてないんかい、と察したわたしは、あまりの事態に笑いがこみあげた。


「いやあの……わたし、足あるんで……」


何の氣休めにもならないが、
ワイドパンツを足首までたくし上げて足を見せた。
おじさんは無言でコクコクと頷いたが、
会話が成立する氣配はまるでなかった。
わたしはバツが悪いまま、屋上をあとにした。



あのときもわたしは存在感を消しすぎていたのだなぁ、そらビビるよなぁ。
「自分しかおらんはずの屋上」に、
髪の長い、色白のやせ細った女がゆらりと現れたら。体幹弱いし貧血氣味でゆらゆらしてたんよな。しかもあのときのワイドパンツ、白かったし「見えてはいけないもの」と思われたんやなぁ……と今になって理解した。
たぶん「おつかれさまです」も聞こえていなくて
「お(まえ祟ってやる)です」なんぞに聞こえていたんじゃないだろうか。知らんけど。
「解せぬできごと」がまたひとつ、成仏していった。(合掌)


「凛、としていてください。
 そのイメージが一番、ちかいです」


人間でいるあいだは
「人ならざる者」に見えないよう
存在感を出してみることにする。


「凛と咲く」を目標に。
「いろんな素振り」をしていこうと、
いま、決めた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?