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絶対的な肯定感

あるとき、娘をひさびさに見たママ友は「あら、かわいい!」と言ってくれたそうだ。

でも娘は「私、かわいくないよ」といった。

「なんで?」

「お母さんは私のことかわいいって言ってくれるけど、学校では別に言われないよ」

と照れながら答えたらしい。

他の兄弟も「お母さんは僕のこと好きなくせに」とか「僕かわいいんでしょう。わかってるって(照れる5歳児)」と言ってくる。

どうやら日ごろから、私が「スキ」だの「かわいい」だの言っているから、自分は絶対的に愛されてる存在なんだと思ってくれてるみたい。


そういえば小さい頃、母にいわれた。

「あなた本当に自分のことカワイイと思ってるの? 親戚がカワイイっていってくれるのは、あなたが小さな子どもだったからよ。小学校高学年になったら、そんなこと誰も言ってくれないのよ」「ほら、違う親戚の人に赤ちゃんが生まれたらもうアイドルはそっちになるの」

衝撃的な言葉だった。

言われていた「カワイイ」は、そういう種類のモノだったのだ。

それから親戚の集まりに興味をしめせなくなった。「カワイイ」の時期を過ぎた私の居場所がみつけられなかったのだ。

子どもたちは、いつか「カワイイ」の種類がいろいろあることを知るのだろうか。

でも、私からのかわいいは、1種類しかない。いとおしくて、唯一無二の存

在。

それしかないんだよ、とここに記しておく。

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