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【1】なぜうちの子が不登校に⁇ #016 見えないものとの闘い①

発達障害の確定診断も頂けず、対処法もわからず、ただ日々を手探りで生活していた。

娘は中学3年生になった。2年生の時は隅っこの教室だったけど、今度は真ん中の教室になった。1年時の教室の下の下。娘の通っていた中学は3年生の教室は1階だった。(当時は知らなかったけど、エネルギー的に、建物も土地も、上より下の方が悪い(ー_ー)!!。吉濱さんもご著書のなかで”悪いエネルギーは下に落ちてくる”と書かれています。(人類史上最大の波動上昇が訪れた!に掲載されてます。)卒業してから娘が言ったこと「あそこ(3年の時の教室)は教室じゃなかった」と。たくさんいらしたようです。( ̄∇ ̄) 娘以外でも何人か視た子がいると後に聞いた。

新しいクラス、クラスメイトの3分の1が1年生の時のクラスメイトだった(ー_ー)!!。6クラスある学年。そんな確率ってある?クラスの雰囲気が1年の時と同じ感じ。今だからわかること。”波動は同調する。” 1年時の教室の場所は明らかによくなかった、人間関係も良くなかった‥。(#008を見てね。) 波動が低く、引き寄せやすい娘は、よろしくない教室、うまくいかない人に同調し、引き寄せられていた。

波動が低かったから"霊的"な者とも繋がってしまった。逆に波動が高ければ良い者と繋がる!と最近知った(o^^o)

当時はそのことも知らず、負の渦の中にいた(^_^;)

学校はほぼ、送迎。お迎えに行かない日は帰ってこない。お迎えに行ってもいない日もあった。ネットで知り合った知らない人と会おうとしたり、リストカットは頻繁に。目が離せなかった。中学3年生。”そんなこと普通よ。”と捉えるおおらかな親御さんもいらしゃると思う。しかし、何度も書くが、私は”超”心配症だった。常に、心配している為、余裕はなく、イライラしていた。”心配の波動”がさらに心配事を呼ぶ。負の連鎖。自分が現実創造する。当時の私は全くその仕組みを知らなかった‥‥。私がネガティブな現実を造っていたことは、最近知った。

5月、娘は夜中、家を出て行った(ー_ー)!! 夜11時頃。娘と話しているうち少し、言い合いになってしまった。娘の「死にたい」の一言だった。リストカットは何度かしている。普段はそんな時は怒ったりしない(波動が低い、感受性が強いHSPの娘からみたら、いや、怒っていたでしょ。と言うかもしれない。) でも、その日はカッとしてしまった。数日前に娘に近しい人が亡くなったばかりだった。”命”が終え、会えなくなる。という事を身を持って知ったばかりっだった。それなのにその発言。(ToT) 怒るでしょ。

続く。


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