見出し画像

黛活動終了から1年。黛灰にはエンディングが似合うという話。

1年経ったね、もう1年?!て気持ちと、まだ1年?て気持ちがぐるぐるしてる。
去年の夏の終わりから私生活がバッタバタでnoteも開くことも忘れ、なんとなく開いたら私のnote更新も1年前だった。書かなすぎ。
この記事も本当ならきちんと1年経ったタイミングの夏か彼の誕生日にあげたかったですね…笑
下書きはしてたんですけどね…あとむぎちゃんの小説の感想も下書きから進まなくてそっちもはよあげたいですね…

1年と少し前、7月2日に彼が活動終了のお知らせ配信した時のことまだ覚えている。なんとなく、あの時の気分を忘れたくない気持ちもあるから改めて書き残しておこう。

あの日、気温はさほどだったけど通り雨が降った後で蒸し暑い夜だった。コンビニに明日の朝御飯とお茶を買いに行って、袋をガサガサ鳴らしながら「黛の配信始まったな~」て思ってイヤホンをつけて近くの公園に寄ったのを覚えている。なんとなく、本当になんとなく何かある気がして、外で座って聞きたくなったからベンチに腰かけて聞いてた。

「引退発表だったらどうしよ」「いやいやないでしょww」ていう自分と、「お知らせがあるからその日空けておいて」と珍しい発言をする黛、飯屋CRカップでのやたらと「思い出できた?」て言葉を出してきたふわっち、黛と喧嘩するほどものすごい気迫だった明那を思い出して「なんだか誰かいなくなるみたいな必死さだったよなあ」「でもなぁ…」と薄々感じていた自分がいた。
だから「活動を、終了する」て文節を丁寧に区切りながら言い出した彼を帰り道の公園のベンチに腰掛けながら見て「あー…やっぱりかあ…」て自然に声が出てしまった。

「やっぱりか」だった。なんとなく本当にそんな気がしてて、それよりも、明那も言っていたけど彼は長くはVをしないんじゃないかな、満足したり区切りがついたり、逆に納得できないことがあればすとんとやめるんじゃないかな、とずっと思っていたから。

長く続けることはすごいことだと思う。続けることってすごく難しい。でも終わらせることも難しいとは思う。自分の手で、今まで積み上げてきたキャリアや職場の関係や、他人から応援もらえる人気を終わらせるってすごく怖いと思う。だって私なら多少嫌なことがあっても自分が作り上げた場所だからなるべくその場所にいたいと思う。納得できないことがあっても飲み込んで続けることもできるのに、黛はきちんと終わらせるんだな。て、彼らしいと思ってなんだか納得してしまったのを覚えている。

その後のスケジュール説明も彼らしくて、前に記事にもしたけど本当にきちんと終わらせる。て意志がとれて、あれだけきちんとされたら送り出すしかないなぁて気分にさせられた。収益の行き先とかまできちんと説明する人って珍しい気がする。ファンとしたら衝撃すぎてそれどころじゃないしお金払うくらい好きなら気にならないんじゃ…とも思うけど、お金払ってくれるファンだからこそ、きちんと自分の引退後はそのお金がどこに行くか説明したかったんだろうな。本当にきちんとしていた。コラボの予定もできるだけ詰めて、縁のあった人たちとなるべく配信できるようにしてくれてて、ファンに見納めをさせてくれていた。不謹慎な言い方かも知れないけど「大感謝スーパーセール!」みたいな気持ちになった。

寂しいなとか辞めないで、て気持ちはもちろんあったけど、たくさん終わらせる準備して、できるだけのことをしてくれてるんだなて気持ちになれたから、たぶん今まで一番納得した卒業発表だったなあ。

最後まで卒業発表の配信を見て、ちょっと汗かいてたからコンビニで買ったお茶を飲んで、少しだけため息ついて帰ったのをいまだに覚えている。
そのため息はたぶん悲しいとか辛いじゃなくて、寂しい気持ちと安堵だったと思う。終わりが来てしまったけど、ファンがなるべく悲しまないようにしてくれる、誠実な人のまま黛を終わらせてくれるんだ、ていう安堵だったと思う。

それからふと「黛灰にはエンディングが似合うな」と考えがよぎった。
私は昔からアニメが好きなオタク女だったけど、エンディングというものが大好きだった。
アニメのオープニングはワクワクするようなかっこいい曲にハイテンポで動くキャラたちのイメージが強いけど、エンディングはあまり動かない絵にしっとりした曲が多くて、その余韻を感じさせるような曲に合わせてゆっくりクレジットが流れるのが好きだった。クレジットを見ながら「ああ良いもの見れたな…」てじんわり浸るのが大好きだった。
黛にはそういう気持ちが似合うな、て勝手ながら思ってしまった。
だから実際最後の配信でエンディング流れた時はなんかもう寂しい悲しい通り越して「いいもの見れた、最後をリアルタイムで見れて良かったな…」て少し嬉しくなってしまった。特にアニメの最終回のエンディング見る時の「最後まで良いもの見れて良かったな」て気持ちと「ああでも来週からもう見れないのか」て寂しい気持ちが混ざり合うあの感情が少し好きで、まさに黛の最後の配信はそれだったな~!

最後の配信を見る1ヶ月前、卒業発表の配信を見たときにその「黛にはエンディングが似合う」て言葉が浮かんだんだけど、さすがにみんな動揺してる表では当時言えませんでした笑
みんな悲しんでる中だからね、怒られそうで…そりゃ好きな人があと1ヶ月で消えちゃうって悲しんでる人達の前で「あいつなんか消えるの似合うよな」なんて言ったら怒られるよね。

今ももしかしたらこの文章を読んで怒る方がいるかもしれない。でもこれは彼に対するディスではなく、むしろあれだけ綺麗に終わらせたことに対する称賛と尊敬からの言葉なのでそれだけは伝わって欲しいな。

彼は最後の配信は、少し悩みながらもいつもの終わりの言葉の「またね。」ではなく「じゃあね。」にしたけど、私たちはずっと「またね。」を言い続けるからな!
素敵なエンディングをありがとう。またね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?