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宝もの探し

新年のご挨拶・・・には、ちょっと遅い投稿となりました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、私はというと、新年早々からひっそりとお仕事をスタートしました。
壬寅(みずのえとら)の年に、壬の私らしく、深く深く叡智を掘り下げるお仕事からさせていただいています。

昨年は、広くたくさんのことに挑戦し、広くたくさんの人と関わらせていただきました。
自分自身を鼓舞しなければいけない場面も多く、なかなか大変だったけど、大変だったことのご褒美のような結果をたくさんいただいたような気がしています。様々な出逢いの中で喜びや感動を共有し、「楽しかった」と言っていただけたことが、本当に励みになりました。

昨年関わってくださった方々に、心より感謝いたします。


でも実は私、人とも物事とも広くそつなく関わることには向いていなくて、がんばればなんとかできます、という程度。
『私とあなた』になった瞬間、最も力が発揮できるタイプだと思います。

今年はスタートからしばらくは、一対一の個人セッションをひたすらやる予定で、毎日のように一人の人と向き合い、易の言葉を掘り下げています。


昨年末、ある方が私にこんなことを言ってくださったのです。

りさちゃんは、子どものころから自分のことを自分で守らなくちゃいけなくて、そこにたくさんの力を使ってきたんじゃないかな。でももう今は、自分のことを守らなくてよくなったでしょう。その有り余る力を自分以外の人に使っていけるんだね。

そんな内容だったと思います。

あぁ、やっとこの時が来た。
そう感じて、嬉しくて深く感動した出来事でした。


ある時から、人のため、社会のため、家族のため、子どものため、お客様のため…そんな言葉や意識を安易に用いないように、気をつけて、気をつけてきたんです。気をつけないと、できなかったから。そういう耳ざわりの良い、口当たりの良い言葉で、自分自身をごまかさない。

それは私が私の課題に取り組むために決めたことでした。


易学を学んできた私には、自然の姿、現象、出来事、私以外のすべてが私に大切なことを伝えるメッセージであるととらえます。

特に身近な人の言葉には、重要なメッセージが隠れていたりします。
だから、「あなたはもう、自分を守るために自分の力を使わなくていい。その有り余る力を、人のために社会のために使える時が来た。」と、受け取りました。


自分を幸せのエネルギーで満たすことなく、誰かのためにと言いながらエネルギーを使うことは、実は誰かのエネルギーを奪う行為に他ならない。

自分の心身を削ぎながら人に貢献しようとすることは、その相手も、自分自身も、誰も本質的に幸せにしない行為だと気づき、ここ数年は注意して自分自身に取り組んできました。

でも、人は社会的な生き物だから、究極最後は、誰かのために生きたいって潜在的欲求を持っているんじゃないかという気がするんです。
だってもともと、私たちは一つから切り離された意識なんだから、自分という意識だけのためには生きられないよねって。


昨年末に、これまでの日々を振り返りながら想いをめぐらしていました。

私は本当に愛されているし、守られていることを知ったこの数年。
自分自身のことに心を砕く必要は、もうない。

第一ステージが自分自身を守りながら必死で生きること。
第二ステージが自分自身の存在を認め安全で安心な場であると知ること。
だったとしたら、

第三ステージ、自分の存在を他者や社会のためにどう活かすかを考えること。に突入。

自分のエゴをどこまで越えられるだろうか。それとも、どこまでも越えられないのだろうか。

それは、やってみないとわからないけれど。

自分の存在を守ること、自分の存在意義を証明することで精いっぱいだった私だから、少しだけ、少しだけでも、誰かの何かのお役にたてるように。

なんて。それもエゴのような終わりなき矛盾のループを抱えつつ。

今年のセッションでも、師から教えていただいた「易の卦は必ずその人が最も輝く方向を指し示す」という前提を大切にしながら、

潜在意識のそのまた深く、掘って、掘って、
あなたも知らないあなたの宝物を発掘し、
「これがあなたの中にあるんだよ」って伝えられたらいいなって思っています。


ということで、今年も佳き年になりますように。







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