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好きなものを好きでいる

自分を縛りつけているたくさんの呪いの中に
「キャラものを持ってはならない」
という思いこみを発見しました。


かつて販売員をしていたとき、
レジをしていたバイトの大学生がクレームじじいに捕まりました。ミス自体は彼女の落ち度ですが、「明らかなミス」「学生アルバイトの佇まい」「若い女」「店員」という状況に相手は
「優位に立てる」と思ったのでしょう。
接客時に彼女が使っていたキャラもののペンや巻き尺にまで指摘は及び「だいたい何やその巻き尺は!客をバカにしてんのか!ここは学校か!」と更なるクレームを呼んだようで(ほとんど言いがかりですけど)その一件以来、
「キャラものの文房具を使ってはならない」
という謎ルールが設けられました。
わたしもキャラもののボールペンを使っていましたが、会社の「クレーム客にいじられるような隙をつくるな」という圧と緊張感は半端なく、
当たり障りのないものへ買い替えることになりました。
「キャラものを持つべからず」
というわたしの思いこみは、このあたりから濃くなったように思います。


その後、いつだったか捨て活系の本かブログで読んだ「大人の女性はぬいぐるみなんか持たない」という言葉で致命傷を負ったわたしは、血反吐を吐きながらキャラものを一掃した時期がありました。
自分が氣に入っていた抱き枕的なぬいぐるみも
「キャラものやから捨てなあかん」
と言い聞かせて手放し、
部屋も服もとことんシンプルになりました。
キーホルダーのひとつもキャラものを持つことをわたしは自分に許しませんでした。
完璧主義、白黒思考がとても強かったのです。
(かつて好きだったキャラも白黒が多い)


今思えば自分が何かを選んだり決めるときに
「心に言い聞かせる」必要はまったくなくて、
むしろ逆効果。

キャラものを一掃したときも、
「わたしは氣に入ってるからぬいぐるみは手放したくない」と思っていたのに
「いや、ふつうの大人の女性はぬいぐるみと寝ませんから」と
「ふつうは」「〜すべき」という
「思考」でねじ伏せてしまったわけです。
この件に限らず
「自分の心に正論と一般論(思考)を言い聞かせる」を散々してきたので、
自分と仲違いして当然なんですよね😭


だけどこれも、わたしには必要な経験だったように思います。
「いい大人がキャラもの、ましてぬいぐるみなんか持ってはいけない」という、
「誰かの価値観」を採用していた自分に氣づけたのですから。


さて、少し前に
「キャラもの買ってよし」
と、自分に許可してみました。


猫の絵のアクリルキーホルダー。
釜爺の指人形。
コジコジのライト。
じわじわと嬉しくなりました。


なんかふわふわしたものがほしいな。
ぬいぐるみ。
施術家さんからも「ぬいぐるみを抱っこするだけでオキシトシンが出るのでぜひ」
と おすすめされました。
オキシトシン。幸せホルモンです。

かつて好きだったキャラを思い出すなか、
サンダーバニーが浮かびました。
白いふわふわ。

お迎えしました⁽⁽◝(ˊ꒳ˋ )◜⁾⁾


「大人なのに」
「ふつうは」
「一般的には」
「その年齢で?」


などと思考が邪魔してきますが


🐺「黙れ小僧」


と 低い声でやかましい思考は黙らせて、
「かわいい💞かわいい💕」
と眺めています。
 

うう😭かわいい👏💞


「誰かの価値観」に合わせて
「好き」を加減しなくていい。
わたしの「好き」は、わたしのもの。
好きなものを存分に、好きでいよう。



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