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アマ・ダブラム紀行 第9話

10月22日、ベースキャンプ。僕はテントの中で痛む脇腹を抑えながらシュラフに潜り込んでいた。深く呼吸をする度に鈍痛が肋骨の辺りを襲ってくる。想定もしていなかったその出来事が起きたのは撤退を決めた日のキャンプ3にまで遡る。

撤退を決めたからには出来るだけ早く標高を下げる必要があった。標高6000mの世界では長くいればそれだけで体力は奪われてしまう。キャンプ3から強風の中、力なく懸垂下降を繰り返した。

登山における事故のほとんどは下山中に起こる。登るのに体力も精神力も使い、集中力は欠け、思考が停止する。経験豊富で尊敬すべき多くの冒険家や登山家たちも下山中に不幸な事故に合い、怪我をしたり、亡くなったりしていた。

そんなことはもちろん知っていたし、自分では気を付けて下山しているつもりだった。それでも、今になって思うとやはり疲れなのか、頂を諦めたことからなのか、どこか集中力が欠けていたのかもしれない。

キャンプ3から氷壁を降り続け、岩の壁までたどり着いていた。この壁を降りれば、今日、泊まるキャンプ2まであと少し。いくつかのテントが申し訳なさそうに絶壁に張り付いているその姿はもう見えている。あそこまで行けば、熱いお茶とご飯を食べ、横になることも出来る。ぼんやりとそんなことを考えながら今まで何度も繰り返してきたのと同じように懸垂下降を始めた。

何事もなく壁の半分ほどまで下った時、それは起きた。

あまりにも急な出来事で、何が起こったのか全く分からなかったが、何かの拍子に一瞬両足が壁から離れてしまい、空中に体が浮いてしまった。あっ、と思った時にはすでにロープに吊るされた体は風に流され、振り子のように横に振られていた。

とっさに振られた方を見る。岩壁が迫ってきていることを理解した次の瞬間、僕の体は激しく岩に打ちつけられた。

鈍い痛みが脇腹を襲い、額から脂汗が流れる。両手でロープを握りながら下降してしていたので肋骨付近にそのまま岩壁がぶつかってしまったようだ。

かつて骨折した時、同じような痛みを経験したことがあった。おそらく肋骨一本くらいは折れているだろう。耐えられないほど痛かったが、いつまでも宙吊りのままいるわけにもいかず、歯を食いしばり、どうにか足が付く場所まで降りていった。

上からシェルパが大丈夫かと聞いてくる。だめだ、と言うと本当にアマ・ダブラムが終わってしまう、そう思った僕は、問題ない!と叫んだ。それだけで激しい痛みに襲われる。キャンプ2まではあと1時間近く下降しなくてはいけない。おそらく折れているであろう肋骨をかばいながら痛みに耐え、再び懸垂下降を始めた。

上手く呼吸が出来ない。標高6000m付近のこんな場所で激しく動き、体は酸素を大量に欲しがっていた。だが、肋骨の痛みがそれを許さない。何回かに分けて空気を吸い、少しずつ肺に酸素をためていく。

1ピッチ下るのにも相当な時間が掛かってしまうが、今はこれしか方法がなく、一歩ずつ、本当に一歩ずつ何度も小さな呼吸を繰り返しながら壁を降りていった。

文字通り、死力を尽くしてキャンプ2に辿り着き、倒れるようにテントに潜り込んだ。その夜は、ほとんど寝ることが出来なかった。息を吸っても、咳をしても、お湯を飲んでも、何をしても悲鳴をあげる肋骨が眠ることを許さない。それでも、明日中にベースキャンプまで降りなくてはいけない。

もう食料も燃料もほとんど残っていなかった。


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この旅で撮影した写真を収めた僕のファースト写真集「Ama Dablam」が代官山蔦屋書店様にて限定発売しております。ぜひお手にとって頂けましたら幸いです。
1月22日(火)には写真集発売記念として同店にてトークイベントを開催致します。詳しくは下記のリンクよりご確認ください。
http://real.tsite.jp/daikanyama/event/2018/12/canon-ginza-presents-1-shines.html
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