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アマ・ダブラム紀行 第10話

翌朝、キャンプ2から岩壁を懸垂下降し、切り立ったリッジを歩いていく。思いがけないことにある意味で怪我が功を奏していた。痛みがあるから集中力を保てる。出来るだけ痛みのないように意識してしっかりと呼吸をし、一歩ずつ丁寧に歩いていく。

もちろん、何をしても肋骨は痛いし、歩く速さはかなり遅いが、時間をかけながら、ゆっくりとキャンプ2からキャンプ1、そしてベースキャンプまで下っていった。前回よりも2時間近く多くかかったが、何とかベースキャンプまで戻り、キッチンシェルパが入れてくれた熱い紅茶を飲んでいると自らの足で帰ってこれたことを実感し、ほんの少しだけ満たされている自分がいた。

ベースキャンプに着いて1日休息した後、シェルパにお願いして、2つのことを決めた。

まず、もう一度挑戦させてもらうこと。文字通り満身創痍だったが、どうしても諦めることが出来ない、無理だと言われたら単独でも登るつもりだった。けど、この点に関してはあっさりと了承がおりた。5日後、10月28日、ここ数週間のうちで最も風が弱い日がやってくる。ここにきて天が少し味方をしてくれている。早速、僕はこの日をサミットプッシュに当てるようにスケジュールを組み直した。ただ、これが本当に最後の挑戦。もしダメでも諦めることが条件だった。

もう1つはキャンプ3の設置。前回、僕はキャンプ2から直接頂上を目指したが、上部の壁を攻略するのに時間がかかりすぎた。午前中、時間が経つとともに風が強くなってくるアマ・ダブラムではそれが命取りになる。キャンプ3を設置すれば、登山自体は1日多くかかるものの、サミットプッシュに費やす時間は短くなる。夜中に出れば朝早くに登頂でき、昼過ぎには比較的安全なキャンプ2まで下りてこられる。

メリットしかなさそうなキャンプ3だが雪崩の危険があるため、ほとんどの人は設置していなかった。4年前、大規模な雪崩がキャンプ3を襲い、そこにテントを張っていた隊が全滅するという事故があったのだ。そのため、少し躊躇していたが、シェルパも最後には納得してくれた。

そこから2日間は休養日にあて、体を休めることに専念した。2000mも下ってくると流石に酸素が濃く、久しぶりにゆっくりと眠ることが出来た。もちろん肋骨はどうしよもなく痛むが、今ここで僕に出来るのは我慢することだけだった。


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