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それは「居場所の問題」だっただけ。noteは文章を愛する人たちが集う、長文書きの楽園。

以前、受けていた講座がとてもおもしろくて

「その先が知りたい!」の一心で
トレーナーコースにまで
すすんだものがありました

「トレーナー」というだけあって
その内容を伝えていく立場を目指すコース

そのため
知ってもらう・届けるために
スピンオフ的に発信を学ぶ機会があったんです
(ブログの書き方、みたいなね)



その時に言われたのは

「長い文はダメです、最後まで読まれません」



…衝撃でした

なぜなら、私は長文書きだったからです



そして自分自身、読む立場になった時も
長文が好きでした

なぜ!なぜに長文がダメなのだ…!



ノートに手書きで書くのも大好き
20の頃からノートと共にある生活をしています



その頃私は
「私の、私による、私のための」
ブログを書いていて
書くことの楽しさを謳歌していました

もちろん、長文で



なんか、それを否定されたような気がしてね

長文を書いてしまう私は
「ダメ!失格!」みたいなね



それでね、短文で書いてみるんですよ
でもどうにもしっくりこない

講師の先生やもう活躍している方をお手本に
書いてみたりもするんだけど
そしたらそういうふうにも書けるんだけど



気持ち悪い…!

何、この気持ち悪い文!ってなるの



他の人が書いているのなら
別に気にならないのだけど
自分が書くと気持ち悪くてしょうがな

で、自分自身しっくりくるように書くと
また長文になるという(笑)



私は書くことが好きだったので

それこそトレーナーになって
伝えていくということより
書くことのほうが
ずーっとずっと大事だったので

トレーナーになる方を手放しました



そして、好きなように書いて生きてきたのです



いろんなところで書いてきました
いろんなところに書き散らしちゃったの
1箇所に集めたいなぁ…



今になって分かったんだけどね

これって、「媒体」の問題だったの



そして長い・短いの問題ではなく
文のテンションや内容の深さ
ニュアンスを大切にしているか

そういう
「文を書く上で何を大切にしているか」の
違いでした



FacebookやInstagramは
玉石混淆、いろんな人が混ざっているけど

ブログサービスは使っているサービスによって
「そこに集う人」に特色があったみたい



で、その講師の先生が使っていた媒体が
「長文の読めない人」の集う場所だったようで

いや、ちがうな
「短文で気持ちを盛り上げて、購買欲を増す」
というしくみがそこにあったんだな

そういう場所だったみたいで



単なる「相性」「マッチング」の
問題だっただけでした



この「長文の読めない人」というのは
当時の私が心の中で叫んでいたことです(笑)
そんな読解力のない人はこっちから願い下げだー!って
(ごめんなさい)



キャッチーで、楽しくて
そういう世界、そういう楽しみ方もある

体育祭でウェーイ!みたいな
そういう楽しさ

それはそれでいいの

ただ、私の楽しみ方はウェーイ!じゃなかった
それだけだった



コンサートを観に行って
「かっこよかったねー」ではなく

一曲一曲の演出や仕草、バックの演奏
そういうところまでの感想を
ノートに何ページもに渡って
書いてしまうような私は

「文章が好き」な人が集う場所に
行かなければならなかったのだ



そして今、noteに書くようになって
思う存分遠慮なく、長文を書けること
ニュアンスを大切にしたまま書けること

そして同じように長い文を書いてくれる人
微細な表現を楽しんでいる人の文に
次々と出会えることに

大きな喜びを感じています



ありがとう、note…!



これさ、文章だけの話じゃないよね

もし、今
「みんなのように上手くできないなぁ」
「自分ってダメだなぁ」って感じているのなら

それ、「居場所の問題」かも



自分がダメなんじゃなくて
その居場所に合っていないだけかも

そのままの自分でしっくりくる
「合う居場所」って、必ずある☺︎



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