左へカーブを曲がるな!
小沢健二が華麗に(なつもりで)日本に舞い戻ってきた二年前。突然の活動再開に、胸躍らせて、また混乱して、違和感を持ちつつ、
でも期待して迎えたファンは多くいたと思う。
待ちわびたファンに、毒霧をかましたのが
このたび発売された新アルバム“so kakkoii 宇宙”
1曲目の「彗星」では、日本を振り返るような歌詞が書かれている。
「そして時は2020 全力疾走してきたよね」
「1995年 冬は長くって寒くて 心凍えそうだったよね」
「2000年代を嘘が覆い イメージの偽装が横行する
みんな一緒に騙される 笑」
この歌詞を見たときから小沢健二についてより決定的な違和感を覚える。
今、彼は「90年代前半、一世風靡し、突然の活動停止しNew Yorkへ消えた“渋谷系の王子さま”が、彗星のごとく日本へ舞い戻って華麗に活動を再開」というスタンスをとっている。
Twitterでは、文庫本にカバーを付ける文化や日本の学校教育等をテーマに日本について再発見や驚きを発信している。また、「僕が知らない間にも日本は進化し続けていた」的なことをテレビで発言をしていた。(コンビニで買ったおにぎりのビニールがすごい発言など)
いや!いや、いや、いや!!!
20年間の空白の期間だったとはいえ、日本に帰ってきてはちょくちょく活動をされていたのはなんだったのか…
「自分は今まで一度も日本に帰ってこなかったが、思い直してもう一度日本に戻ってきたら、知らない間に日本は本当に素晴らしい国になっていた」という浦島太郎のような演出している自分に酔っているが、20年間ちょくちょく活動をしていたことも、ずっと待ち続けていたファンは知っているわけで、その20年間をまったくなかったものにしているのかと思うと、がっかりを通り越して怒りすら覚える。
「1995年 冬は長くって寒くて 心凍えそうだったよね」と共感めいたことを書いるが、98年には彼は、New Yorkにわたり、ほとんど日本に関心がないような態度を示していた。New Yorkに小沢健二の熱心なファンのインタビュアーが訪れた際に、彼は到底大人とは言えない態度で冷たくあしらい、失意の中、帰国させたこともあった。
日本とはほとんど関わりを持とうとしない中、「冬は長くって寒くて 心凍えそうだったよね」と言われても、「お前、大変だったこと知らねえじゃん」と突っ込みたくなる。(そもそもボンボンだから、生活の心配などしたこともないだろうし)
確かに阪神大震災、サリン事件と日本にとってもつらい記憶ばかり。しかし、1995年だけがつらい記憶だったのか。冬の時代はずっとずっと続いていた。
「2000年代を嘘が覆い イメージの偽装が横行する みんな一緒に騙される 笑」と歌うけど、2000年代の政策や偽装はいまだに振り回されている。特に振り回されているのは、青春時代に小沢健二の楽曲を聞いていた世代(氷河期世代)だと思う。
この世代は、日本の課題の世代としてようやくクローズアップされてきた。派遣や非正規雇用のダイレクトな経済的被害者で、しかし懸命に日本で生活をしている方々も多くいるだろう。
今もなお、その影響が大きく残る中、“笑”と一蹴し、“真実はだんだんと勝利する”と言葉を並べても、こちらとの心の距離が遠くなるばかり。
そして、2010年代はスルーし、それから“2020年(今)”と彼の意識は今に飛ぶ(歌詞中で)
しかし、2010年代は日本で生きる人間にとって、とても重要な年代であることは言うまでもない。
特に2011年の東日本大震災や福島原発は、私たちの価値観を180度変えた。あの時の大きな絶望、凄惨な映像や報道、常識が崩れていく辛さ、明日がどうなるかわからない不安の中で、それでも多くの人が「復興しよう」「頑張ろう」と踏ん張り、乗り越えてきたという軌跡があるからこそ、今があると思う(今でも復興は続いています)。
しかし、彼は、その体験をしていない。
華麗なるスルーをしたあと、日本は素晴らしいと舞い戻ってきた小沢健二。モヤモヤした気持ちがふつふつと湧き上がる。
さらにこのアルバムとトリを飾る「薫る(労働と学業)」
この曲が、今の小沢健二を物語る曲になっている。
日々の仕事の積み重ねが世の中に素晴らしいものを作り出すということをうたっている曲だが、実際、小沢健二自体は仕事を積み重ねていたのか、技術を磨いていたのかがさっぱり見えてこない。
言いたいことがありすぎで、曲が詩についていけていない。と私は思う。
それは小沢健二が世の中に対して、言いたいことや伝えたいことがあふれ出ているのだろうと、大らかな気持ちで見れば良いだけかもしれないが、それにしては年相応ではない、洗練されていない、不格好な曲に仕上がっている。
彼とともにフリッパーズ・ギターの活動をしていた小山田圭吾はコーネリアスとして活動を続けており、(好きか嫌いかはおいて)音楽をより突き詰めている。これは作業や技術を繰りかえしているからこその洗練された音楽だと実感できる。小沢健二の同世代のミュージシャンも今だ第一線で活躍している方は多くおり、コンスタントに楽曲を発表している。
しかし、小沢健二は、この20年間はいったいどのように過ごしていたのかは私たちにはわからない。
New Yorkで音楽活動をしていた、とか、南米に言って環境活動をしていた、とか、日本に戻ってこっそりコンサートをしていた、レコード会社とは実は契約が続いていた、映画を撮っていた、論文を書いていた、など捉えようのない活動ばかり。
そして、彼がそうしている間も、彼がつくった曲に心動かされていたファンたちは、彼が言う辛い冬の時代やみんなが騙された時代を、その曲を心の支えにして、いつか再開する日をずっと心待ちにしていた。
もちろん待っているファンも生きていくために、毎日作業を繰り返して、仕事するなりして生活をしていた人も大勢いる。
それを踏まえての「薫る(労働と学業)」は、薫るどころか、はっきり言って臭い。
テレビに映る姿も、はっきりいって普通のオジサンだ。しかもかなり子供っぽいし、若くみられたいという願望が表れている。
ずっと第一線を走ってきた人は、若々しいけど、年相応でかっこよく映る。人前にでる職業ということもあり、相応の努力や磨いてきた感性が見た目に表れている。
「見た目が一番」というは好きじゃないけど、「見た目にその人の生き様がでてくる」というのはあると思う。今の小沢健二の姿に空白の20年間が表れていると思う。そんなオザケンに、「君が作業のコツ教えてくれる 僕はとろけてしまう」とか「あきらめることなくくり出される 毎日の技を見せつけてよ」と言われても、
「いや、自分どうなの?」とつっこみたくなる。
彼は、働きたくても働けないのではなく、ただ単純に働いたことがないのだと思う。フリッパーズ・ギターは、多くの人に迷惑をかけて突然解散し、その後ソロとして活動するも、突然活動停止して日本を出た。
New Yorkで自分の思うような活動をコソコソしてみて、頃合いを見て日本に帰国(したふりをした)。また耳障りの良いことを言って日本を翻弄しようとしているのかもしれない。
でも、もう彼の言葉に輝きはない。
10代、20代や30代のこれからの時代をつくる世代が歌うならまだしも、50歳過ぎたオジサンが、青臭いことを歌ったら、ただ寒くて、ただ臭いだけだった。
こんなオジサンにならないよう、明日から毎日をしっかり働こうと決意できた。その点では、ありがたい反面教師のアルバムだった。
アルペジオで「きっと魔法のトンネルの先 君の僕の言葉を愛する人がいる。本当の心は本当の心へと届く」とファンへのメッセージともとれる歌詞があった。
この歌詞を聞いたとき、オザケンはファンのことも考えてくれていたのかと少しばかり希望を抱いたこともあったけど、それは間違いだった。
トンネルの先で、ずっと待っていたファンに、本当の心を届けるるもりなかった。いまだって、彼は帰ってきたオザケンを演じており、今まで何をしてきたかということを一切語ろうとしない。
というか、ファンの存在はどうでもいいのだ。
「誰かは待ってくれてるだろう」と甘い考えと、自分はそれだけの魅力がある人間なんだと思っている。
しかし、それは20年前の若くて聡明な小沢健二だったからこそ魅力があったわけで、この20年間何も進歩してこなかった小沢健二に、本当にがっかりさせられたファンは多くいると思う。
思想丸出しな歌詞を聞いて「オザケン、やっぱりいいこと言う!」と、毎日を必死に生きてきた人は思えないし、懐疑的な目で見てしまう。
「やっぱりこの人は自分が大好きで、自分は才能があるって思ってて、自分の言葉で世の中を動かせると思っている冷たい人間なんだ。」と。
彼にとったら今の活動はただのギャンブルで、俺の言葉の力で日本が変わったらいいな~、人をどのくらい動かせるかな~、ついでに金稼げたらいいな~レベルなのかもしれない。だってお金を稼がなくても、彼は十分暮らしていけるくらいのお金はあるんだから。毎日の作業や、労働なんてしなくても、全然大丈夫なんだろう。
たぶん、飽きたらまたNew Yorkに戻るんだと思う。
だって家もまだそのままって言ってたから。
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